アモルの明窓浄几

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『私は私になっていく』を読んで その3

2012年07月18日 | 万帳報
クリスティーンは、3章及び4章「自己発見の旅――私は私になっていく」において、ヴィクトール・E・フランクル(以後、フランクルと呼ぶ)の言葉を引用しています。[註1]

>フランクルの、アウシュビッツのトラウマを抱えた生存者たちのたどった心の旅についての説明を読んだことがあるが、それはとても興味深かった。最初の反応として、幻想、否認、怒りがあり、やがて自己防衛としての無気力やユーモアに移行するが、最終的には宗教、芸術、音楽などの精神性に内なる平和を見出していく。痴呆の旅と格闘している人びとと似たような道すじをたどっているのだ。(略)
痴呆という強制収容所の中で、日常生活の格闘と将来への怖れという苦難の中で、私たちは苦しみに意味を見つけることができる。

→クリスティーンはここで、「苦しみに意味を見つけることができる」と云っています。
これは正しくフランクルの影響か、若しくは共感しての言葉と思われます。
哲学者の山田邦男氏によると、フランクほど人生をはっきりと肯定した人はいないと云います。ニヒリズムの対極にあり、人生を無条件に肯定する。「人生には無条件に意味がある、どんな時にも人生には生きる意味があるという哲学を説き続けた」のが、フランクルだと云います。
又、山田邦男氏は、『夜と霧』から引用し、「私はもはや人生から期待すべき何物も持っていないのだと人々は語るが、これに対して、人は如何に応えるべきであろうか。…ここで必要なのは、生命の意味についての問いの『観点の転回』なのである。すなわち、人生から我々はまだ期待できるか、が問題なのではなくて、むしろ、人生が何を我々から期待しているか、が問題になるのである」と云う。
ここで云う『観点の転回』とは、自分以外の他の何か(人間であれ、仕事であれ)から、自分は待たれているのであって、その期待に応えて行こうとする。そういう仕方で、生きる意味というものが結果として生じてくる事だと云う。この観点の転回をする限りは、人間は最後の一息に至るまで生きる意味を失わないのであって、どんなに今、苦しみのただ中にいても、その苦しみに意味が与えられると云う。

>アウシュビップでの生活を描写したフランクルはこう言った。「そのような状況下でさえも、人は誰でも自分が精神的にどうなるのかをきめることができる」

>ヴィクトール・E・フランクルは、「異常な状況に異常に反応するのは正常だ」と言った。私たちの頭の中で起こっていることを考えれば、私たちの行動は正常なのだ。

>私たちの現実に入ってきて、私たちを見たりふれたりしながら、つながってほしい。どこか遠くではない、確実にそこにいてほしい。私たちの心がどこか遠くに行ってしまっていたり、放心していたりしているのではなく、伝達能力と明瞭な思考能力がないために、脳の損傷が作り出した、この奇妙な混乱した世界を表現できない状況に陥っているということをわかってほしい。私たちの経験しているこのような内的現実について考えて、そこにつながってほしい。想像力を使ってほしい。創造力を働かせてほしい。そうして、私たちの世界とあなたの世界を隔てている溝を、またいで乗り越えてほしい。

>私は人生の一瞬一瞬を大切にするが、この地上での私の時間は一番重要なものではない。私がここにいる間に自分ができることは自分でするけれど、そのように私が行動することが一番大切なのではない。私の永遠なる命こそが大切なもので、その命は、私の痴呆の旅を通して、またその旅を超えて、ずっとあるものだ。

→山田邦男氏は「(一般論としては」時は無常ですぐに消え去って行くと考える。しかし、フランクルは全く逆でしてね。一旦起こったことは二度と無くならないと。未来は不確かであるけれども過去は確かだと」。だから、生きる意味というのは、自分の内からだけでは出てこないのであって、自己超越した時に結果として自己実現が可能となると云います。
上記のクリスティーンの言葉「私の永遠なる命こそが大切なもの…またその旅を超えて、ずっとある」命とは、自己超越した時に可能となるのでしょうか。

クリスティーンは、『魂』という言葉もよく使います。

>私たちにわかったことは、「自分が何を言うか、何をするかが私なのではなく、私はただ私である」ということだ。自分が誰かは魂が決めることだ。認知と感情は人生で変化するが、私たちの本質である魂は神の手の内にある。私の魂は、私が母の胎から生まれる前に知られており、私達が塵になったのちもすっと知られ続ける。

>それは外的な認知の仮面から離れ、純粋無垢に戻って行く旅でもある。自分が何をして、どこで働き、どこで暮らして、どんなふうに話し、どんな考えやものの見方をしているかを言葉で他者に伝えようとする世界は、見せかけのものにすぎない。

>私たちの存在の中心にあるのが真の自己で、これが、本当に人間らしい、唯一無二の、生まれながらにして真の人間である部分だ。これが魂の核になる。私たちはこの核から、生まれて落ちてやがて死ぬという人生の意味を引き出すことができる。

>痴呆症の人にとっては、この核がそのまま変わらずに残り、私たちを本当の自分にしていくのである。いつの日か、私が体を曲げてうずくまったまま、自分のまわりのこともわからなくなって、ほとんど機能するかしないかわからないような状態になっても、魂としての自己は生き続ける。この体と私の間にある霊的な関係は、新たな人生へと退いていくだけのことだ。そして、その行く先には天国がある。

→私は正編の紹介(7/2日付ブログ)で、クリスティーンを理解するキーワードは、「身体的、感情的、精神的」この三つの部分ですと述べました。
立命館大学教授の石倉康次氏は「続・クリスティーンさん訪問の記録」の追記で、「クリスティーンは、人間の自我は『精神的な自己』を核に『感情的な自己』、『認知的な自己』が取り巻いており、これら三層の自己で私たちは他者とかかわり合っている、痴呆症の進行につれて『認知的な自己』、『感情的な自己』が弱まっていったとしても『精神的な自己』は最後まで残り、むしろ仮面の部分を脱ぎ捨てより自分らしくなっていくのだと語っている」と云っています。

→「感情的な自己」は、人と人とのつながりの中で生きている自分を感じ取るが、それさえも剥いでいく先には、魂としての自己だけが生き続ける。そして、自己超越したのちには「本当の自分」が自己実現できると云っています。このクリスティーンの到達した考えは、「痴呆」に限定されるものではもはやありません。

→精神科医の小澤勲氏は、次のように語る。
「私は今、肺癌を病んでいる。…告知を受け、命の限りが近いことを知らされた。しかし、最初から大きな動揺もなく、全く平静に事態を受け止めた。自分でも不思議だった。ときどきなぜだろう、と考えることがある。よくわからない。しかし、痴呆を病む人たちとともに生きてきたことと、どこかで深くつながっているように思う。彼らと生きていると、人の生は個を超えていると感じる。そのせいだろうか。私自身も『わたし』へのこだわりが若い頃に比較して格段に少なくなっている。むしろ、つながりの結び目としての自分という感覚の方が強くなっている、といったらよいだろうか。そのつながりは、病を得てからとても強くなっていて、私の残された生を支え、充実したものにしてくれている」。
更に次のように云う。
「つまり、情動の世界は自分の情動世界というより、むしろ人と人とのつながりのなかに、あるいは自然のなかにとけ込んでゆくものではないか、それはどこまでも自分の認知としか感じない認知の世界とは違っているのではないだろうか、と言いたいのである。(略)このような私の感覚は、おそらくクリスティーンさんのいう霊性とどこかでつながっているに違いない」と。

クリスティーンの話に戻そう。

>痴呆を旅するサバイバーとして、私たちは自分の持っている内部者の知識をあなたとわかちあうことができる。「生ける屍」に直面する私たち、自分がなくなっていく怖れから自らを解放するための方法を探している。私たちもかつてはあなたのように「正常である」という感覚を知っていた。私たちはこの私たちの世界と、あなたの世界の両方を知っている。そしてこの新しい痴呆の世界に足を踏み入れた。あたかも二つの文化に精通するように、私たちは、あなたの世界と私たちの世界の間にある溝を踏み越えた。

>あなたの理解と支援があれば、あなたが私たちを助けられるように、助けてさしあげられる。一緒になって歴史を創っていくことができる。私たちの壊れた声に耳を傾け、支離滅裂な思考を理解し、バラバラになった過去と現在の記憶を知る方法を見つけよう。痴呆症を持つ人も、その家族も、まわりでサポートする人びとも、みんな対等なパートナーとして、私たち内部者の知識をわかちあい、ともに力を出し合って行こうではないか。

クリスティーンは「あとがき」で、「途中で何回も、この本を書き終えられないのではないか、と絶望的になった。自分の考えをまとめるためには膨大な労力が必要だった。私は自分のベストを尽くした。あなたに痴呆症があるならば、これを読んで、自分はひとりでないと感じていただけたら幸いである。あなたがケアパートナーならば、私たちをもう少しよく理解していただくことを願いたい」と語っています。

又、「ダンスフロアの真ん中でまぶしいライトが当たる場所から、ずっと端のほうの、リズムがもっとゆっくりと流れ、音楽が静かに甘く響くところまで、移動する時がきた。今はただ静かに座って音楽を聞き、治療を願っていた」と結んでいます。

最後に、クリスティーンはDASNI(国際痴呆症啓発支援ネットワーク)やADI(国際アルツハイマー病協会)の理事までも務めたが、その時のスローガンが「グローバルに考え、ローカルに行動しよう」と云うものだったそうです。
いいスローガンだと思いませんか。


註1:ヴィクトール・E・フランクル(1905~1997年)は、オーストリアのウイーンで生まれる。精神科医だがユダヤ人のため37歳の時にアウシュビッツ強制収容所へ送られる。第二次世界大戦中、四カ所の収容所を経験し、生還した数少ない一人と云われている。
著書にドイツ強制収容所の体験記録『夜と霧』や『人間とは何か』他。
人間としての尊厳を奪われ、死と常に隣り合わせの極限を人は如何に生きる事ができるのかを問い続けた。


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