下閉伊郡チームを陰ながら応援している私は、応援に行けないけど次の日の新聞を楽しみにしていました。
今朝はその新聞の記事に涙が止まりませんでした(ノД`)・゜・。
6月から家の中が台風のようで、次から次と問題ばかりで落ち込んでいました。
そんな中、8月30日に台風10号がかなりの被害を残して心痛んでいました。
岩泉の現場の仕事のお客さんを宿泊させながら、家の悩みを解決させながらで、正直疲れ気味の私でしたが、
新聞をみて
頑張らなければと、下閉伊郡チームから元気を貰いました。
そして、兄貴が日報駅伝を何処かで見に来ているだろうなぁ~と思うと、涙が流れてきました。
その記事です。
台風禍越え万感ゴール 日報駅伝、下閉伊郡チーム
自分たちの走りで古里に元気を届けよう―。23日行われた第75回一関・盛岡間駅伝競走大会(日報駅伝)で、一般の部の下閉伊郡チームは台風10号被害を乗り越えて45回連続の出場を果たした。水野肇(はじめ)主将(44)=岩泉町=ら多くの選手が被災して練習場所も確保できない状態だったが、支え合って連続出場のたすきをつないだ。気合のこもった選手の走りに観客から大きな声援が送られた。
出場までは苦難の連続だった。選手11人中5人が台風10号で甚大な被害を受けた岩泉町出身。練習場所にしていた同町乙茂の陸上競技場も被災し、合同練習は一度もできなかった。水野主将は同町安家の自宅が全壊し、練習着や靴、ユニホームなどが流失。勤務先の岩泉きのこ産業も被災して復旧に奔走する日々を過ごし、「とても『レースに出る』という心境になれなかった」という。
古里の惨状に打ちひしがれる中、心に浮かんだのが東日本大震災で犠牲となった当時の下閉伊郡チーム監督で田野畑村の田河原誠さん=当時(45)=の存在。田河原さんは苦難に立ち向かう勇気を説き続けていた。選手らは震災後も田河原さんの思いを受け継ぐために結束、日報駅伝への出場を続けてきた。
今回も台風10号被害からの復興に取り組む古里の人たちと自分たちを重ね合わせ、「田河原監督なら『このくらいで負けるな』と鼓舞していたはずだ。走り続けよう」と水野主将と川戸善徳監督(47)=岩泉町=が中心となって出場を決めた。
レース本番では繰り上げスタートもあったが、30~40歳代のベテランと、新加入の若手2人が心を一つに粘りの走りを見せた。ここ2年は足の故障に悩まされてきた水野主将も痛みに耐えて10区を走り抜いた。ゴール後に仲間と健闘をたたえ合い、固い握手を交わした水野主将と川戸監督。「完走はチームを支え、応援し続けてくれた地域の人々のおかげ。感謝の思いを胸に、今後も出場を重ねたい」と目標を見据えた。
兄貴(田河原)が一生懸命だったのを、皆が分かってくれて、兄貴の性格も分かっていてくれて、ありがとうございます。
下閉伊郡チームの皆さん
お疲れ様でした。