中国での日本語教師。
学校によって形態は違うが、多くは次のパターンとなる。
中国人教師が文法を教え、日本人教師が会話や聴解を教える。
ただ、聴解に関しては中国人教師が教えることもある。
「では、文字・語彙は?」となるのだが、初級の間は中国人教師が教えることが多い。
日本人教師が教えるとすれば、中級からが多いのではなかろうか。
ここであえて記さなかった読解であるが、初級は中国人教師が教えるかと思えば、日本人教師が教える場合もある。
さて、日本人教師というか日本語母語話者の教える会話であるが、すべての授業が会話につなげることが可能だと自分勝手に思っている。
文字・語彙、読解、聴解に限らず、文法でさえも可能。
ただ、文字・語彙の授業なのに、会話ばかりに展開し過ぎると、1コマで教えられる量が減る。
そして当然これは読解や聴解、文法でも同じこと。
ちなみに私は当初は会話の授業が苦手であった。
なぜかといえば、最初に発音やアクセントにこだわる学校に赴任したからである。
もちろん入替・代入練習も行うのだが、どちらかといえば、日本語母語話者教師に合わせてコーラスさせる手法がメインとなった。
ただ、やはりそれらは学生も面白くない。
そこで会話授業に目を向けなければならなくなった。
自分がその手法を身につけたのは次の学校であった。
とはいえ、初級は1日1課のペースで進むわけであり、そこで本格的なことなどできるはずもない。
聴解もやらなければならないし。
ところが人生は面白いもので、会話に特化したコースを始めることとなった。
その後、最初の学校グループに戻ったのだが、2つ目の学校で身につけたことは大きな武器となった。
ただ、私はどちらかといえば、中級・上級メインの担当であった。
であるからこそ、日本人教師でありながらも文法は知っていた。
その文法を知っているということが会話へとつながったようなもの。
また、中・上級を担当しているからこそ、文字・語彙も大まかに初級、中級、上級の範囲をわかっていた。
会話授業をするのには文法と語彙のコントロールは大切である。
ただし、初級を教える場合はあまり文法に触れなかった。
中国人教師のパートを取ってしまうことになるだけではなく、顔を潰してしまうという理由もあった。
「会話授業」とは一体何であろうか。
一部の学校経営者や夢見る学生が求めるものとはまた違ったりする。
語彙も文法も基礎がないのに、いきなりべらべら自由に話せるわけもない。
ただ、極端なことをいえば、五十音を教えている段階でも会話は可能なのである。
「こんにちは」や「さようなら」ぐらいは五十音の段階で導入することもあるに違いない。
それだけでも会話授業はできる。
実際にそれを前に出てきてもらって行うとなると、やはり学生は緊張する。
すると、簡単なようで簡単ではなくなる。
もっともすでにあれこれわかっている学生にとっては簡単であるが・・・。
ここで私の個人企業秘密を少々記せば、演技していただくのもひとつの手であったりする。
別に演技ということを説明する必要はない。
自分が模範でやってみせれば良いのである。
明るく「おはよう」、元気なく「おはよう」だとか。
ただし、これは多少危険でもある。
やはり挨拶は元気よく行いたいものであるので。
まあ、私であれば、「明るく」、「元気なく」だけでどっと笑わせる自信があるけれども・・・。
のせてしまえばこちらのもの。
もちろん「くだらん・・・」と思う学生もいるに違いないわけであり、最初から全員をのせることは難しいけれど・・・。
長々と記したが、本題に入る前に・・・。
中国人教師に会話授業ができないかといえば、そうではなく、拍手を送りたくなるぐらい上手にやってしまう方もいらっしゃる。
やはり自分自身が日本語学習者であったことは大きい。
さらには日系企業で働いた経験があったり、日本に留学した経験があったりすれば、それは素敵なことをやらかしてくださる。
さて、本題。
最近私自身が英語を身につけるためにけっこう力を入れていることを記している。
すっと、瞬間英作文ができない理由のひとつとして、文法をいまいち把握していないことが挙げられる。
しかし、それを把握するにあたって、真剣にテキストを見詰める必要もなかったりする。
中学、高校と勉強してきているし、自身が日本語教師という言葉の先生であり、数回繰り返すと、自然に文法が読めてくる。
似たようなことの違いさえ分かってしまう。
今勉強しているのは中学校範囲であるのだが、けっこう忘れている文法は多いのに・・・。
今も日本語を瞬間的に英語にしようとしても、口から中国語が出てくることは多い。
部分的だけならともかくとして、全文中国語になることさえある。
最初はそれでけっこう落ち込んだ。
しかし、今は気にしていない。
ハハハと笑って気持ちを切り替える。
諦めずに繰り返していけば、自然に英語が口から出てくるようになると信じている。
そしておそらく中国語を忘れることはないかと思っている。
もちろん逆に中国語ではなく、英語が口から出てくることはあるかもしれないが、それは退化ではなく、進化につながるものだと考えたい。
今とは違う状態になるために、私はひとりで演技しつつ瞬間英作文を行うことがある。