アモルの明窓浄几

芦屋・仕舞屋・三輪宝…生噛りの話題を机上で整理します。

光市事件懲戒請求訴訟で橋下徹弁護士に賠償命令

2008年10月03日 | 万帳報
知人などから、最近ブログの更新がないようですねと言われる事が時折あります。
当ブログは休眠状態にあり、ブログとはいえない状況ですが、今後も不定期ながら続けて行きたいと思っています。

政治哲学者のハナ・アーレント女史によれば、古代ギリシアの労働感は、下から「労働」(labor)→「仕事」(work)→「活動」(action)とし、単に生きるための生産労働は、人間から自由な時間を奪う卑しいものと考えられて居り、人間を相手にする「活動」、即ち文化的、政治的な活動に参加する事こそが善く生きる事とされていたそうです。
私は労働時間の短縮が、全てに優先すると考えています。
全ての勤労者が年間実働1,600時間で家族を養い生計が立てられる事が、平和につながり平等な社会を形成できると思っています。年間実働1,600時間なんて、絵空事とお思いでしょうか?
国際労働機関は、「世界の永続する平和は、社会正義を基礎としてのみ確立することができる」と云っています。
少なくとも、ILO条約の第1号、第30号条約等の8時間労働制すら未だ批准しない日本政府は、社会正義に反しているのではないでしょうか。私にとって、ブログは「活動」の一部と思っているせいか、ふと、このようなことを思いました。

前置きが長くなりましたが、昨日の広島地裁において、光市事件懲戒請求訴訟での被告人橋下徹弁護士に対し賠償命令が言い渡されました。
詳細は、新聞紙上で、ご存知の事と思い省きますが、今後の焦点はただ一つ。
橋下徹弁護士は記者会見において、地裁の判断は重く受け止める。表現の自由を巡る法解釈を誤っていたが、セカンド・オピニオンということもあり、控訴して高裁のご意見を伺いたいとのこと。
法解釈を誤っていた事を認め、地裁の判断を重く受け止めるといいながら高裁へ上訴するとは如何いうことでしょうか。
第一審の事実審の認定がおかしいとし、不服申し立てとして高裁へ上訴するのが三審制の構成(最高裁は法律審)であるにも関わらず、複数の意見を聞くだけのこと(セカンド・オピニオン)で上訴するとは、本当に弁護士なのかと疑いたくなる発言であり、地裁(ひろくは裁判制度)を舐めているといって言い過ぎではないでしょう。

橋下徹弁護士は、懲戒請求は請求者の自発的意志に基づくものと詭弁を弄し、懲戒請求の意味を熟知した立場である本人は懲戒請求をせず、自身の発言が懲戒請求を誘発したことを否定したが、「橋下氏の発言と懲戒請求との間に因果関係があることは明らか」と判決を言い渡されています。
又、橋下徹弁護士は一度も法廷に姿を見せず、平成19年9月27日の第1回口頭弁論期日から平成20年10月2日の第9回期日(判決日)までの間、代理人弁護士が4回の電話にて出席したのみです。

最初に申し上げた、今後の焦点はただ一つとは、橋下徹弁護士が高裁の法廷に出席するのかどうか、そして如何申し開きをするのかと云うことです。
又、当該テレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」(読売TV)は録画にも関わらず、発言をそのまま放送したとして報道姿勢の責任も問われており、今後のテレビ・メディアの対応も注目されるでしょう。
更に新たな問題提起として、世間が注目する光市事件のような重大な事件において、被告側の弁護人が世間やメディアに対し、その弁護活動について説明し、理解を得なければならないのかという事であり、その場合に被告人との信頼関係や守秘義務が守られるのかと云うことです。

今回の損害賠償請求訴訟事件や光市(母子殺害)事件を考えることは、来年の5月からスタートする裁判員制度に繋がります。
陪審制度とは異なる裁判員制度とはどのようなものなのか、考えてみたいと思います。


追伸:当該、損害賠償請求訴訟事件については、下記の原告懲戒扇動被害弁護団の広報用ページが詳しいです。
光市事件の経緯も掲載されていますが、当被害弁護団は光市事件弁護団との直接の関係はありません。

→ http://wiki.livedoor.jp/keiben/d/FrontPage

又、当弁護団の一人、今枝仁弁護士の書籍『なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか』(扶桑社)には、光市事件の経緯と関わり、そして解任された真相や弁護士の懲戒制度について詳しく述べられています。


最新の画像もっと見る