11月28日曇天
本日は鎌倉の玉縄城址に出陣
玉縄城は1512年、三浦氏攻略の為に北条早雲によって築かれた平山城。
難攻不落の山城で1526年安房の里見実堯(さねたか)の攻撃も、1561年の長尾影虎の
攻撃も撃退。
しかし1590年の小田原征伐により徳川家康の攻撃を受け降伏、開城。1619年廃城。
歴代城主
【後北条氏時代】 北条氏時→北条為昌→北条綱成→北条氏繁→北条氏舜→北条氏勝
【本多氏時代】 本多正信
【長沢松平氏時代】 松平正綱→松平正信→松平正久
鎌倉とは言っても最寄りは大船駅。
駅にあった地図。
最初に見つけたお寺は龍寶寺。1503年、2代目玉縄城主・北条綱成が開基。
龍寶寺の中には・・・
旧石井家住宅(国の重要文化財)や、玉縄民族資料館がある。
石井家はもともと後北条に属していた地侍で、後北条滅亡後帰農し、関谷村の名主を代々
努めたと伝わる。
玉縄民族資料館は玉縄城に関する資料や、地元の歴史資料、他が展示されている。
少し歩くと諏訪神社と玉縄小学校が出てくる。玉縄小学校の門は立派だ。
諏訪神社は1512年北条早雲が玉縄城築城の際に信濃諏訪大社より勧請された。
もとは城内(諏訪壇)にあったが、廃城になった時に村人が現在の場所に移したと言われる。
玉縄トンネルをくぐる・・・
現在の清泉女学院のある場所が玉縄城本丸があった場所。
連絡をして住所、氏名などを記入すれば学院の中の本丸址を見学させてくれる。
玉縄城址碑、諏訪壇、諏訪壇下の堀の址の説明などがある。
七曲坂に向かう道で見つけた桜。本当にこんな名前玉縄桜。
七曲坂中ほどには四代城主氏繁の夫人の屋敷があったそうだ。
七曲坂上がったところにのんびりしていた猫
途中の無人野菜場で里芋購入、100円でした。
飲み物を持つのがイヤだとナチュはパーカーの中に入れてくれと言うのパーカーに
ペットボトルを入れて歩いていた。
そこに里芋も入れてと言うのでこんな姿で歩くナチュであった
久成寺。1520年、足利十一代将軍義澄に仕えた梅田尾張守秀長が宅地を寄進して創建。
家康が小田原攻めの時に立ち寄り祈祷をした。
境内には上杉謙信の祖先長尾定景一族の墓がある。
そして首塚。1526年里見氏が鎌倉攻撃した時に北条側が35人戦死。敵軍の首級と
彼らの遺体を交換してここに埋めて首塚を築いた。
最後に大船観音に見送られ大船をあとにする・・・・