アモルの明窓浄几

芦屋・仕舞屋・三輪宝…生噛りの話題を机上で整理します。

裁判員制度について思うこと-6

2008年12月22日 | 万帳報
日弁連会長の緊急声明文をベースに「私がこの制度に対し、如何しても納得できず譲れない点が二つある」と疑問を呈しただけでも、これだけの問題点が浮かび上がります。
又、この制度下で市民としての社会常識にそった判断を下すのが、如何に難しいかがお分かり頂けたでしょうか。

この裁判員制度は、2004年5月に国会で全党が賛成して決まりました。
只の一党も反対した政党がなかったわけです。

私も今のままの司法制度でよいとは思っていませんが、余りにも性急ではないでしょうか。
何度も云うように、取調べの可視化や調書裁判・人質司法の弊害をこの制度の実施前に改善する事が最低条件だと思いますし、死刑制度がある国で市民が量刑まで判断するのは、少なくとも先進国と云われる国の中では、日本だけです。
私自身は、死刑制度撤廃が望ましいが、国民の総意を得るに時間が掛かるのであれば、少なくとも米国の陪審員制度のように量刑判断は避けるべきでしょう。

土居公献氏が危惧するように、裁判員(市民)が官僚裁判を助ける「隠れ蓑」にしてもらいたくないし、ましてや、改革が制度の後追いになるようなやり方で、被告人が実験台になるようなことはして欲しくないのです。

最後に、光市事件での安田好弘弁護士の記者会見での発言及び、浜井浩一氏(龍谷大学教授)の記事をご紹介して、終わりとします。

●安田弁護士の広島高裁結審後の記者会見から(一部抜粋)

記者:あえてですね。新事実をあえて出さないで、今までの事実でやってゆくという法廷戦術もあったんじゃないかと思うのですが。

安田弁護士:それは、弁護士の職責としては有りえない話です。
真実を出すことによって、初めて本当の反省と贖罪が生まれてくるだろうと私は思っていますし、そして、そうする事によってようやくこの事件の真相、いったい何であったのか、何故こんな事件が起こったのか、どうすればこれからこう云うふうな事を避けることが出来るのか、そして、被害者の許しを乞うて行けるのかと云うことは、事実をやっぱり出さない限りは、事実を究明し尽かさない限りには、およそ出来ないことだと思う。

●浜井浩一氏(龍谷大学教授)の記事(12/16付 読売新聞)から(一部抜粋)

 長期的には殺人事件は減っているのに、現代が凶悪事件ばかりの危険な社会に思えてしまうのは、「メディアやその周辺にいる識者などが統計的な事実ではなく、被害者の体験談などの逸話を広げて危ない社会になっているとの世論を作り上げているから」と語る。

厳罰化すると、社会全体が不寛容になる。「子どもを守る」といった名目で人々が不審者狩りを始める。そこには、犯罪者は社会の外から浸入してくる異質な存在で、排除すべきだという考えがある。
しかし実際には、「社会の中にいる我々と同じ普通の人間が、何らかの拍子で転落し、孤立して犯罪者になるのです」。


最新の画像もっと見る