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日本歴史紀行

 徳川家臣紀行 13 - 4 井伊直政 頭陀寺城跡、松下屋敷跡


豊臣秀吉、徳川家康、井伊直政、
三公像
静岡県浜松市南区頭陀寺町 頭陀寺境内



松下虎松(井伊万千代)像 


頭陀寺(頭陀寺城跡)

頭陀寺城は、この地の豪族、松下嘉兵衛之綱が城主の平城で、1551年、天文20年、嘉兵衛之綱は流人時代の木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)を曳馬城下で見つけ、気に入ると奉公人として雇い住まわせました。


やがて家人との軋轢を危惧した嘉兵衛之綱により暇を出され、藤吉郎はこのあと尾張、織田信長に仕えることとなります。


松下嘉兵衛之綱の義兄弟である源太郎清景に、井伊直親の元妻ひよ が再嫁します。









家老職にあった小野父子の讒言により存亡の危機に見舞われた井伊氏を守るべく、直親の元妻ひよ、龍潭寺の南渓和尚、それに一時的とはいえ、井伊家を継いだ直虎は計略を立てて虎松を奥三河の鳳来寺へ預けました。


松下虎松と名乗ることとなる この少年は、鳳来寺で学び、14歳になろうとする頃、頭陀寺の松下屋敷に戻され、西の三河から攻め入り遠江国を領有した徳川家康が曳馬城を改修して浜松城と改めた後で、直虎らの計らいで家康の鷹狩り時に拝謁を願い、境遇を知らされた家康は小姓として召し抱えました。


虎松は家康から井伊万千代の名を拝領し、武将としての生き方を家康から学びます。

















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