アモルの明窓浄几

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千葉景子法相の決断

2010年07月31日 | 万帳報
読売新聞によると、「菅首相は28日夜、千葉法相による死刑執行について、『法相として、まさに法律に沿って適正な判断をされたのだと認識している』と述べた」と首相官邸での記者団の質問に答えています。

又、同新聞の論評は、「先の参院選で落選した千葉法相が、民間人として続投することには批判も出ていた。この時期、突然の執行に踏み切った真意をいぶかる声もあるが、法に基づく執行は、法相として当然の責務だ。…内閣府が今年2月に公表した世論調査では、死刑容認派が過去最高の85.6%を占めた。被害者や遺族の感情に配慮する意見や、凶悪犯罪の抑止力になることを期待する意見が多かった。世界的には欧州を中心に、死刑を廃止か停止している国の方が維持している国よりも多い。だが日本では、国民の大多数が死刑を容認している現実を踏まえ、その声を尊重する必要があろう」と云う。

更に、28日付毎日新聞によると、「千葉景子法相は28日午前11時過ぎから法務省内で死刑執行について記者会見し『大変残忍な事件で被害者、遺族も無念だったと思う』と述べ…法相就任前までは超党派でつくる『死刑廃止を推進する議員連盟』のメンバー。『死刑廃止という信念を曲げた心境は』と質問され『(今後の議論で)“廃止”という一つの方向性が出れば、国民的議論の回答だ』などと述べ、『私が何か考え方を異にした(変えた)のではない』と語った」との事です。

弁護士出身で死刑廃止論者として知られ、「死刑廃止を推進する議員連盟」メンバーだった千葉景子法相が『私が何か考え方を異にした(変えた)のではない』との発言には、怖さすら感じました。政治家の言葉の軽さはとどめ様もないようです。

「死刑廃止を推進する議員連盟」事務局長の村越祐民衆院議員(民主)は『かつて仲間だった千葉氏は大変な変節をされた。不意打ちのような執行は理解しかねるし、強い憤りを感じる』と激しく非難しているが、この行為が変説と云わずして何と云うのでしょうか。

以前に『本村洋さん独占手記』(WiLL 2008/6月号)を読んでみてはと、届けて頂いた事があります。本村洋さんは、光市母子殺害事件の被害者遺族です。覚えて居られる方も多いと思います。私は、その返書に「死刑」について触れましたが、その部分をここに掲載し、改めて死刑制度を考えてみたいと思います。


『本村洋さん独占手記』(以下、『独占手記』と云う)と『殺害状況を笑って語る人でなし弁護団』を拝読しました。
本村洋さんの手記は、遺族でなければわからない苦悩の日々と、9年間の戦いを率直に表現されており感銘を受けました。『どんなに苦しかっただろう。どんなにつらかっただろう。そう思うと、ただただ涙が溢れた』と、これ以上の言葉はいらないでしょう。
被害者の遺族として、当然知り得るべきことが少年法の壁に阻まれる。遺族さえ傍聴出来ない非公開の少年審判は、遺族にとってやり切れない思いであることは、想像に難くありません。
犯罪者を厳罰に処して欲しいと遺族が望むのは、ごく普通であり殺害ともなれば死刑の求刑を望んだとしても誰からも責められるものではありません。
遺族は、その都度常に向き合い、悩みながらも遺族としての結論を出してきたのであり、それが加害者に死刑を求めても誰からもとやかく言われる筋合いはないことは、此処で改めて云うまでもない事です。

問題なのは、当該判決が当初の一審、二審では無期懲役刑であったのが、差し戻し控訴審で一転死刑判決が下されたことです。何故、無期懲役が死刑に覆されたのか、最高裁は原判決を「量刑が甚だしく不当で、破棄しなければ著しく正義に反する」とまで云っています。
これは、被害者遺族が如何考えるかと云った次元を超えており、法治国家における制度の問題であり、量刑を考える上での死刑の位置付けであり、死刑制度を国民一人ひとりが考えざるを得なくなった出来事だと捕らえています。

この間のメディアの対応は如何だったでしょうか。
私のブログで、光市母子殺害事件に関連した記事(週刊金曜日)の紹介をしています。
ここで、安田好弘弁護士は講演の冒頭で「ネットの『goo』の調査では、光市事件の差し戻し審の判決は正当だとする人が87%、不当だとする人はわずか3%だった。メディアで報道されたのは事件の一部分にすぎない。報道されなかった真実について知ってもらいたい」と述べています。特にマスメディアは、遺族(被害者)側一色といっていいほどの報道振りです。
次に、寺西和史氏の『本村洋氏を無批判に賞賛するキャスターの言葉の軽さ』と題する投書の紹介です。キャスターとは古館伊知郎氏のことですが、テレビ朝日「報道ステーション」のキャスターともなれば、その影響力は大きいのではないでしょうか。本村洋氏ご本人も時折出演されていました。この様にマスメディアは、こぞって遺族側の発言を取上げ何時の間にか死刑は当然といった空気になっていったのではないでしょうか。

この度の『独占手記』においても、「私は死刑制度というのは、人の生命を尊いと思っているからこそ存在している制度だと思う。残虐な犯罪を人の生命で償うというのは、生命を尊いと考えていなければ出てくるものではないからだ」と述べています。これは、言葉のレトリックであり、人命が尊いから死刑で償うというのは論理の矛盾です。この点を寺西氏は「本村氏の見解は話が逆さまなのである」と批判しています。

本村氏は『独占手記』で、「Fが18歳であったことにより、18歳以上には死刑が適用できるという日本の死刑制度の範囲の中で、私は闘うことができるようになったのだ」と、同じく「私は、この9年間ひたすらFの死刑を求めてきた。人を殺した人間は、自らの命をもって償う。それは当たり前のことであり、それが私の正義感だからだ」とも述べています。
本村氏にとって、正しく「人を殺した人間は、自らの命をもって償う」事であり、「それは当たり前のことであり」よって、「それが私の正義感」であるには、「犯罪を人の生命で償うというのは、生命を尊いと考えていなければ出てくるものではないから」と思うことであったのです。被害者の遺族として闘い続けるための心の拠りどころであったのでしょう。

私は、本村氏を責めているのではありません。先に述べたように被害者の遺族として愛する家族を失った事件後の生活は考えられなく、生き抜くための拠りどころが必要なのは想像に難くありません。
本村氏自身『独占手記』で、「私は9日後に迫った判決のことを二人に報告した。『長かったね。仇をとれるかもしれないよ』私は、そう二人に話しかけた。でも、二人から返事がない、果たして二人はFの死刑を望んでいるのだろうか。ひょっとしたら、それは私だけが願っていたことかもしれない。そんな気がした」そして、「事件後、得体の知れない罪悪感にとらわれつづけた私には、死刑判決を勝ち取ることしか方法はなかったのである。…こういう方法でしか事件のケジメはつけられなかったのである」と述べています。
事件後の日々は、葛藤の連続であり、心が揺れ続けるのは誰しも認めるところでしょう。その事と、当事者の感情を共有し、死刑を肯定する事とは、別の冷静な議論が必要です。

ある意味、本村氏は利用されたのだと私は思っています。
8月1日の福田改造内閣によって、法務大臣を失職した鳩山邦夫元法相は、任期中の半年間(2007.12~2008.6)に死刑執行が、13名に及びました。6月の死刑執行では、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚に対し、事件の残虐性を考えると執行を猶予することはできないと発言。朝日新聞コラムでの「死に神」表現について抗議し、全国犯罪被害者の会も朝日新聞社に公開質問状を出す事態になったのは、周知のことです。
任期中の半年間に13名の死刑執行を行うのは異例のことで、世論の後押しを受けての事とも云われました。
因みに、1993年3月の死刑執行再開以降の法務大臣(後藤田正晴氏から鳩山邦夫氏迄)21名の内、任期中に10名以上の執行を行った法相は、鳩山邦夫氏と前任者の長勢甚遠氏(2006.9~2007.8の一年間に10名を執行しています)との二人のみです。この間、70名が死刑執行されていますが、5人の法相は執行していませんでした。
本村氏が望む、望まないに関わらず、当該裁判の経緯と被害者遺族の発言の報道に世論は煽られた結果、慎重に選択されてきた死刑執行が“例外”から“原則”に実質転換したのです。

私は、「死刑」と「戦争」は繋がっていると考えています。何故なら、どちらも国家権力のみが合法的に人を殺す事が出来るからです。だから、如何なる理由があろうとも人が人を殺めてはいけないのです。ご存知のように、全ての戦争が正義の名によって行われているといっても云い過ぎではないでしょう。
現行法では、内乱罪は死刑若しくは無期禁錮ですが、外患誘致罪は死刑のみです。国家は監視社会を目指しています。個の殺人罪の死刑を容認すると、国家の正義実現のために容易に法的手続きに基づき人の命が奪われる。だから、死刑に理由は要らないのであり、如何なる正義(理由)があろうとも人が人を殺めてはいけないのです。

では如何して被害者や遺族の無念を晴らすのか。
本村氏は『独占手記』で、「私は今回の判決に救われた。遺族のこれまでの思いを代弁してくれただけでなく、過去の判例に捉われることなく、まさに真相を究明し、事実に即した判決を下してくれたのだ」と云いつつ、「私はFに言いたい。…もし、本当に罪を悔いているのなら、残された生の中で、そのことを社会に発信して欲しい。…裁判で真実を捨てた君でも、まだそういう道が残されている」と、死刑という判決に救われたと云いつつも、加害者に罪を認め悔い改めて欲しいと望んでおり、言い換えると、罪を認めず悔い改めない加害者の死刑執行は、決して被害者遺族の無念を晴らすことにはならない事を示しているのではないでしょうか。

江戸時代研究者の田中優子法政大学教授は、江戸時代は今よりも刑罰が厳しく、殺人はもちろんのこと、盗みでも死罪になったと云い、そもそもなぜ社会は犯罪者に刑罰を科すのかは、ひとつには「みせしめ」にすることによって、他の人間が犯罪の結果を恐れるようにするためであり、もうひとつは名誉を剥奪するためであると云います。戦争で敵側を殺したときに斬首してその首を持ち帰り並べるという習慣は世界に広く見られ、戦国時代の日本でもおこなわれていた。単なる名誉剥奪ではなく、家族や子孫を巻き込んだ存在意義そのものの剥奪であるとも云っています。
犯罪は個人のみの問題ではなく社会の問題であるからこそ、向かうべき方向は「犯罪を減らすこと」であって、我々を困らせた人間を殺すことではないとする田中優子氏の視点に立つことから私達は、死刑とは何なのかを議論しなければなりません。そのことが、本村氏の言うところの「被害者も加害者も生まない社会をどうしたら築けるのか。これは社会の永遠の命題である。弥生と夕夏は、そんな社会を実現するための尊い犠牲になったと私は信じたい」とする尊い犠牲に応えることになるのではないでしょうか。

そして、被害者遺族の処罰感情を前面に出すマスコミの論調の狭隘さは、事実認識から争っている被告人の弁護士達を『人でなし弁護団』と呼ぶ。
同じ弁護団、弁護士の講演であっても、メディアのスタンスが違うと報道内容も異なる事は今更言うまでもありませんが、『殺害状況を笑って語る人でなし弁護団』を興味深く拝読しました。

月刊誌WiLL(発行元:ワック・マガジンズ株式会社)の編集人の花田紀凱氏は『週刊文春』の元編集長であったのでご存知の事と思いますが、この月刊誌WiLLと週刊金曜日とは、対極の位置にある雑誌と云われています。
ワック・マガジンズと文藝春秋の両出版社は共に南京虐殺はなかった、捏造であるといった類のものを出していますが、週刊金曜日の編集委員の本多勝一氏は、朝日新聞社の記者時代の『中国への旅』以来、南京虐殺は事実であると積極的に認める立場でいます。

南京虐殺は、どちらの立場が事実で正しいかと云うことはさておいて、安田好弘弁護士一人を取上げた記事を比較しただけでもこれだけの違いがあるのかと改めて思い知らされました。
参考のため、安田好弘弁護士を取上げた週刊金曜日の記事と、私の当文章で取上げた引用元の記事のコピーを別添でご紹介します。読んで頂ければと思います。


以上が返書です。(個人間の部分は、削除等しています)

以前に当ブログで紹介しました、元日本弁護士連合会会長の土居公献氏は、「被害者側の仇討ちを禁ずる代りに国がこれを代行するという粗末な考え方が罷り通る現状は歎かわしい。被害者(遺族)の悲しみと怒りは、国による物心両面にわたる手厚いケアによってこそ癒されるのである」と述べています。その通りだと思います。

最後に、社団法人アムネスティ・インターナショナル日本のメッセージを紹介します。

2010年7月28日
背景情報
・現在、世界139カ国が死刑を法律上および事実上廃止しており、アジア太平洋地域においても27カ国が死刑を廃止している。東アジアでは、韓国が2008年に事実上の死刑廃止国となり、今年に入ってモンゴルが死刑執行停止を公式に宣言した。死刑廃止に踏み切ったこれらの国の多くで、世論の多数は死刑の存続を支持していた。例えば、フィリピンでは、1999年の調査で世論の8割が死刑を支持していたが、2006年に死刑廃止に踏み切った。

・科学的な研究において、死刑が他の刑罰より効果的に犯罪を抑止するという確実な証拠がみつかったことは一度もない。死刑と殺人発生率の関係に関する研究が1988年に国連からの委託で実施され、1996年と2002年に再調査されているが、最新の調査では「死刑が終身刑よりも大きな抑止力を持つことを科学的に裏付ける研究はない。そのような裏付けが近々得られる可能性はない。抑止力仮説を積極的に支持する証拠は見つかっていない」との結論が出されている。

・犯罪被害者遺族の感情について、アムネスティは、次のように考えている。「アムネスティは死刑に反対ですが、死刑判決を受けた者が犯した罪を過小評価したり許したりしようとするものでは決してありません。人権侵害の犠牲者に深くかかわってきた組織として、アムネスティは、殺人事件の被害者には心からの哀しみを共有しますし、その痛みを軽視するつもりはありません。当局が殺人事件の被害者に近しい人びとを支援し、苦しみを緩和するためのシステムを構築することがどうしても必要です。しかし、加害者を処刑しても、長期間におよぶ遺族の苦しみを癒すことはほとんどできません。それどころか、処刑された人の家族に同じ苦しみをもたらすことになるだけです」

詳細は、→ http://www.amnesty.or.jp/


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