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古森義久氏に学ぶ人生哲学

2022-08-16 07:14:20 | 戦争
古森義久氏に学ぶ人生哲学
“シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」81/通算513 2022/8/16/火】小生が「古森義久」という特派員の存在を知ったのは「目撃者 近藤紘一全軌跡 1971~1986より」(遺稿集、1991年初版の文庫本)を読んだときだったと思う。近藤氏は「産経新聞」(当時はサンケイ)の、古森氏は「毎日新聞」の特派員だった。「目撃者」の編集にあたったのは沢木耕太郎氏で、沢木、近藤の両氏は1979/昭和54年の「第10回 大宅壮一ノンフィクション賞」同時受賞した縁から、家族を交えた付き合いをしていたようだ。

沢木氏は「目撃者」の編者として編集後記にこう書いている。「(近藤氏の遺した)膨大な原稿の中からどれを選ぶかという作業を進める中で、近藤紘一氏の友人である古森義久氏には極めて大きな力添えをしていただいた、云々」

1991年当時、小生は40歳の働き盛り、子供3人がピーピー言っていた頃で、カミサンはヒーヒーしながら家事と仕事をこなしていた。小生は毎日が締め切りで焦りまくっていたが、それでも忙中閑あり、と言うかスケベ心も盛んで、よくもまあ多動児みたいに動きまくっていたものだと可笑しくなる。ウサギ歳のせいか、アリスに出てくる「ああ忙しい!」のウサギみたいだ・・・ウサギは繁殖力旺盛のよう。

現役時代は新聞を読んでも政治・外交・経済など自分の仕事(海外旅行産業)に影響するものしか読まないし、趣味の読書も「売らんかな」のハードカバーの新刊本はまず読まないで、何年何十年も読み継がれ、夏彦翁のような先輩が勧める古典≒ロングセラー本を読むようにしていたから、世事全般には疎かったろうと思う。平日にTVを見る時間はほとんどなかったが、働き盛りはそういうものだろう。

だから「古森義久」という名前を気に掛けるようになったのは、小生がリタイアして2003年頃から産経新聞を読み始めてからだと思う。2005年の1年間は月刊誌の「正論」「WiLL」「諸君!」なども購読していた。古森氏が月刊誌に寄稿するようになったのは2005年頃からのようで、氏は1941年生まれだから当時は65歳前後、定年退職で、とりあえず締め切りに追われっぱなしで、他社の記者との「抜いた、抜かれた」の競争もある地獄の記者家業から解放されたことによるのだろう。

WIKIによると古森氏の職歴は――

<1983/昭和58年:「毎日新聞」東京本社政治部編集委員、1987/昭和62:外信部副部長、同年「産経新聞」に移籍、ロンドン支局長、1989/平成元年:ワシントン支局長、1990/平成2~1998年:ウイルソン・センターフェロー、1993/平成5年:「ロンドン・ワシントンからの6年間にわたる国際報道」により、日本記者クラブ賞受賞、1994/平成6年:ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員

1995/平成7年:『大学病院で母はなぜ死んだか』(中央公論連載)により第1回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞受賞、1998/平成10年:9月より中国総局長(31年ぶりに産経新聞北京支局再開)

2001/平成13年:ワシントン駐在編集特別委員・論説委員、2005/平成17年:杏林大学客員教授、2011/平成23年: 国際教養大学客員教授(兼任 現職)、2013/平成25年:産経新聞ワシントン駐在客員特派員>(以上)

英(欧州)米(アメリカ) 中(アジア)という、世界的なホットスポット、最前線で激動のナマを40年近くも報道しまくったというのは「凄い!」という他ない。2005年に定年退職しても「できる人材」は引っ張りだこだし、かつ柔道家でもあるので頭脳明晰+気力体力の文武両道、あと最低10年は現役でディープな報道を期待できるに違いない。

古森先生の「中国への日米の対応の違い」Japan In-depth 2022/8/10も大いに勉強になった。以下、抜粋する。

<7月末に東京からワシントンに戻った。ワシントンは私の本来の報道活動の拠点である。このところコロナウイルスの世界的な大感染のために日本で過ごす時間が増していたから、久しぶりのワシントンだった。

そのワシントン復帰のタイミングはニュースを追う人間にとっては幸運だった。アメリカ連邦議会のナンシー・ペロシ下院議長が台湾を訪問し、その訪問に反発した中国が大規模な軍事演習という形で抗議を表明し、さらにアメリカ政府がその軍事行動を非難して、と、米中関係が一挙に緊迫を増したからだった。

米中関係のこうした緊迫はもちろん日本にも直接の大波をぶつけることになる。日本も中国の乱暴な軍事行動にはアメリカとともに批判の姿勢を明確にするわけだ。日本はアメリカの同盟国なのだからその立ち位置はそう変わるはずはない。

しかしそれでもなお日本とアメリカとでは中国に対する姿勢や態度が異なる。その相違は今のような危機の状態でこそ、より明白となる。いや、そもそも中国に対する日本とアメリカとの基本的な姿勢の違いだともいえよう。

今回、東京からワシントンに戻って感じたのはとくに日米両国間での中国論議の重点の違いだった。いま日米両国とも中国の威迫的な言動に反発を高めてはいるが、対中関係の核心の議論では、日本では「軍事」という要素の追及があまりに薄い。つまり中国との関係における軍事という特殊な局面に対するアメリカと日本のアプローチは大きく異なる、ということなのだ。

日本では中国との関係を考え、中国の言動を論じる際に軍事という要素が大きな課題にはならない、のである。大きな課題にはしない、課題にすることを避ける、ともいえよう。

一方、アメリカでは中国への対処の究極の重点を軍事という局面におくよう。中国が軍事力をどう使うか、そして米中両国の戦争となればどうなるか、という具体論にまですぐ発展していくのだ。

この点を私自身のワシントンでの8月冒頭前後のほんの数日間の体験から報告しよう。

「習近平氏が中央軍事委員会の主席としてその委員会の副主席の人民解放軍代表に『明日から台湾攻略作戦を始めれば、目的を達成できるか』ともし問えば、『達成できるが、その結果、わが海軍力の半分を失うかも知れない』と答えるだろう」

アメリカの歴代政権で対中政策に関与してきたボニー・グレイザー氏が8月3日の米中経済安保調査委員会の議会公聴会でずばりと軍事を衝くこんな言葉をさらりと述べた。グレイザー氏は中国の軍事や戦略を長年、研究してきた著名な女性学者である。

グレイザー氏は「中国の政策の挑戦」と題する公聴会で証人として発言したのだった。この公聴会ではペロシ下院議長の台湾訪問を踏まえての議論が熱を高めた。私も朝から夕方まで傍聴したが、主題はやはり軍事となったのである。

同委員会のランディ・シュライバー議長(元国防次官補)の「台湾問題は中国が加工した『激怒』の背後でどんな軍事戦略を立てているかが最大焦点だ」という総括がその集大成だった。

日本では中国について官でも民でも、軍事の動向について、ここまで直接的に議論することは絶対といってほど、ない。

翌8月4日に民間のヘリテージ財団が開いた「台湾の将来」と題する討論会もまず軍事だった。私もこの討論会に出かけて、じっくりとその展開を追った。

基調報告者のジャック・キーン陸軍大将が「今回の中国の台湾包囲の大軍事演習は中国が年来の台湾上陸作戦から海空での台湾封鎖へと基本戦略を変え始めた兆候だ」と指摘した。

歴代大統領の軍事顧問をも務めたキーン大将は「アメリカ軍部は一貫して中国が台湾を攻撃した場合の対中国戦争計画を保持してきた」と明言した。彼自身がその米中戦争の模擬演習である戦争ゲームに何度も参加してきた、とも述べた。

実際に私も長いワシントン駐在の間に国防総省や国防大学での米中戦争のシミュレーション(模擬演習)について頻繁に聞かされてきた。数十人の専門家に米中双方の軍事関連当事者の役割を与え、数日間をかけ戦争遂行をさせ、その結果を検証する作業である。

米中関係を考えるうえでの最初の入り口、あるいは最大の要素は軍事であることを示す一例なのだ。中国は軍事力を使う意図がどこまであるのか。その中国の軍事力はアメリカの軍事力と衝突した場合、どうなるのか。こうした領域での思考が米中関係における軍事の要素という意味なのだ。

アメリカが最終的に中国との戦争に踏み切るか否かは大統領レベルの政治決定だとはいえ、アメリカ軍当局は常にその戦争遂行の計画を保持するという基本姿勢である。日本にとって想像を超える悪夢のような米中戦争という事態も実際にありうるとする構えだ。

この基盤にはトランプ前政権が2018年の国家防衛戦略で最も直截に表現したような中国との戦争を防ぐ最善の方法は「想定される戦争への準備をして、勝利できる能力を保持する」という抑止の原則がある。

この点、日本では中国の軍事力について、そもそも国会でもまずまったく言及しない。まして中国軍が日本の自衛隊と衝突した場合にどうなるか、などという議論はタブーのように避けられる。これこそが中国に対してのアメリカと日本との姿勢の決定的な違いなのだ。

アメリカ側の民間研究機関でも「米中戦えば」の具体的な研究は多い。ついこの7月下旬、ワシントンの大手研究所の「AEI(アメリカン・エンタープライズ・インスティテュート)」も「中国との長期戦争に備える」という長大な報告書を発表した。2016年にランド研究所が出した「中国との戦争」という調査報告も大きな話題を呼んだ。

米中両国の対立にはこうした軍事衝突への危険が現実の可能性としてからむのである。この現実はこと中国への対応では、軍事という要素があたかも存在しないかのごとく、軍事忌避を通してきた日本もついに認識せざるをえないだろう。ワシントンではまずそんなことを痛感させられたのだった>(以上)

「抜粋する」つもりだったが、目からウロコが落ちまくってカットするところがない、いやはや、時代の今、世界の現状、日本の課題を実に上手く伝えている。一流の国際ジャーナリスト・・・小生は少しでもそれに近づきたいと思うが、勉強していけば“何となくアジテーター”になれるかもしれない。

歴史を振り返れば、人も国家も文化文明も常に前進、挑戦し続けないとオシマイになる。安逸に安住して酒池肉林を謳歌した国家は亡びた。西郷南洲曰く「戦の一字を忘れるな」。独楽(コマ)みたいに止まったら終わりだ。中露朝撃ちてし止まん、多動老人でいくべし。
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