いまは、股関節の痛みを除けば身体はまったく回復した。3年余前の4月と7月に、重量物を持ち上げようとして二度ぎっくり腰にみまわれたが、今思えば、そのうち一回は股関節脱臼であり、その痛みが腰を直撃していた。
「腰痛」がなかなか治らず、リハビリマッサージや湿布を続けて、年が明けても通院していた。(その間、がん細胞は着々と勢力をひろげ腰椎へ転移していた。)通院先では、さすがに快方しない病状のため、一度MRIで詳細に診察しよう、との提案がでた。そのとき、当院の機は故障しているので、他の病院のMRIで診よう、と検査の予約をした。
そして予約待ちのあいだに 身動きができないほどの腰椎の激痛で倒れた。這うようにして行った病院では「がんの疑いあり」と、検査後そのまま 即入院、がん病棟の患者となった・・・
治療方針は、末期がんの腰椎転移(D2、GS4+3、PSA値500超)であり、5年生存率2割、だから、もう手術できない ゆえに薬剤による延命治療、と決定された。
「治るんですか?」の問いに、主治医は「難しい・・治らない・・」と・・。また、ゾメタ(ビスフォスフォネート製剤)の効能書には「症状の改善がされる」とあるが、治癒の単語は見当たらなかった。
退院後はナニ食べてもいい、酒もいい、特に制限する事柄はない、とのお達しがあった。その時は「がん」と宣告されたショックよりも 転移箇所の第三腰椎の激痛がナントカならないか、の現実的思いが第一だった。しかし、「ナニ食べてもいい、なにしてもいい」と言われたことには「あぁ、もうダメなんだなぁ・・」と頭の隅っこで認識していたことは確かに記憶している。
身体じゅうに散らばったがん細胞には、手術も放射線も 対象が絞れないから根本治療は施せない、だから当面の延命治療のみ、ということだった。
腺がんには、がん細胞が増殖するためのホルモン栄養源を断ち(リュープリン注射、カソデックス投薬)、転移箇所の骨修復には皮下注射(ゾメタ)を投与する二面作戦がとられた。(しかし、これも今年からカソデックス投薬のみ、となった。)
だが今にして思えば、手術はできない、抗がん剤も使用できなかったことは、かえって結果的には一命がつながったことになるし、術後の後遺症に悩まされることもないので、これはこれで「了」と思える。
また、ナゼ、病気になったのか、いまだ医学的にも原因は不明だ。むろんそれなりに生活習慣を反省したが よく分からない。当時はそれなりのストレスもあったが、がんを発症するほど強烈なものでもなかった、と思う。また食事も暴飲暴食はせず、肉や乳製品大好き でも決してなかった。
現代医学では このがんの原因は洋風の食物摂取が一因、とする程度で 全ては解明されていない。が、患者となって分かったことは、多くの西洋医学の医師には「医食同源」の発想はあまりなく、主にクスリをもって患部の病理現象を取り去ることに全力を集中し「ナゼこうなったか」は問題視しない。だから、関連を疑いハラが不調だの、足裏が痛いだの、と言うと、それは内科へ行って、あれは形成外科で聞いて、と一蹴される。
自分的には「食」の重要性は第一要件と考えて、日々それなりの実行をしている。西洋医学は、病気か所をクスリや手術や放射線で撃滅する技術は素晴らしいが、身体全体のバランスはあまり考慮しないように見える。
つまり「がん」部分は治したが、全身は抗がん剤で廃人、最悪の場合は死亡、ということにもなりかねないケースも出るように見えるのだ。ともあれ、種々ある悪性腫瘍のなかで「前立腺がん」など軽いほうだ、との見解もあるが、「転移」という厄介な経過があったので 軽々に治ったとは思えない。(某同病患者のブログでは10年通院経過で、PSA値が低位でも治癒にならず、投薬を中止するとPSA値が上昇してしまうケースがあり愕然・)
副作用のホットフラッシュもほとんどなく、2013年12月末をもって一応通院・投薬をメド、の予定にしているが、医師は解放してくれるだろうか・・・ 強い意志と希望を持って、そのとおりになることを願っているのだが・・
(追記)3,5年前の初診、即入院のとき「D・末期、5年生存率2割」と宣告されたが、 今年10月の 全がん協部位別臨床病期別5年相対生存率調査では生存率は上昇し55.7%になった。
http://www.gunma-cc.jp/sarukihan/seizonritu/seizonritu.html
ひとり一病だから同病とはいえ比較はしにくい、が、進行度が遅いことはこの病気の特徴ともいえる。
だから、コンデションがいいから、「もう治った」と信じ込むのは早計であると自戒し、慎重に対処すべきと、思うこのごろである。