アモルの明窓浄几

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軽井沢発地方面の石仏を訪ねて-4

2009年01月14日 | まちのこと
巳待供養の石碑で、私が最も気に入っているのが、この写真の巳待供養塔です。
水の神の鳥居からバス路線を北へ戻り、密蔵院を過ぎると西側に南地区児童館へ行く道があります。この児童館の斜め北向かいに犬吠塚の墓地があり、その正面の生垣の間に佇んでいます。

石碑には、大きく「己待供養」とくっきりと彫られており、文化二年(1805年)の年号も見えます。
「巳待」とは、己巳(つちのとみ)の日に行うお日待ち行事の一種で、江戸時代の農村での俗信とのことです。「巳」ではなく、「己」と刻まれているのは、平賀氏の説によると「つちのとまち」と云う習俗は聞かないのと、今日ほど字体が厳密ではなかった頃の制作によるものではないかとの事です。

巳待講については前回に触れましたが、巳の年に備え災害から身の安全や作物の豊作を祈ったものです。この碑の建てた4年後の文化六年は、己巳の年であり、60年に一度の縁起の悪い年に備えて、この石碑を建立し災いを避けるよう祈願したと思われます。
農民の切実な祈りがこの一基の石碑に籠められています。


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