アモルの明窓浄几

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改正臓器移植法に関連して

2010年08月07日 | 万帳報

「週刊金曜日」(7/30日号)によると、「『改正臓器移植法』では、『脳死』の位置づけと対象が改正前とは根本的に異なっている。…『脳死は一律に人の死である』との報道がされた」とあり、さらに次の文章が続きます。(主要な部分を引用)

これを「誤解」とする厚労省は改正法解釈上の留意点として、今年1月14日付で全国自治体に通知文書を出している。「『脳死を一律に人の死としたものではないか』との論議があったが、脳死が人の死であるのは、改正後においても改正前と同様、臓器移植に関する場合だけであり、一般の医療現場で一律に脳死を人の死とするものではない、というものであるので、十分留意の上、関係者への周知、広報に当たっては、配慮をお願いしたい」しかし、あわてて出したこの文書は詭弁にすぎず、混乱を深めるだけであった。

この記事によると、国が詳しいガイドラインをまとめたのが6月25日なので、改正臓器移植法の施行日まで実質1ヶ月もなく、現場は混乱しているとの事です。

臓器移植法の改正が7月17日に施行された事については、当該ブログ(7/4日)でも触れましたので、そちらを見て頂きたいのですが、主要な改正を簡単に云いますと、改正法が現行法と大きく違うところは、脳死判定・臓器摘出の要件において、本人の意思が不明の場合に家族の書面による承諾があればよく、年齢制限も無くなった事です。

この記事を読み、「医療労働運動研究会」の当該改正法に対する『基調報告』を皆様に知ってもらいたいと思いました。依って今回は、『基調報告』から前半部分を中心に抜粋して、下記に掲載します。

本年7月17日から改悪「脳死・臓器移植法」が全面施行されようとしている。改悪の最大のねらいは、法律で「脳死」をもって人の死と規定することにある。
人の死は、呼吸・心臓の停止、瞳孔の散大、身体が冷たくなるなど、誰がみても納得せざるを得ないものとしてあったが、これからは医者(専門家)から「脳死」と診断(判定)された患者は「死んだ」ことにされてしまう。また、判定基準それ自体が国家・医者(専門家)の意のまま、都合次第である。文字どおり殺生与奪の権限を国家が握り、国家にとって「価値なき命」や「役立たない命」は早期に抹殺されていく。
「脳死」を「死」と決める動きは、臓器移植を推進する側のより新鮮な臓器が欲しいという要求と一体であるが、その根底の思想は「助からない命」や「価値のない命」への医療費の「無駄使い」をやめ、その臓器、組織を資源として「有効活用」することにある。「脳死」・臓器移植を貫く優生思想や人をモノ(医療資源・研究材料)とみる思想は、患者の人格否定、人権侵害を一層強め、医療のファシズム化を深化させずにはおかない。

「脳死」法制化と軌を一にして、政府・厚生省は07年「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」や「回復見込みのない末期状態の患者に対する延命治療中止決定の指針」を発表した。その後矢継ぎ早に「尊厳死の法制化を考える議員連盟」が同年5月31日「脳死状態における延命処置の中止等に関する法律案要綱」を公表した。同年9月に開かれた日本救急医学会は救急現場で延命措置を中止する方が適切であるとして「救急医療における終末期医療に関する提言(ガイドライン)」を出した。いずれも医療(治療)の対象を労働力(兵力)として「修復可能」なものに限り、それ以外を切り捨てること、すなわち、患者の必要性から発する診断や治療という医療の質を根底からくつがえし、「限られた医療資源の有用性」を基準にして患者を選別・排除するトリアージ(軍事医療における選別・抹殺思想と手法)を日常化、法制化しようというものだ。

選別・排除の対象とは、「障害者」「治癒不可能な末期患者」などとともに、「高齢者」も含まれる。そもそも高齢者への医療・社会保障制度からの排除は、2000年の「自助努力」を基本にした介護保険制度の新設にはじまる。国家によって加入を強制されて保険料をしぼりとられたあげく、基本は在宅介護個別家族の負担で、そのうえ金がなければ利用できない。そもそも利用の可否や利用できる「サービス」の内容まで、「認定」行政権力の意のままだ。さらに08年に開始された「後期高齢者医療制度」によって、75歳以上の高齢者(と「障害者」)を医療保険制度から追い出し、医療の内容を低水準に限定する別仕立ての医療制度を新設してそこへ押し込めようとした。

民主党政権は、これらの制度への根本的批判がないばかりか、健康増進法にもとづく「健康増進運動」予防・健診体制の強化、「健康手帳」の推奨、さらには「社会保障番号」制度の導入などによる医療を通じた人民管理体制の強化をさえもくろんでいる。また、菅新政権がマニュフェストにかかげる「強い経済、強い財政、強い社会保障」とは、『2020年の医療の市場規模を59兆円、同じく介護は19兆円』(6月18日に閣議決定された「新成長戦略」)をめざす医療・福祉の市場化推進路線にほかならない。

02年施行の「健康増進法」によって健康であることが「国民の責務」とされ、今や「健康でない」ことは自己の責任であり、「役たたずは死ね」とする能力主義、優生思想がはびこっている。加えて病人や高齢者、「障害者」は「自立」「自助努力」をかかげる介護保険制度や障害者自立支援法などによって、国家や社会による生存権・生活圏の保障を否定され、すでに十分「生きにくい」状態にたたきこまれている。さらなる医療・介護の市場化推進によって、病人や高齢者は徹底的に食いものにされ、金の切れ目がいのちの切れ目に追いやられる。こうして、「本人意思の尊重」「自己決定」というまやかしで「尊厳死」を強要するシステムが着々と構築されていく。

「脳死」法施行を前にした今年5月、民主党内では、桜井充参院政審会長(尊厳死の法制化を考える議員連盟会長)が臓器移植に直結しない「脳死」患者の「延命中止」を可能にする試案を提案するなど、さっそく「尊厳死」法制化活動を活発化させている。
「脳死」立法という重大な法律を、解散総選挙前のドサクサにまぎれて両院あわせてたった16時間の審議で成立させるような国会、国会議員たちに、なにひとつゆだねてはならない。医療現場での「尊厳死」「安楽死」の既成事実化を許さず、患者、「障害者」、高齢者の立場に立ってともに「尊厳死」「安楽死」法制定反対の闘いを強めよう。「尊厳死」「安楽死」強制の基盤である医療福祉政策を打ち破ろう。

…医療労働者にとって患者の人権といのちをまもりぬく姿勢を失うことは、医療労働者としての死を意味する。私たち医療労働者に問われていることは、徹底して患者の側から医療をとらえかえし、現代医療を貫く生物学主義、優生思想などの反動思想とむきあい、いっさいの医療、看護を患者の側からつくりなおしていくことだ。職場や地域を超えて医療労働者が患者・「障害者」・市民と連帯して、「脳死・臓器移植法」を廃止し、現代医療の変革を医療労働者の手で勝ち取ろう。
以上


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