先日、大きな事件が起こり、わたしは自分の至らなさを大いに噛みしめました。
人はひとりでは生きていけないので、自らが選んだ環境の中で、そこにいる人たちと共有する空気をより良くするつとめがあります。
主張するより先に、対象に心を尽くす・・・
これが行き届かないと、少しのひずみ(甘え、ダレ)がだんだん大きくかさんでいき、ついには堤防決壊し、周りに不快な思いをさせることとなります。
そういう自分の欠点と向かい合った日でした。
「感謝する」
ということの意味を、時折時間をかけて振り返ります。今日みたいに。
感謝について、だんだんわたしなりにわかってきたこと。
それは、「ありがとう」と伝えたらいい、なんていう単純なものではないこと。
例えば、わたしは風邪をひいたら主人に叱られるわ、と友達に言ったらびっくりされたことがありますが、なぜ叱られるかというと、「感謝」が足りないからです。
感謝の一例としてこれを説明しますと、
風邪をひかない方法を、予防医学専門医である彼から、すでに教わっている。彼が時間をかけて学んだ膨大な知識を、医学知識のない素人にわかりやすく説明してくれている。
その親切に対する感謝が、風邪をひく事実には見られません。結局言ってくれた知識を実践していないで無視していることになるからです。
首周りをあたためる、睡眠を十分にとる、良い食事法、人が大勢集まる場所には極力出かけない、などの方法をとり、自分の努力でリスクを回避することが、この場合「感謝」です。
医師というのは立派な仕事で、主人に限らず、多くのお医者さんがテレビでも雑誌でも診察でも、わたしたちの体のため、風邪をひかない方法について教えてくれています。
だから誰でも風邪をひくメカニズムと予防法は知っています。
それでも風邪をひくのは、医師にもありがたい知識にも、自分の体にも「感謝が足りていない」、といえます。
(一部を除き、たいがいの病気についてこれがいえますね)
また、風邪をひくと休息が必要になります。その間、仕事に穴をあけることになります。または、周りの人に移すリスクを生みます。
自分の責任で風邪をひき、その結果迷惑まで周りにかけること、これは「感謝不足」です。
穴をあけた分を助けてくれる周りの人に病気で報いるのだから、感謝不足。迷惑です。
「風邪ひいたのはしかたなかった」というのは他責思考(←過去記事にとびます)であり、予防について無知ではないのだから、風邪を避ける方法を自分の知恵を使って生み出すのが、「感謝」。ふさわしい姿勢です。
というのがほんの一例で、
今回のわたしの場合は風邪ではないですが、自分に課せられた仕事がきちんとこなせていないこと、
それ以上に、こなすための細心の注意と努力をしていなかったこと、
これが、自分に良くしてくださる方たちに「感謝が足りていない」こととして、反省です。
何かがうまくいかないとき、それは本人の「感謝不足」が必ず、理由です。これが重なると、人から見捨てられます。
美しい大人になりたいと思いました。
美しい大人とは、自分が何をするべきなのか、明晰に把握している人だと思います。
それは社会に対して・・・なんていうと、漠然とした印象にして大言壮語している風になってしまうけど、
愛する人を幸せにすることから始まり、家族と幸せを分かち合い、仕事を成功させ、周囲を幸せにし、最終的には社会に尽くしているような生き方が「結果」になっている人が、美しい大人だと思います。
小さなことに感謝することを積み重ねた人だけが、大きなことを成し得、美しい大人になれる。
今日何をするべきか、さらに10年先には何をしているべきか、それらのビジョンをはっきり持つ根底には、一瞬一瞬への「感謝」があります。
わが身を振り返り、そことの大きな距離に反省と目標を持った日でした。
人はひとりでは生きていけないので、自らが選んだ環境の中で、そこにいる人たちと共有する空気をより良くするつとめがあります。
主張するより先に、対象に心を尽くす・・・
これが行き届かないと、少しのひずみ(甘え、ダレ)がだんだん大きくかさんでいき、ついには堤防決壊し、周りに不快な思いをさせることとなります。
そういう自分の欠点と向かい合った日でした。
「感謝する」
ということの意味を、時折時間をかけて振り返ります。今日みたいに。
感謝について、だんだんわたしなりにわかってきたこと。
それは、「ありがとう」と伝えたらいい、なんていう単純なものではないこと。
例えば、わたしは風邪をひいたら主人に叱られるわ、と友達に言ったらびっくりされたことがありますが、なぜ叱られるかというと、「感謝」が足りないからです。
感謝の一例としてこれを説明しますと、
風邪をひかない方法を、予防医学専門医である彼から、すでに教わっている。彼が時間をかけて学んだ膨大な知識を、医学知識のない素人にわかりやすく説明してくれている。
その親切に対する感謝が、風邪をひく事実には見られません。結局言ってくれた知識を実践していないで無視していることになるからです。
首周りをあたためる、睡眠を十分にとる、良い食事法、人が大勢集まる場所には極力出かけない、などの方法をとり、自分の努力でリスクを回避することが、この場合「感謝」です。
医師というのは立派な仕事で、主人に限らず、多くのお医者さんがテレビでも雑誌でも診察でも、わたしたちの体のため、風邪をひかない方法について教えてくれています。
だから誰でも風邪をひくメカニズムと予防法は知っています。
それでも風邪をひくのは、医師にもありがたい知識にも、自分の体にも「感謝が足りていない」、といえます。
(一部を除き、たいがいの病気についてこれがいえますね)
また、風邪をひくと休息が必要になります。その間、仕事に穴をあけることになります。または、周りの人に移すリスクを生みます。
自分の責任で風邪をひき、その結果迷惑まで周りにかけること、これは「感謝不足」です。
穴をあけた分を助けてくれる周りの人に病気で報いるのだから、感謝不足。迷惑です。
「風邪ひいたのはしかたなかった」というのは他責思考(←過去記事にとびます)であり、予防について無知ではないのだから、風邪を避ける方法を自分の知恵を使って生み出すのが、「感謝」。ふさわしい姿勢です。
というのがほんの一例で、
今回のわたしの場合は風邪ではないですが、自分に課せられた仕事がきちんとこなせていないこと、
それ以上に、こなすための細心の注意と努力をしていなかったこと、
これが、自分に良くしてくださる方たちに「感謝が足りていない」こととして、反省です。
何かがうまくいかないとき、それは本人の「感謝不足」が必ず、理由です。これが重なると、人から見捨てられます。
美しい大人になりたいと思いました。
美しい大人とは、自分が何をするべきなのか、明晰に把握している人だと思います。
それは社会に対して・・・なんていうと、漠然とした印象にして大言壮語している風になってしまうけど、
愛する人を幸せにすることから始まり、家族と幸せを分かち合い、仕事を成功させ、周囲を幸せにし、最終的には社会に尽くしているような生き方が「結果」になっている人が、美しい大人だと思います。
小さなことに感謝することを積み重ねた人だけが、大きなことを成し得、美しい大人になれる。
今日何をするべきか、さらに10年先には何をしているべきか、それらのビジョンをはっきり持つ根底には、一瞬一瞬への「感謝」があります。
わが身を振り返り、そことの大きな距離に反省と目標を持った日でした。
千疋やの桃
うけました
TAKAKOさまが具合悪くしたら、みんながそれくらいバーンとプレゼントしてくれますね~
私も送りますよ!
具合はいかがですか?
神様が少し休んだら~っと言ってると思ってあまり
自分を責めずにゆっくりおやすみ下さいね。
私は今度風邪ひいたら千疋屋の桃が食べたい~っと
セリフまで決まっているのになかなか
具合が悪くなりません