
赤毛のアンが先人達の詩や、風景に想像力を膨らませ言葉を綴った様に、『アンを探して』の主人公・杏里(あんり)は内気ながらも、「絵をかく」ことで想像力を発散する。
私自身は絵はヘタで、ちょっというのも照れくさいが、少女時代、漫画家になりたかった時期があり、表現の方法として絵を選んだのは自然な発想だった。
でも、よく映画やドラマで、芸術家やアーティストの卵がいて、その絵がでてきたとき、あまりにキャラクターとあってなかったり、いかにも出来合わせという感じをうけて拍子抜けするときがある。だから、劇中に登場する「杏里のイラスト」には妥協したくなかった。抽象的だけど、十代の杏里の「未成熟な柔らかさ」と「型に捕われない独特な感覚」という性格を現すため、杏里のイラストを描いてもらうアーティストを探すのには時間がかかった。くんくんとリサーチしつつも、上手な人はたくさんいても、イメージどおりのアーティストは中々いなかった。
ウーン...難しいか!と思っていたとき作家の大槻香奈さんを知り、一気にボルテージが上がった。
大槻さんは、主に十代の少女をテーマに描く京都在住のアーティスト。大きな アクリルガッシュの絵を中心に、ノートの切れ端など、色んなところに描かれる少女達は、なんか大槻さんの頭の中からにょっこり出てきて、紙の上で生きてるような印象を与える。
大槻さんのBlogでは、ときには楽譜などに描かれる少女達が紹介されている。未熟さと危うさと強さと儚さと時には毒さえも感じさせる「可愛いけど、それだけじゃない」少女達。シンプルだけど印象的な独特の色の使いも私を魅了した。
東京でお会いしたとき、意外にも(失礼)そこには、普通の女の子がいて、なんだか嬉しくなった。内気で真面目な、一見普通の女の子が、ペンを通じてだけ見せる想像力の片鱗。私が想い描いていた杏里のイメージとも、不思議としっかり重なった。
このとき、「蛍光ペンを使って描いてもらって良いですか?」という突然のお願いに快く応じて下さって、スラ~と描いて下さったのが、この一枚(この時、カナダの皆に見せるため、ウェブカメラで撮ったもの)。
大槻さんいわく、「蛍光色は使いにくいということが判明」といいつつも、下書きなしでこれだけの出来。
劇用に描いて下さった作品(冒頭の絵もその一部)は、映画を観てのお楽しみだが、その仕上がりにカナダ人スタッフ、日本人スタッフも感嘆の声を上げた。映画が公開されたら、劇中のイラストに興味を持った方がじっくりと観ることができる機会を持ちたい。
私自身は絵はヘタで、ちょっというのも照れくさいが、少女時代、漫画家になりたかった時期があり、表現の方法として絵を選んだのは自然な発想だった。
でも、よく映画やドラマで、芸術家やアーティストの卵がいて、その絵がでてきたとき、あまりにキャラクターとあってなかったり、いかにも出来合わせという感じをうけて拍子抜けするときがある。だから、劇中に登場する「杏里のイラスト」には妥協したくなかった。抽象的だけど、十代の杏里の「未成熟な柔らかさ」と「型に捕われない独特な感覚」という性格を現すため、杏里のイラストを描いてもらうアーティストを探すのには時間がかかった。くんくんとリサーチしつつも、上手な人はたくさんいても、イメージどおりのアーティストは中々いなかった。
ウーン...難しいか!と思っていたとき作家の大槻香奈さんを知り、一気にボルテージが上がった。
大槻さんは、主に十代の少女をテーマに描く京都在住のアーティスト。大きな アクリルガッシュの絵を中心に、ノートの切れ端など、色んなところに描かれる少女達は、なんか大槻さんの頭の中からにょっこり出てきて、紙の上で生きてるような印象を与える。
大槻さんのBlogでは、ときには楽譜などに描かれる少女達が紹介されている。未熟さと危うさと強さと儚さと時には毒さえも感じさせる「可愛いけど、それだけじゃない」少女達。シンプルだけど印象的な独特の色の使いも私を魅了した。
東京でお会いしたとき、意外にも(失礼)そこには、普通の女の子がいて、なんだか嬉しくなった。内気で真面目な、一見普通の女の子が、ペンを通じてだけ見せる想像力の片鱗。私が想い描いていた杏里のイメージとも、不思議としっかり重なった。
このとき、「蛍光ペンを使って描いてもらって良いですか?」という突然のお願いに快く応じて下さって、スラ~と描いて下さったのが、この一枚(この時、カナダの皆に見せるため、ウェブカメラで撮ったもの)。

劇用に描いて下さった作品(冒頭の絵もその一部)は、映画を観てのお楽しみだが、その仕上がりにカナダ人スタッフ、日本人スタッフも感嘆の声を上げた。映画が公開されたら、劇中のイラストに興味を持った方がじっくりと観ることができる機会を持ちたい。
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