“別れ”ってのはいつも突然に訪れる。。
それは、こちらが
『願う、願わない』に関わらず、
やって来る。
連立政権を否定され、突然辞任した小沢党首。
衝撃の出会い、突然現れ消えた、“酔っ払った”、
真鍋かおり。
そして、、
なんでもないプレーからユニフォームを脱ぐ事になった、
山下コーダイ。
上記はいずれも、
『11月4日』。
楽しい時間は突然終わりを告げる。
甘美な時間は永遠ではなかった。
真夏の夜の夢。
『なんでもないような事が幸せだったと思う。。♪』
って歌もあるように、、
この日、
私、
山下コーダイはユニフォームを脱ぐ決断を余儀なくさせられる。
その日は、グランドに立つ両チーム22人がチームメイトと言う楽しい試合だった。
サッカーをやり始めてからは13年間。
述べ出場試合、300試合、以上。
やり慣れた芝生のグランドで気のしれた仲間とサッカーする事は、オイにとって、本当に日常の1シーンで、何事もなく試合を終えるのは、120分の映画を観るよりたやすかった。
人生を変えたそのプレーはなんでもないプレーだった。
声を出し、ボールに走って行き、相手を追い掛ける。
そんな、何千回、何万回もやって来たプレーだった。
本当に何でもないプレー。
プレーなんて難しいモノではなく、芝生の上を走ってるだけ。
ボールの行き先が右から左に方向を変え、追い掛けようとした、、
その時、、
グランドのわずかな凹みに左足を取られた気がした。
右、左、一度ずつ揺れた左膝は体を支える事が出来ずに頭から倒れた。
あまりの痛みに一瞬、気を失ったのか、
大ファンである、
“真鍋かおり”
がどういう訳か酔っ払っており、
ソファーに座るオイの上に跨がり、
『大丈夫?大丈夫?』と2回聞いて来た(笑)
・・すると場面はグランドに戻り、むさ苦しい男達がオイの回りを囲んでいた。
尋常じゃない痛みに声を堪えきれない。 。
試合は終わり、自宅に戻る。
『あーあ。
来週の試合出れないかもなぁ。。』
そんな事を思いながら自宅のソファーで足を冷やしていた。
月曜日。
この日から9日連続で委員会が始まり、どうしても病院に行けなかった。
が、思いのほか早く終わり、急いで市役所隣の外科に向かった。
市役所内のたくさんの人から捻挫ですか?
と聞かれ、
『えぇ、まぁ。。もう若くないですね(笑)』等と軽口を叩きながら病院に到着。
レントゲンを撮り、診察。
膝を見て貰い、
腫れすぎてる膝を、
注射器で血を抜き取られる。
先生から、
『ほら』と子供がカブトムシを見せるように、見せられたのが、大きな注射器三本に吸い込まれていたオイの大切な血液だった。
『膝にこれだけの血が溜まってたから、靭帯の断裂は間違いないでしょう』
と先生。
『ふーん。そうですか。
で、
日曜日の試合に間に合いますかね?』
と、コーダイ。
『・・・。』
先生。
一瞬の間をおき、
『手術して治ってもサッカーが出来る保証はありません。』
続けて先生。
『オイ頑丈なんですけど、、、』
コーダイ。
『・・・・。』
先生、コーダイ。
それからの記憶はあんまり無い。
ただ、ただ、
喉が渇き、目の焦点が定まらなかった。
受け付けでお金を支払い処方箋を貰う。
外に出たら、渇水で困っている佐世保市に久しぶりに雨が降っていた。。
水対策委員会に所属する僕は、
『ああ、よかったなぁ。
市長もシンジもこれで一安心だろうなぁ。』
と天を仰ぎ、歩き始めた。
頬に落ちる心地良い雨は、
いつしか、
僕の、
涙に変わった。
それからは人目も憚らずに泣いた。
歩きながら泣いた。
高校生が不思議そうな目で見ていた。
市役所から帰るたくさんの職員さん達とすれ違った。
一人の職員さんが声をかけて来た。
グランドで僕のケガを目の当たりにした職員さんがいた。
痛みでグランド横に横たわってると、
『大丈夫ですか?』と何度も心配そうに声をかけてくれた女性の職員さんだった。
市役所の人だったのか、と言う驚きと、泣き顔を見られた恥ずかしさもあったが、
涙は止まらなかった。
職員さんも事の重大さを知ってくれたのか、
『頑張って下さいね。』
と辛そうな声で励ましの言葉をかけてくれた。
どこをどう歩いたかあまり思い出せない。
我に帰った時、
僕の手には、くしゃくしゃの紙屑になっている、
処方箋が握られてた。。
サッカーは僕を大人にしてくれた。
サッカーは僕に努力を教えてくれた。
サッカーは僕に規律を教えてくれた。
サッカーは僕に試練を与えてくれた。
サッカーは僕に友人を与えてくれた。
サッカーは僕に栄光を与えてくれた。
サッカーは僕に夢を与えてくれた。
サッカーは僕に、
かけがえのない、
最高の仲間を与えてくれた。
サッカーに出会えなかったら、
僕はここにいなかった。。
サッカーを誰よりも愛する僕は、
この日、
ユニフォームを脱ぐ事を決めた。
僕の人生の、
師であり、
親であり、
友人であり、
ライバルであり、
パートナーである、
サッカーに感謝。
サッカーを通して出会えた
“仲間”に感謝。
本当にありがとう。。
Football Liveforever.
4th.NOV.2007
NO.16 山下 こうだい
それは、こちらが
『願う、願わない』に関わらず、
やって来る。
連立政権を否定され、突然辞任した小沢党首。
衝撃の出会い、突然現れ消えた、“酔っ払った”、
真鍋かおり。
そして、、
なんでもないプレーからユニフォームを脱ぐ事になった、
山下コーダイ。
上記はいずれも、
『11月4日』。
楽しい時間は突然終わりを告げる。
甘美な時間は永遠ではなかった。
真夏の夜の夢。
『なんでもないような事が幸せだったと思う。。♪』
って歌もあるように、、
この日、
私、
山下コーダイはユニフォームを脱ぐ決断を余儀なくさせられる。
その日は、グランドに立つ両チーム22人がチームメイトと言う楽しい試合だった。
サッカーをやり始めてからは13年間。
述べ出場試合、300試合、以上。
やり慣れた芝生のグランドで気のしれた仲間とサッカーする事は、オイにとって、本当に日常の1シーンで、何事もなく試合を終えるのは、120分の映画を観るよりたやすかった。
人生を変えたそのプレーはなんでもないプレーだった。
声を出し、ボールに走って行き、相手を追い掛ける。
そんな、何千回、何万回もやって来たプレーだった。
本当に何でもないプレー。
プレーなんて難しいモノではなく、芝生の上を走ってるだけ。
ボールの行き先が右から左に方向を変え、追い掛けようとした、、
その時、、
グランドのわずかな凹みに左足を取られた気がした。
右、左、一度ずつ揺れた左膝は体を支える事が出来ずに頭から倒れた。
あまりの痛みに一瞬、気を失ったのか、
大ファンである、
“真鍋かおり”
がどういう訳か酔っ払っており、
ソファーに座るオイの上に跨がり、
『大丈夫?大丈夫?』と2回聞いて来た(笑)
・・すると場面はグランドに戻り、むさ苦しい男達がオイの回りを囲んでいた。
尋常じゃない痛みに声を堪えきれない。 。
試合は終わり、自宅に戻る。
『あーあ。
来週の試合出れないかもなぁ。。』
そんな事を思いながら自宅のソファーで足を冷やしていた。
月曜日。
この日から9日連続で委員会が始まり、どうしても病院に行けなかった。
が、思いのほか早く終わり、急いで市役所隣の外科に向かった。
市役所内のたくさんの人から捻挫ですか?
と聞かれ、
『えぇ、まぁ。。もう若くないですね(笑)』等と軽口を叩きながら病院に到着。
レントゲンを撮り、診察。
膝を見て貰い、
腫れすぎてる膝を、
注射器で血を抜き取られる。
先生から、
『ほら』と子供がカブトムシを見せるように、見せられたのが、大きな注射器三本に吸い込まれていたオイの大切な血液だった。
『膝にこれだけの血が溜まってたから、靭帯の断裂は間違いないでしょう』
と先生。
『ふーん。そうですか。
で、
日曜日の試合に間に合いますかね?』
と、コーダイ。
『・・・。』
先生。
一瞬の間をおき、
『手術して治ってもサッカーが出来る保証はありません。』
続けて先生。
『オイ頑丈なんですけど、、、』
コーダイ。
『・・・・。』
先生、コーダイ。
それからの記憶はあんまり無い。
ただ、ただ、
喉が渇き、目の焦点が定まらなかった。
受け付けでお金を支払い処方箋を貰う。
外に出たら、渇水で困っている佐世保市に久しぶりに雨が降っていた。。
水対策委員会に所属する僕は、
『ああ、よかったなぁ。
市長もシンジもこれで一安心だろうなぁ。』
と天を仰ぎ、歩き始めた。
頬に落ちる心地良い雨は、
いつしか、
僕の、
涙に変わった。
それからは人目も憚らずに泣いた。
歩きながら泣いた。
高校生が不思議そうな目で見ていた。
市役所から帰るたくさんの職員さん達とすれ違った。
一人の職員さんが声をかけて来た。
グランドで僕のケガを目の当たりにした職員さんがいた。
痛みでグランド横に横たわってると、
『大丈夫ですか?』と何度も心配そうに声をかけてくれた女性の職員さんだった。
市役所の人だったのか、と言う驚きと、泣き顔を見られた恥ずかしさもあったが、
涙は止まらなかった。
職員さんも事の重大さを知ってくれたのか、
『頑張って下さいね。』
と辛そうな声で励ましの言葉をかけてくれた。
どこをどう歩いたかあまり思い出せない。
我に帰った時、
僕の手には、くしゃくしゃの紙屑になっている、
処方箋が握られてた。。
サッカーは僕を大人にしてくれた。
サッカーは僕に努力を教えてくれた。
サッカーは僕に規律を教えてくれた。
サッカーは僕に試練を与えてくれた。
サッカーは僕に友人を与えてくれた。
サッカーは僕に栄光を与えてくれた。
サッカーは僕に夢を与えてくれた。
サッカーは僕に、
かけがえのない、
最高の仲間を与えてくれた。
サッカーに出会えなかったら、
僕はここにいなかった。。
サッカーを誰よりも愛する僕は、
この日、
ユニフォームを脱ぐ事を決めた。
僕の人生の、
師であり、
親であり、
友人であり、
ライバルであり、
パートナーである、
サッカーに感謝。
サッカーを通して出会えた
“仲間”に感謝。
本当にありがとう。。
Football Liveforever.
4th.NOV.2007
NO.16 山下 こうだい
また一緒にサッカーできる日を楽しみにしております☆
コウダイの熱き魂はエスタジ皆で受け継ぎます。
これからも指導、ヨロシクお願いします。
ありがとうございました。
オイの友達であり
オイの兄貴であり
オイの先輩であり
オイの良き理解者です
ホントにサッカーを長い間一緒にしてきて
ホントにたくさんの事を教えてもらいました
これからサッカーが一緒に出来ないと思うと
blogを読んで寂しくなりました
先ずは早く怪我を治して下さい
また笑って楽しく遊びでサッカーがしたい
本意ではない形ですが
お疲れさまでした。
今回を期にユニホームを脱ぐ決断は凄く勇気がいったと思います。
しかも膝の靭帯・・・
私も一昨年前にコーダイさんと全く同じ症状でした。
注射器に満タンの血が3本・・・
痛くて眠れなかったでしょう・・・
痛くて歩けなかったでしょう・・・
私自身も「引退」が頭を過ぎりました・・・
いつも笑顔のコーダイさん
今はジックリ治療に集中して
今度はピッチ外からになりますが元気な御姿を拝見する日を楽しみにしております。
まさかまさか驚いています。
自分も腰と心臓を手術してサッカーすることを諦めていましたが、やっぱりみんなとサッカーがしたいという気持ちだけでまたサッカーをしています。
だから、また手術してサッカーをしましょう。
みんなこーだいさんを待ってます。
うまく言えないですけど、またフライングバッファローブラザーズを組みましょう。
おいのサッカー人生の中で一番サッカーを愛し、サッカーに前向きで、サッカーに厳しい人です。
おいは心の中ではまじでカムバックしてほしいです。
でも、一人のサッカー選手が決意したことだから何も言いません。おいとは、短い間でしたけど、ありがとうございました。
そして、お疲れ様でした。
でも、これからもよろしくお願いします!
おいたいがしっかりせんばですね!
コーダイさん、実は私も同じ経験をしてスポーツが出来なくなりました。始めは、私からスポーツをとったら何も残らないってくらいでしたので、お医者さまから「手術しても運動できるか保証できない」と言われ、絶望から立ち直るのにも時間がかかりました。でも、今リハビリを頑張って大好きな運動が少しずつ出来るようになってきて、お医者さまも“無理は禁物”と応援してくれます。コーダイさんも、今はきっと辛いと思いますが、きっとまた大好きなサッカーが出来ると思います。頑張ってください!!応援してます。
初登場で偉そうなコメント言ってすみません。
でも、本当に応援してます♪
嘘だといってください
またボール蹴りましょう
サッカーが出来なくなっていた私に救いの手を差しのべてくれたのはコーダイさんでした。あの時は本当に泣くくらい嬉しかった。
今の私があるのもコーダイさんがあの時エスタジに誘ってくれたお陰だと今でも思っています。
夢ならさめてほしい。
またいつかボールを蹴って言葉を交わし会いましょう!
フィールドで待っています!
本当にありがとうございました。
そしてお疲れ様でした!
エスタジのNo16は永久欠番です!
これからはサッカーの魂を市議の方で活躍させて、エスタジだけじゃなく佐世保市を引っ張っていって下さい。
応援してます!!
こうだい君から引退の言葉が出るなんて・・・
こうだい君からエスタジに誘ってもらってからのサッカー人生はとても楽しい思い出ばかりです。
だからとても残念です。
今までありがとうございました。
そしてこれからもよろしくお願いします。
こうだい君のサッカーに対する気持ち、最後まで諦めない気持ち、ハートはだれよりも強いはず。
最後まで諦めるなとよく俺も言われました。
必ず復帰する事を願っています。