Belle Epoque

美しい空間と、美しい時間

片岡義男『階段を駆け上がる』

2010-09-20 | rayonnage...hondana
shioさん、

旅のおつかれ、残っていらっしゃいませんでしょうか?
このたびはあらためまして、素敵な本を贈っていただき、本当にありがとうございました。
大好きな片岡作品!
思いがけないプレゼントで、何重もの意味で感激いたしました。

shioさんも、中学生の時に片岡義男氏のシリーズにはまっていらしたのですね^^
わたしも、先日もメールに書きました通り、今でも、ちょっと奮起したいとき、心を静かに強く立て直したいとき、中学生の時に買った氏のご本を開いております。
そして、とても効果抜群です。
暑すぎも寒すぎもしない、穏やかなお天気の日の、穏やかな時間帯(←氏ふうに表現してみました)に、お気に入りの紅茶を淹れたりして寛ぐ、あの充実感が、
ページを繰るだけで即、からだの芯によみがえってくるから不思議です。

このたび頂きました本にも、変わらずその世界が広がっていることに驚き、嬉しさを感じました。
御歳70歳!・・・と、たびたび繰り返して驚いてしまいますが、
相変わらずの、時を超えた若々しさ、しなやかさには、もう、驚きを通り越した何かを感じざるを得ません。
何も足さない、何も引かない。
っていうとどこかの商品のコピーですけれど、まさしく、氏の個性はその絶妙のバランスを誇っていますね。ずっと!
独特な特徴である、ある「もの」をきっかけにストーリーを映画の小品のように展開させる手法は、数十年の間、氏がなさってきたこと と認識しております。
今回の作品も、とても“らしい”(コーヒー豆、白いシャツなど)小道具に支えられていて、懐かしさと新鮮味との入り混じったワクワクでもって、存分に堪能させていただきました。


話は逸れますが、氏の小説に出てくる女性に、中学高校のころたいへん憧れました。
彼の好みははっきりしていて、おおまかなパターンは、
美人で、白い肌、赤い唇、鍛えられた体、無口で静かだけれど大変気が強く、なぜか徹底して独身主義、
なんですよね。
最後の独身主義っていうのが特に、やたらと子供時代のわたしの心をカーンとヒットしまして、
「自分も、結婚しないでキャリアウーマンの、こんな素敵な女性になるんだ」
と、夢世界に飛んだことを思い出します。。
彼女たちの住む部屋(広くて間取りが複雑で森に面していて静かで交通の便が良くて・・・)がまた素晴らしいと思い、そういう場所で一人で心おきなく過ごしたい!とも、切に願いました。
(当時、子供らしく家族とけんかしたりや通学時間が異常に長かったりやしたので・・・)

ところが、そのあと、そういう魅力的な女性を次々作りだしてきた氏の私生活が、しっかりした奥様とかわいい男の子を家族に持つ良いパパ、ということを知りまして・・・、
独身主義、あえなく撤回しました。
(とはいえなかなか貰い手もありませんでしたが)
自分の「主義」のもろさを恥ずかしく自覚したものでした。
また、実際に自分自身が東京で一人暮らしをする段になりましたころ、片岡作品に頻繁に登場する「複雑で広い間取り」とかいう素晴らしいお部屋も、なかなかふつうは手が届かないものだと痛感いたしました。
・・・あ、情けないぐちになってしまいました。


閑話休題。
氏の小説の不思議な透明感は、やはり、ご本人おっしゃるように、
「現実をなぞるようなことはしない」
ある意味夢の世界の話であり、絵画でいうなら抽象画のようなものだからこそ、時間を経ても変わらない魅力(受け手が、自らの印象や感覚を自由に作品に投影できる、という)を持ち続けるのだと、あらためて感じました。
今回も、独身の美女や離婚した凄味美女などが魅力的に登場していましたが、もう、その手には乗らないぞー!!


それにしても、初めてゆっくり本を開いた晩は、まさしく、冒頭に収録されている『階段を駆け上がっていった』と同じ、残暑の消え残る気候であることが、不思議な一体感、快適さを運んでくれ、
さらに、その冒頭シーンの描写が、新宿駅南口のあの辺りだな!と判ったときはかつての新宿区民として懐かしさがブワアアとわき、
しかも、当たり前ながら文体が片岡義男氏そのものである!という感激がじわーと広がり・・・、
とても嬉しい瞬間でした。

shioさんは、実際に目の前に片岡義男さんをご覧になったのですね。
ああーほんとうに羨ましい!!!
お話しするテンポも、やっぱり小説やエッセイの通りなのかしら??
(↑「あなたは、あなたの小説に出てくるのと同じような話し方をするのね」
って、登場人物が話していた記憶から・・・)

shioさんから伺うまで氏の動向を知らなかったのですから、わたしなど、ファンを名乗る資格もないのですが、お元気で変わらぬ創作活動を続けていらしたことが、とても嬉しいです。
文体も変わらないし、登場人物の名前も、見慣れたもの(使いまわしといったら風情ないですが、お気に入りなのでしょうね)を散見し。
それを読んでいた過去の自分との【再会】をも、楽しみました。

「複数種類の言語を自身の血肉とするほど、アウトプットの表現は簡素で本質的になる」
と、主人がよく言いますが、片岡氏のあの文章も、アイデンティティを2つの国をまたいで持っていらっしゃるために、こんなに色あせないのだなあ、とも今回あらためて思いました。
あらためまして、この度の御礼を申し上げます。
折に触れ、じっくりこれからも読み返していきたいと思います。


長い暑くるしい、まとまりのないお手紙になってしまいましたが、お許しくださいませ。


やっときた秋の気持ち良い日々、ともに堪能しましょう^^
ご体調も、引き続きどうぞご自愛くださいませ。
ご主人のふるさとのお話も楽しみにしております!

ご家族みなさまへも、よろしくお伝えください


2010年9月20日 mi


『階段を駆け上がる』片岡義男著

2 コメント

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ありがとうございます。 (shio)
2010-09-21 17:11:00
miさん、私の勝手でご本をお送りさせていただいたのに、早速お読みいただいたうえ、ご感想をすてきな記事にしていただき、どうもありがとうございました。喜んでいただけて、私もとてもうれしいです!

先般、9月12日の午後に、神保町の東京堂書店での片岡さんのトークショーに私が参加しましたことをmiさん宛てのメールに書きましたところ、miさんからすばらしいリアクションをいただきまして^^、思わずアマゾンをクリックしてしまったのです。同じく10代前半から片岡ファンだったということでmiさんに共感していただけて大変うれしかったです、ありがとうございました。

miさんと同じく私も、中高生のころは、氏の小説に出てくる女性たちのように

「でっかいオートバイに乗れるようにならなければ」とか
「早朝にプールで泳がなければ」等、

思いこんでいましたよ(オートバイは未だにできません、早朝プールは、まあ行くだけだったら行けるかな、笑)。

話は戻ってトークショーでの氏は、まさに氏の小説の登場人物のとおりの語り口調でした。鋭い眼差しが大変印象的でしたよ。

最も印象的だったのは、『小説とは、時間が流れて、関係が展開するもの』という氏の言葉です。そして興味深いのは、この短編小説集の名前は『階段を駆け上がる』なのですが、冒頭の小説のタイトルは『階段を駆け上がっていった』なのですね。そして、この短編の作品中では、時間が過去と現在を行ったり来たり、そして二人の男女の関係も変化していく・・・、おもしろいですね。

また、堀江敏幸さんが、毎日新聞で興味深い書評を書いていらっしゃいました。こちらです。

http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20100822ddm015070005000c.html


miさんもご指摘されていた、氏の受けている英語の影響についても話はおよびました。司会の翻訳家の鴻巣友季子さんが「片岡さん作品は、最もラディカルな越境文学」と最後にまとめていらっしゃいましたが、これには私も思わずぶんぶんうなずいてしまいました!

などなど話は尽きず、私こそ残暑にも負けない蒸し暑い熱風コメントをお許しくださいませ。

いつもあたたかいお心遣いをありがとうございます。
miさまも季節の変わり目ですのでご自愛くださいませ。
ご家族みなさまもお元気でいらっしゃいますようにお祈りしております。
そして、美しい京都の秋のお話を楽しみにしていますね。
感謝をこめて、
shio
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御礼 (shioさま(mi))
2010-09-23 18:10:33
素敵なコメントを、ありがとうございました!
何度も何度も嬉しく読み返しておりました。
お返事、日をまたいでしまい、すみません。
こういう、往復書簡みたいなのやってみたかったので、嬉しいです^^
(ルーシー・リーとバーナード・リーチ、みたいな?いやいや私は違いますね、すみません)

>最も印象的だったのは、『小説とは、時間が流れて、関係が展開するもの』という氏の言葉です。そして興味深いのは、この短編小説集の名前は『階段を駆け上がる』なのですが、冒頭の小説のタイトルは『階段を駆け上がっていった』なのですね。そして、この短編の作品中では、時間が過去と現在を行ったり来たり、そして二人の男女の関係も変化していく・・・、おもしろいですね。

ほんとにそうですね。
「変化」、その持っていき方が、昔に変わらずとても軽妙で洒落ていると思いました。

また、

>「片岡さん作品は、最もラディカルな越境文学」

というまとめも素敵です!
さすが、翻訳家さんですね・・・。
片岡義男さんも、翻訳を手掛けられているんですよね、そういえば!


オートバイ、そうだそうだ、わたしも免許を取ろうと思って、夢膨らませていました!
その前に、店に行ってみたら、自分の力で起こせるマシンがなくて、これもあえなく撃沈したという^^;
わたしもプールだけかな、実践できたのは・・・。(楽なとこばっかり~☆!)


いろいろと、私的な事情につきましても暖かいご心配とお励ましを、本当にありがとうございました。
ようやく落ち着きまして、自分自身の気分転換もこうしてできて、良い秋を迎えることができそうです。

こちらこそ、いつも、暖かく見守ってくださり、ありがとうございます。
他の場所で頂きましたお言葉にも、本当に涙してしまいました。
この夏から秋を振り返るとき、後年もshioさんのお言葉をわたしはずっと思い出すと思います。
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