転移がんから復活、畑も止めず耕し,今年も旅や釣りがしたい・・

野遊び行跡ブログが'09年背中の激痛で入院、腰椎への前立腺転移癌!'25年には肺癌を超えて罹患率一位か原因は牛乳・肉食?

転移性前立腺がんとの共生

2010-12-20 | 病状日記

 


[壮健から一転・・]

以下は、友人に充てたメールの一部、

(以下、本文)
お元気のことと拝察します。

当方、芳しくありません、落ち込んではいませんが、 腰痛が長引いています、先日は激痛に見舞われ立ち上がれなくなった。
数日、寝たきり状態で過ごした。実はそうなる前日に病院へ行ったところ、医師は、昨年と数か月前に撮った2枚のレントゲン写真を引っ張り出してきて再点検。
「オ?」っと、ナニゲに 第3腰椎にカゲを発見。これはナニかナ?(今頃なにかったって、><)・・
医師「詳細はMRIやCTで見ないと分らんよー・・」「でも、今、当院のMRIは故障しとるから、調べるには他病院の機械にかからないと、行ってみますか?」・・・・
「行く?そう、では予約しましょう・・」

てなことで、A病院からB病院へ転院することになり、振り返ればここからがことによると「その病気」との長いお付き合いの始まりだった。

B病院の外科部長は以前お世話になったことのある○○院長(兼務)だった。診断後、多数待機する外来患者を飛ばして 各種緊急検査を実施、
PSA値360をもとに内科等他の医師の意見も総合して、曰ク、「原発個所は未確定だが、がんの骨転移だろう」と。
ついては放射線治療設備がある××中央病院を紹介するから、と、その場で担当医師に電話、即、午後の診察予約となる。

晴天のヘキレキとはこのことか、と心の準備や考える間もなく、MRIやCTデータ、レントゲン写真、腫瘍マーカー値データ等一式を持たされ ××中央病院へ直行。
夕方には針生検(癌細胞の摘出)施術(結果的に2回実施)、そのまま10日間入院の運びとなった。(2009.05.15/金曜の出来事)

かくて症状は以下のとおり。

検査・診断の結果:前立腺がん・ステージⅣ/D2・悪性度中分化:GS7・第3腰椎に転移・
治療:手術不可能、当面放射線は当てず、通院治療は投薬と注射による(但し、抗がん剤は使わない)。

あれまっ・・・(@_@)
(閑話休題)

というわけで、ほんものの病気になりました。
今は、内分泌薬の服用と通院による点滴投与、及び特注コルセット着用の治療状態。
治療効果あって腰痛も大幅に緩和され、畑も1,2時間の軽作業をこなしています。
なにぶん、背骨の1個が侵されているのでチカラ動作ができず歯がゆい思い。
ま、半年~一年で骨の再生は図れる、とのことなので それまでの辛抱、しんぼう。

前立腺がんの5年生存率は50%、転移の場合は2,30%。
また根治した後 再発の確率は50%。治癒はない。
高齢の患者が多いから寿命との勘案をみたとしたら そんなものかな?

初対面の医師が 検査結果を前に「あなたは(転移してるから)末期がんです」と宣告する。この頃はこれが普通なのか?
それとも医学の進歩か はたまた がんは日常的な国民病となったのか?
なによりも本人は腰が痛いだけで、がん的自覚症状も心当たりもないから「末期」、とか言われたってピンとこない。
同席したカミさんはだいぶ驚いていたようだが、がんは一般的な病気になってきたことには違いない。

ことに前立腺がんは近年罹患率が急増、5年後には肺がんに次いで(男性の場合)2番になる、との予測もあるようです。

そういうワケでしかたなく 骨が出来上がるまでは おとなしく自宅療養の今日この頃。
これが肝臓だのすい臓がんだの、と宣告されたら、まぁ、しょうがないか、とあきらめるところでしょうが・・、
そうはイカの塩焼き、 まだまだ、本人は復活する気は十分・・、
なにしろ一か所だけ病魔に侵されはしたが、検査の結果、他の諸器官すべては健康そのものだから・・・
根治なるか妥協して共生関係となるか、今後のことはわからないけど、残念ながら当分のあいだオトナシクしているしかないのです。

以上 状況把握ができましたところで 経過報告まで。
どうか お気遣いなく・・(本当に)

長くなりました、自分のことばかりで申し訳ない。
では では 、ごきげんよう。
(記・09年7月  日)

注)ブログ本文中の(日付)は、09年12月にYブログから引っ越して転載したため、投稿日時と実際の記述日にはズレがある。



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