アンを探して Looking for Anne

「赤毛のアン」の島、プリンスエドワード島でオールロケ!第5回AFFF(シンガポール)で最優秀監督賞、グランプリを受賞!

岐阜CINEXの上映はいよいよ明日から!

2010年02月05日 | プロデューサーより
伊吹山に雪が吹きつける中、岐阜まで行って参りました。今週は北国・札幌シアターキノでの上映が引き続き、新しく新潟の十日町シネマパラダイスと沖縄・那覇シネマパレットでの凱旋上映開始、そして福岡ではホール上映が明日6日に行われます。

      

新幹線岐阜羽島の駅に降り立つのは初めてです。むかしは田んぼの中にポツンとあった、問題の駅ですが今はレストランやホテルも建ち少しは駅前らしくなってきたそうです。ちゅうぶ映画センターの平野さんに迎えられ、車で30分程で岐阜の町中へ。他の地方都市と変らず、ドーナツ化現象で町中はだんだん寂れ、郊外のショッピングセンターに人が集まり、映画もそこに併設されているシネコンへ流れる、、、どこも同じ現象です。今回上映していただける岐阜CINEXさんは高島屋の裏にあるアーケードのなかにある4スクリーンを持つ素敵な劇場です。隣のレトロな映画館では懐かしの「赤木圭一郎特集」なんてやっていました。

      

沖縄・北谷のミハマセブンプレックスでは「アバター」の隣のスクリーンで我々の「アン」は4週間の健闘をしましたが、ここでも「アバター」を上映していました。


      

「アンを探して」を上映するスクリーンは他の映画を上映中で観れなかったのですが、ここは隣のチョット大きめのスクリーンです。岐阜の皆さんどうぞお誘い合わせの上、ご覧下さい。また岐阜近辺にお知り合いのある方、皆さんにお勧め下さい。




穂のかと監督@東京国際映画祭オープニング!

2009年10月18日 | プロデューサーより
昨夜は東京国際映画祭のオープニング。六本木ヒルズのけやき坂にグリーンカーペットが敷かれ参加者が歩きます。迎えるのはチェアマンの與田巽氏と高井理事長。この映画際の需要なスポンサーはトヨタ。エコ色を全面にだした映画祭で、ことしはジャック・ペランの海へのオマージュ作「オーシャンズ」で幕が開く。

鳩山首相も夫人と参加、「映画の持つパワーは政治よりも強い」と素晴らしいスピーチ。映画人としては励みになります。

映画際とはまさしく「お祭り」世界中の映画が集まって、また新しい人の輪が広がるのです。我々は監督、穂のか、エクゼクティブプロデューサーのクロード・ガニオンと4人で参加しました。

久しぶりに会ってまず乾杯。会場には懐かしい人が一杯いました。貴子監督も旧知のリバイバル・ブルースでお世話になった桃井かおりさん、ミッキー・カーティスさん、そして奥山和由プロデューサー。原田真人監督の息子遊人もグンと背が伸びていました。



いよいよグリーンカーペット出発点。これからユックリと報道陣、観客が群がる中10分以上を歩きます。これが初めての体験の監督と穂のかは緊張気味。少し前にジェームス・キャメロン監督新作の3D作品「アバター」に出演しているハリウッドスターのシガニー・ウィバーなど超有名人が歩いたのでその場は高揚している。前のグループの様子をみながら、、、。




いよいよ歩き始めます。カメラの数は中途半端でありません。テレビ慣れしている穂のかも緊張と高揚感が交差していたようです。



10分以上の長いグリーンカーペットの途中、何回か穂のかはTVにキャッチされました!この作品の初映画際参加でいよいよスタートしたという感じです。このあとセレモニー、レセプションと続く長い一日でした。



今日は監督が「私たちの選択」というタイトルのシンポジウムに参加いたします。
映画の上映は20日の15時から、恵比寿の東京都写真美術館にて、、、またレポートいたします。



TOKYOFMラジオ番組「坂東真理子のSMILE HOLIDAY」に出演!

2009年09月21日 | プロデューサーより
深夜に沖縄から戻った翌朝、TOKYOFMにて著書「女性の品格」等で知られる坂東真理子さんの番組に出演いたしました。放送は9月23日(水・祝)12:00~12:30です。

坂東真理子さんは現在昭和女子大学の学長であり、超多忙だとおもうのですが、エレガントな笑顔を絶やさず、優しく質問してくださる素敵な方でした。

司会の古賀涼子さんも、リサーチして「アンを探して」を見つけて下さった女性も映画をとても気に入って下さり楽しい一時を過ごせました。

「アンを探して」種まき活動@沖縄編

2009年09月19日 | プロデューサーより
大阪、京都、広島、長崎、福岡、、、といっきに駆け巡った8月に続いて、今週は沖縄に来ております。二日に渡り、「応援会」の方達対象の完成披露上映と、メディア関係の上映がありました。思えば昨年12月に訪れて以来、沖縄の皆様には本当に大きな力をもらいました。

上映館である桜坂劇場の周囲を歩いていたら、バイクに乗った監督の知り合い(古着屋SCRAPの店長で、沖縄のイベンターとーもーさん)には会うし、ラジオ番組のパーソナリティーのダニエルさんと言うスイス人にも会うし、、、沖縄は皆友達!って感じです。
背景にある町並みは、懐かしの「リバイバル・ブルース」(クロード・ガニオン監督)を撮影したところです。思えば、宮平貴子監督と私達との出会いはこの作品で地元沖縄のカメラアシスタントを募集していたことがきっかけでした。7年ぶりに訪れたのですが今は古い家が壊され、すっかり様変わりしていました。
会う人皆にチラシを手渡し、映画の宣伝にいそしむ我々です。それにしても沖縄の日差しは中途半端ではありません。


写真はRBCラジオ放送「サファイヤ玲子の恋する!お仕事」に出演した時の記念撮影。エクゼクティブプロデューサのクロード・ガニオンも同行でカメラを回してもらいました。


沖縄での公開は
11月21日より3週間、桜坂劇場にて。
いろいろイベントもプランニング中です。
あと2ヶ月!皆さん応援お願いします!



もういちど「おくりびと」

2009年03月19日 | プロデューサーより
紀子リポーターから「おくりびと」についての詳しいリポートがありましたが、ちょっと追伸。
昨年のモントリオール世界映画祭でグランプリを受賞して以来、上昇気流に乗り、あれよあれよというまに雲の上。オスカーまで受賞するなんて、素晴らしい事です。

いま、世界中が人間に優しさを求めているのでしょう。この映画が世界に認められ、大ヒットするということは人間まだまだ捨てたものではない、、ということ。銀座の映画館の前に並ぶ長蛇の中高年層の列をみて、おもわず微笑みました。

実は滝田監督、モントリオールの我が家にも遊びに来て一緒に粉から「うどん」を作った仲なのです。随分前の話し、かれの「木村家の人々」が映画祭に出品され、そのあと我が社が買い付け、カナダで劇場公開したのです。

「おくりびと」の快挙で松竹の株がグンと上がったとのこと。めでたいことです。

春から縁起がいいですね、、、。この運のおすそわけを「アンを探して」も少しはもらって,,,さあ頑張らねば。

中原淳一展

2009年03月10日 | プロデューサーより
映画「アンを探して」でも大切な要素となる中原淳一さんの作品。このたび彼の絵や、スタイル画など500点が展観されます。「もしもこの世の中に『愛する心』がなかったら、人間は誰もが孤独です。」と語ったアーティストの今なお輝き続ける美学です。

会場、日時等詳しくはこちらをどうぞ。

キルト展

2009年01月17日 | プロデューサーより

間違って10時半頃に行ったらまだ開場前。
11時の開場にもうこの列です。入る前にもう疲れると言った感じで、周囲のお話を聞いてると、地方から泊まりがけで来ている人たちも大勢いるようで、「去年はもっと寒かったわね。」と毎年来る常連客もいるようです。
レポートを早くと思い、取りあえず写真を掲載します。

入口です。上に人がず~っと並んでいるのが見えるでしょうか?左へながく続きます。

        

そして、入口に向かって左の階段へ続きます。

        

右の階段からおりて来たところ、この辺迄くるとやっと、入口が見えて来ます。バッグ類の点検の後、中へ。

          

この会場はまだほんの始め、、、しばらくしたら歩くのも大変な込みようでした。

        

去年から今年にかけてはアンの年。
プリンスエドワード島からの訪問です。(カナダ観光局のブース前)

        

グリーンゲイブルズの前庭。芝生もルピナスの花も、リンゴの木も、ピクニックの食べ物も、、、、全部布です。さすがキルト展。

        

        

2008年の大晦日

2008年12月31日 | プロデューサーより



2008年は素晴らしく、特別な年でした。

「アンを探して」のプリンスエドワード島ロケを無事終えることができ、来年の完成、公開へむけての第一歩が確実に踏み出せたのです。

この写真に写っているすべてのスタッフ、キャストの方達、そして、写っていないけれど多くのエキストラの方はじめ、宿泊先のスタッフ、食事係のスタッフ等、きりがないですが、そのすべての人たちに、宮平貴子監督を支え映画作りに参加していただいたことを感謝いたします。

まだまだこれから完成まで沢山の作業がのこっていますが、少しでもいい作品に仕上がるよう、監督と共に努力致したいと思います。

2009年も引き続き皆様の応援をお願いいたします!!!

by Yuri Yoshimura Gagnon

赤毛のアン展

2008年12月28日 | プロデューサーより



「赤毛のアン展」」が1月2日から福岡三越で開催されます。東京、名古屋、広島、大阪、、と続いた今年最大のアン関連イベントです。

6月に東京の日本橋三越百貨店でのオープニングセレモニーがあり、PEIよりアンに扮した可愛い少女をむかえ、テープカットでこのイベントの日本全国巡回の幕が開けました。しかしこの日、誰がこれほどのアンファンが来場すると想像したでしょうか?
初日は限定された招待客でもあり、ゆっくりと展示物を見て回る事ができました。そして、最終日、丁度来日していた宮平貴子監督ほか数人を同行し再度訪れたのですが、もうそこはまるで満員電車のなか。汗びっしょりになり、結局殆ど見ずに会場をあとに、、、。2週間で5万人! 驚異的な数字ではありませんか。信じて疑わなかった主催者の方達もさることながら、押し寄せた女性たち、素晴らしいパワーに満ちあふれていました。このパワーに映画の撮影を夏に実現しようと決めた原動力をもらったと言っても過言ではありません。
売店もあり、いくつか欲しいものもあったのですが、レジ前には長蛇の列、とても買える状態ではありませんでした。さまざまな本が並んでいる前、70代の女性が、村岡花子さんの『赤毛のアン』を手にとり、「これはね、私が少女時代に読んだの、、。」と孫と見られる少女に優しく語りかけていました。あ~いい光景だな~と『赤毛のアン展」の成功を自分ごとのように嬉しく感じた一時です。

福岡の「赤毛のアン展」も大成功しますように!!!そして、仙台(3月)、札幌、、、、とどんどん広がって行きますことを願っています。また、100年前に生まれた「赤毛のアン」が、今の100年に一度と言われる大不況を乗り切るエネルギーを与えてくれますように!!!


『赤毛のアン』にまつわる二つの講演会

2008年12月10日 | プロデューサーより

まずカナダ大使館で行われた「モンゴメリとアン」と題された講演会。モンゴメリのお孫さんであるケイト・マクドナルド・バトラーさんと村岡花子さんのお孫さん、恵理さんのお二人。『赤毛のアン』出版100周年記念事業の締めくくりとして行われたのですが、それに相応しいお二人の孫の再会と言う、ユニークな企画でした。我々もケイトさんとはシナリオを読んでいただいて賛同を得ていたものの、直接お目にかかったのはエクゼクティブ・プロデューサーのクロード・ガニオンとプロデューサーのサミュエル・ガニオンで、私も監督もこの日が初対面でした。カナダでの撮影が無事に終了した事を報告すると大変喜んでもらい、もう旧知の仲のような感じになりました。

写真はケイトさんを挟んで、カナダ大使館の文化担当官の中山多恵子さんと宮平貴子監督。



そしてもう一つは京都で行われた講演会。

京都外国語大学の学生と教員で作られた実行委員会主催の『赤毛のアン』シンポジウム。

一部のパネルディスカッションは東京と同じ顔ぶれで、ケイトさんそして村岡恵理さん、加えて赤松佳子さん(ノートルダム清心女子大学准教授)の3人。それぞれ「なぜアンはカナダで愛されてきたのか」、「なぜアンは日本で愛されてきたのか」、「永遠の赤毛のアン」と題してのお話でした。

2部は松本侑子さんの「『赤毛のアン』の英米文学~秘められた愛と謎」と題した講演でした。

いづれの講演も素晴らしく、興味深いもので700名の聴衆はノートを取りながら熱心に聞き入っていました。
松本侑子さんは数日前の大使館での講演にも観客として参加されていて、実は我々とはその日の対面が初めてでした。著書は随分前から読ませてもらっていましたが、お目にかかるチャンスを逸してました。この日京都での講演では、松本さんは優雅な友禅染の着物姿で際立っていました。

また同時開催で、『赤毛のアン』俳句コンテストがあり、沢山あった応募の中から選ばれた数点の英語の俳句と日本語の俳句がデイビット・マクマリーさんと坂本季詩雄教授によって読み上げられました。
その中の一つにブログを通しての知り合いであるトロント在住の方の俳句があり、嬉しくて思わず拍手をしました。

実行委員長である若い可愛い女子学生が挨拶に立ちました。
「アンの生まれ変わりと自称する母に育てられ、、、」とスピーチが始まり、小さな思いつきから始まり、とても苦労して実現したこの企画が多くの参加者を得て、おもわず舞台袖で涙した事等を素直に語りました。実際参加した我々もこれほどの人が来るとは思いもよらず、『アンの人気』を新たに感じる事になりました。

そして最後に、この京都外国語大学はなんとこのブログを更新してくれている藤本紀子リポーターの母校なのでした。来年の映画の公開時には応援して下さいとお願いして紫紺色に染まる京都の街を後にしました。


追記:「あしなが育英会」の募金活動の一環として『アン』の可愛い人形が販売されていました。5センチ程のミニ人形です。



ハラハラ、ドキドキ、そして「いきいき」の夜

2008年12月06日 | プロデューサーより

先日「アンを探して」の未完成版テスト試写がカナダ大使館で行われました。この企画は直販雑誌「いきいき」の読者を限定に200名を招待し、未完成の編集作品に対し意見を聞いて参考にしたいと計画したものです。日本ではおそらく初めての試み、カナダでもここまで大規模のものは初めてです。参加者を募ったところ数日で満員になる程の期待度でした。

上映日にそなえ、一週間まえのある日、カナダ大使館のオスカー・ピーターソンシアターにてプロジェクターテストをしたところ、素材がデーターを圧縮したDVDだと言う事もあってプロジェクターにかけると、色はとび、映像は少しボケていて、音もすっきりしないものでした。映写技師の方にいろいろ調整をしてもらっても、素材がこれでは限界があるとのこと。今回は参加していませんが、映像を担当したスタッフ達がこれを見たらきっと卒倒するに違いないと思う程でした。企画のアイデアは良かったものの、この日から私はハラハラ、ドキドキ、後悔の毎日を過ごす事になります。カナダに連絡をとって、持って来る素材はなるべく質のいいものにして欲しいと注文。それ迄も編集、字幕作り、DVD作りで数日間徹夜続きの監督に、更なる苦労を与える事となりました。また、そこまでして来日した監督に結果が散々で、評判もよくなければもう致命的な打撃を与える事になります。主催してくださった「いきいき」の編集部の方、カナダ大使館の方達にも申し開きがたちません。何と言う無謀な事を企画したのだろうと、、、我が身を責める思いでした。

上映会の前日にようやっと監督ができたてのDVDを持って到着、翌日上映会を迎えました。
開場一時間前から、受付には長蛇の列、客席はほぼ満杯になり、カナダ大使館、『いきいき』編集部両主催者のご挨拶のあと、私と監督がスピーチをし、いよいよ映画が始まりました。質的には1週間前にくらべると少しは良くなった、程度です。上映中生きた心地がしませんでした。

『赤毛のアン』に影響された4世代の女性たちの物語、、、と言う事以外殆ど情報もなく集まって下さった読者の皆様。心から感謝いたします。温かく、知識欲溢れた素敵な方達でした。

熱心な質疑応答のあと、ほぼ200名の参加者のうち、167枚のアンケート用紙が手元に戻りました。85%の回収率です。熱い思いが綴られたアンケート用紙の山、宝物として大切にいたします。



以下、数件を抜粋し、掲載させていただきましたが85%が感動した、面白かった、とても面白かった。92%がもう一度見たい、人に勧めたい、、等でした。

それまでの心配は一気に吹き飛び、どれだけ監督が感動したかは察していただけると思います。ハラハラ、ドキドキがいきいきとした気分になった一夜でした。

「さあ、これから頑張って3月完成を目指そう」と言う思いを新たにいたしました。






今日も寄り道ブログ

2008年11月20日 | プロデューサーより
藤本リポーター、宮平監督に引き続いてのトピックです。
「憲法を変えて戦争へ行こう」

Amazonでネットショッピングをしていたらこんなビックリするような、タイトルがでて来ました。よく読めば、あとに「という世の中にしないための18人の発言」と続くのです。岩波ブックレットで2005年に発行され、今年迄何回も版を重ねています。
ビックリついでに古本だったし安かったので、早速購入しました。数日後に届いたそれは60ページ程のブックレットでしたが、書いてある中身は厚く、重いものでした。
憲法を変えて、、とはもちろん憲法第9条のこと。「9条の会」の存在は知っていたのでその会報誌かなと思ったのですが、そうでもなく岩波書店が独自に発行している岩波ブックレットシリーズでした。インターネットのお陰でこんなものにたどり着けた事を感謝。使い方によってはインターネットは素晴らしい伝達の手段だと思います。

発言者は以下の18人
井筒和幸、井上ひさし、香山リカ、姜尚中、木村祐一、黒柳徹子、猿谷要、品川正治、辛辣なめ子、田島征三、中村哲、半藤一利、ピーコ、松本侑子、三輪明宏、森永卓郎、吉永小百合、渡辺えり子

この中で、「アンを探して」と間接的に関係している方達がいます。

半藤一利氏=宮平監督は脚本執筆中、モンゴメリの作品はもちろん、ありとあらゆる本を参考にして読んでいます。半藤氏筆、分厚い上下の「昭和史」も読破、とても参考になったようです。また、監督はカナダ大使館のライブラリーにも大変お世話になり、カナダ人が戦争中、日本に捕虜として過ごした数年間を書いた素晴らしい本も発見してくれました。(これは映画製作したい程)

松本侑子氏=「赤毛のアン」ファンなら知らない人はないでしょう。いろんな角度から研究されていて、とても勉強になります。我々も殆どの著書を持っています。07年にはNHKの取材で松坂慶子さんとPEIに行かれ、ロケハン中の我々とニアミスの可能性があったかも?


長い文章の一部を抜粋するのは真意が伝わらなくて申し訳ないと思うのですが、ブックレットのなかから、少しだけ、、、お許しあれ。

井筒和幸
<どんどん右回りの蚊取り線香みたいな国になって、火がついたまま最後までいってしまうからね。>


黒柳徹子
<子どもたちは戦争に苦しめられることなく、夢や希望をもって生きることができなければならない。>


半藤一利
<戦争や軍事に対する深い洞察と想像力の欠如している子供が、今の日本に多くなった。それを心から憂えている。>

ピーコ
<人の命より大事な国家などないのですから。守らなくてはならないのは<命>なのです。>


松本侑子
<日中戦争と、第二次世界大戦によって日本人は310万人の兵士と非戦闘員が死んだ、原爆も二発、投下された。取り返しのつかない犠牲のあと、平和憲法は、日本の国会で反対わずか5票という圧倒的多数で可決された。そして国民もまた、「無理矢理の押しつけ」と受けとったのではなく大歓迎した。、、、。>

三輪明宏
<正義の戦争なんてありゃせんのですよ。>

森永卓郎
<世界で最も美しく、強い覚悟を持った平和主義。、、、時間が経ったからと言って変えなければいけないという理由はどこにもない。>

吉永小百合
<戦争とは、国が人に人殺しを命ずる事。命じられた人間は、選択の余地もなく、人を殺さなければなりません。おそろしいことです。>

渡辺えり子
<人を殺していいということは自分も殺されていいし、自分の子供や親も殺されていいということです。そう思う人だけが「改正」に賛成すべきですよ。>



薔薇の名前は「ピース」

2008年10月27日 | プロデューサーより

この写真の薔薇は映画「アンを探して」の製作を記念して母が作ってくれた布花です。花好き(花キチと自分では言います)の母は庭のある時にはありとあらゆる花を植え、そして庭が手狭になると今度は布花に軌道修正です。いまは水彩画に精をだして、花を描いています。絵を描く事が究極の夢だったそうですが、これが一番難しいと嘆きます。こう書くと、とても暇な人に思えますがとんでもない、普通の人以上に忙しい仕事を持ちながらの趣味でした。時間さえあれば花と向き合う生活で、いまもそれは変りません。心底からの花好きなのです。友人の間では「花博士」と呼ばれています。
この映画の物語の中に出て来る意味ありげな薔薇の花「ピース」も彼女の希望によって登場したわけです。奇跡の薔薇「ピース」、その物語は薔薇好きならみんな知っているお話しです。1939年、ナチス・ドイツがポーランドに攻め入り第二次大戦が始まった年、南フランスのメイアン家によって誕生し作出者のお母さんの名前が付けられていました。3年後、ドイツによる南フランス占領の前日、帰国する米国領事に託されその薔薇の苗木は米国に渡りました。そして大切に育てられ増やされて後、1945年、カリフォルニア・パサデナの太平洋バラ協会展に発表されたその時、ベルリンが陥落し、休戦のニュースが届いたのです。その薔薇の運命だった様に「ピース」と名付けられ、サンフランシスコ講和条約の会場は黄色にピンクが混じった大輪の花「ピース」の薔薇で飾られました。


by Yuri Yoshimura Gagnon
anne_partners@mail.goo.ne.jp

TIFF<女性映画祭とマーケット>

2008年10月26日 | プロデューサーより
18日に開催された、東京国際映画際。せっかくだからIDパスを使ってなるべく多くの映画を見ようと試みました。映画を製作するものとして、他の人たちが作った映画を見ないでどうする?と言う思いがあるのでインターネットで何本かの予約を入れました。早めにしたので、「ホームレス中学生」、「さくらの園」、「ぼくのおばあちゃん」等を含め日本映画数本を簡単に予約が出来たのですが、結局は仕事の都合で全部キャンセルを余儀なくされました。やはり、ユックリ映画三昧は甘かったようです。

それでも女性映画祭のレセプションには出席いたしました。この映画祭は、本家東京国際映画祭と協賛企画でこちらも1985年より堂々の21回目になります。ジェネラルプロデューサーは高野悦子さん。第一回からずっと継続されています。女性の監督も増えた来たとは言え、日本で公開される映画のまだ一割に満たないので、「継続は力なり」を念頭に,これからも頑張っていただけるそうです。

オープニングは羽田澄子さんのドキュメンタリー「嗚呼、満蒙開拓団」。そして特別企画「川喜多かしこ生誕100年記念上映」として名作「制服の処女」、「ねむの木の歌がきこえる」宮城まり子監督、あと韓国映画「私たち生涯最高の瞬間」など数カ国から6本です。

川喜多かしこさんは日本に様々な洋画を輸入され、夢を与えた方です。私たちも映画製作をし始めた時から、つねに夫人から叱咤激励されたものです。モントリオール世界映画祭のディレクター、セルジュ・ロジック氏は川喜多夫人のことを「マイ・リトル・ブッダ」と尊敬と愛を込めて慕っていました。モンゴメリ、村岡花子さん同様、情熱を持って後世に素晴らしい物を残してくれた方です。ご高齢にも関わらず、カンヌのクロワゼット大通りをお好きな薄紫の着物を着て、シャキッと背中をのばし、数キロにも及ぶ映画上映館に通われている姿、いまでも目に焼き付いています。一度御同席したとき、2時間の上映中スクリーンから目をそらす事なく一生懸命ご覧になっている様子に、映画に対する大いなる敬意を感じました。ですから世界中の映画人から尊敬され愛されたのでしょう。いい映画、人生の糧となる映画を届ける、、、やさしいようで難しい作業であると思います。

レセプションでは東京国際映画祭の依田チェアマンも挨拶され、「お姉様方」、、と冗談交え、来年ももっと力を入れて開催しましょうと約束されました。そして特別ゲストの土井たか子さんも格調高いメッセージを送られました。故黒澤明監督のプロデューサーとして知られ、そして「母べえ」の原作者でもある野上照代さんもご出席、名古屋女性映画際で「KAMATAKI窯焚」を見ていただいて以来、久しぶりの再会でした。年齢に関わらず、元気な女性を間のあたりにするのは、とても勇気づけられます。

                     
★★★★★

映画祭のもう一つの顔にマーケットがあります。いわゆる映画の販売をする会場です。映画の製作会社や配給会社がスタンドを設け、ポスターを貼り、訪れるバイヤーと交渉するのです。私はプロデュースと同時にベルリンやカンヌ、ミラノ、LAのマーケットでセールスを長年経験して来ていますが、とても体力が必要とされる仕事です。綿密な戦略戦術が必要とされます。いい映画を作ったからと言って放っておいても売れるものではありません。でも、同時にタイトルとポスターだけで売れる映画もあるのです。



世界のマーケットはそれぞれの国によって違います。言葉の違いだけでなく、民族のちがい、歴史の違い、そして宗教の違い迄考慮しなくてはなりません。自国で大ヒットしたからと言ってそれがすべての国に通用する事は殆どありません。たとえ、ハリウッド映画でも例外ではありません。ただハリウッド映画の場合はヨーロッパやアジアにも支社があり、常にその国の動向をリサーチし、平均的な好みにあったものをつくるので、下手をすると、つまらないものが出来ますが、うまく行くとメガヒットの作品が生まれます。我々インデペンデントは資金的な余裕も、時間的な余裕もないのが常ですので、低予算でまず自国でヒットさせ、海外へはもしうまく行けば販売出来るかも、ぐらいのスタンスです。

そのマーケットへのステップの第一歩としてあるのが映画祭です。映画祭で,評判になり、賞でも取れれば可能性はグンと増します。でも、世界一のカンヌ映画際でグランプリを取った映画でもバイヤーからはそっぽを向かれると言う事もあるのです。本当に映画は不思議な生きものです。だから魅力があるのでしょう。

by Yuri Yoshimura Gagnon
anne_partners@mail.goo.ne.jp

映画三昧

2008年10月22日 | プロデューサーより
まずは「旭山動物園物語~ペンギンが空を飛ぶ~」マキノ雅彦監督

主演は西田敏行
年間入園者数が300万人を超え、3年連続で夏期入園者数が全国で一位を記録。世界初の「行動展示」で一躍有名になった動物園のドラマを豪華キャストで初映画化。すべての生命に贈る感動のトゥルーストーリー。(プログラムより)

人が来なくて赤字続きの動物園。市からは閉鎖を言い渡される。飼育員が智恵を出し合って冬場の開園等を試みるがなかなかうまく行かない。日本中の動物園、水族館をリサーチした園長が行動展示を考えつく。要するに動物の行動が間のあたりに見えるよう虎をトンネル上に歩かせたり、ペンギンが泳ぐ水槽を天を仰ぎ下から眺めると言うわけだ。だから「ペンギンが空を飛ぶ」、とのサブタイトルがついた。きちんと作られていて、動物好きには感動の一作だ。西田敏行もいい。

夜は特別招待作品の「ブラインドネス」(ブラジルー日本ーカナダ共同製作)

フェルナンド・メイレレス監督
カナダと日本とブラジルのプロデューサがブラジルの監督を起用、脚本はカナダ人、そしてハリウッドスター、と日本のスター主演で作った作品である。
主演はジュリアン・ムーア、日本からは木村佳乃、伊勢谷友介
カナダ人は出演者の一人ドン・マッケラー(この作品と、レッド・バイオリンの脚本家でもある)

第61回カンヌ映画際のオープニング作品として衝撃の幕開けを飾った本作。謎の伝染病により、全世界が失明してしまうという大胆なストーリーを国境を越えて集結した監督とキャストが見事に描き切った,心理パニック・サスペンス。(プログラムより)

オープニングの「レッド・クリフ」の時とは違い、かなり前方の特別招待席で見た(オープニングで麻生首相が座っていたところとほぼ同じ)。全編ホワイトがかった色調で(目が見えなくなる設定だが、何故か黒ではなく白)、動きも激しく、ようするにパニック映画なので、つくづく映画とはどの席で見るかで印象が俄然違って来ると実感。こんなに近くては「レッド・クリフ」を見るのは辛かっただろうなと同情。悪役を演ずるガエル・ガルシア・ベルナルと共謀して入居者達から金目の物をだまし取る男にモーリー・チェイキン。ガニオンの「ピアニスト」で起用したことのある、癖はあるが存在感のある俳優を見て、懐かしくなる。


by Yuri Yoshimura Gagnon
anne_partners@mail.goo.ne.jp