あまぐりころころ

主に漫画やゲーム等の感想や考察を。
時に旅行記等も交えながらの、のんびりのほほんブログ。

夜は明ける。想いは不滅。

2020-12-04 23:50:00 | 鬼滅の刃

 とうとう今日という日がやってきてしまいました。

 『鬼滅の刃』最終巻の発売日が。

 

 幸い今日は休みだったので、病院の後に本屋に行き至って滞りなくゲット。
 ま。
 約半年前に予約してましたからね☆

 午前中に行ったのですが、さすがは社会現象作品の最終巻。
 同時発売の外伝共々すでにカワイイ数しか残っていませんでした。(^^;;;A)



 そんなわけで既に現物は手にしているのですが・・・・
 実はまだ一切目を通していません。

 目を通してしまったら、何も書けなくなってしまいそうで。

 色んな感情で胸が一杯になってしまい、文章として表現することも。気持ちを纏めることも。出来なくなりそうなので。

 

 

 なので今回は。

 

 『鬼滅の刃 煉獄杏寿郎 特別読切』についての感想を述べさせていただきます!!

 

 

 

 人気最高潮の真っ只中で連載終了になってしまった原作でしたが、それから約5ヶ月。

 吾峠先生が再び筆を取ってくださいました!!!!!(><。)

 私個人としては「吾峠先生はもう、色々と疲れ切ってしまわれたのだろう・・・。筆をお取りになられることはもう無いだろう・・・。」と諦めきってしまっていたので、読切を執筆してくださったと知った時はにわかには信じられないほどでした。
 正直、この件で原作終了のダメージが一気に救われたぐらいです。
 人間希望を捨ててはいけませんね・・・やはり。

 

 そんな読切の内容はというと、今回の劇場版のもう一人の主役である煉獄杏寿郎が鬼殺隊になって初の任務に赴いた時のエピソードが描かれておりました。
 この作品を読んだ感想を一言で述べさせていただくならば

漫画家吾峠呼世晴氏健在也。

 これに尽きます。

 

 

 

 今回のエピソードで私が煉獄さんに感じたのは、ある種の自信の無さ。

 扉絵のあの表情からしてもそうだったのですが、今作の煉獄さんは「哀愁」といったものが印象強く感じられました。
 本編では既に[柱]として、立派な大人として、自信に満ちた姿で戦っていた煉獄さん。
 ですがどんなに凄い人でもそこに至るまでには多くの積み重ねがあり、「初心者」や「未熟者」、「未経験者」といった過程を経ているもの。
 今作は煉獄さんが鬼殺隊士になって初めての任務という「未経験」を通して、「真っ直ぐさ」だけではない彼の「深さ」についてより掘り下げられたストーリーになっていたと思います。

 煉獄さんの人物像における主なイメージはまず「熱さ」。
 そして「真っぐさ」「深さ」が挙げられます。
 あくまで私の考えですが、真っ直ぐな人ほど「目標となるもの」が必要だと思うんですよね。
 「目標となるもの」を失ってしまうと折れてしまったり歪んでしまったりする。そしてその失墜は真っ直ぐな者ほど、情熱が強い者ほど大きい。
 槇寿郎がそうであったように。

 

 それまでは父親である槇寿郎を目標に努力を重ねてきたに違いないであろう煉獄さん。
 ですがそんな父親が変わってしまい、あまつさえ当人から己の才や夢を否定されてしまったという。
 母親を亡くしただけでなく父親からまでもそんな酷い言葉を受けてしまい、その内心はきっと悲しみや寂しさや戸惑いが大きかったことでしょう。
 煉獄さんも当時はまだ十代という若い身であったのですから。

 ですが「兄」として、そんな心の内は微塵も見せずに弟の千寿郎君を力強く励ます煉獄さん。
 炭治郎もそうですが、煉獄さんも「長男としての責務」をしっかり背負っている人物ですよね・・・。
 色々なものを背負いながらも、その重さに潰れることなく他者を支えることが出来る人は本当の意味で強い人だと、そう私は思っています。

 

 「あなたのようになりたい」と同期達や千寿郎君から言われる煉獄さん。
 ですが槇寿郎がああなってしまった今、煉獄さん自身は「自分がなりたい人物」がいなかったという。
 同期達や千寿郎君に言われた時も、ひょっとしたら「果たして自分は誰かから目標にされるのに足る人物なのだろうか?」という疑問があったかもしれません。

 そして同期達へ「頑張ろう」という言葉を掛けるのに一瞬躊躇したことも。
 鬼殺隊に身を置くということは常に死と隣り合わせの世界に身を置くということと同義。
 そのような世界で「頑張ろう」と言うことは、自ら危険に飛びこむことを応援するということなのですから。

 鬼に特別な恨みを抱いているわけでもなく、「長男」として家督を継いだという理由だけで鬼殺隊に身を置いている自分。
 他の隊士達と比べて自分は“死”への覚悟が出来ているだろうか。
 最期まで戦いきれるだろうか。
 守りきれるだろうか。
 そんな“死”と“戦うこと”への不安の中、ふと思い浮かんだのが父親への思慮。
 死なせたくないから父親は自分達に冷たくなったのではないか、と。

 なんという優しい思慮・・・!(><。)

 あんな酷い言われ方をされたら嫌悪や反発を抱いてもなんらおかしくは無いというのに、それでも父親を信じようとしているこの煉獄さんの思慮にはもう言葉が出ませんでした。
 本当にこの『鬼滅の刃』という作品は、炭治郎をはじめとした各キャラクター達の優しさのレベルに心底驚かされます。
 しかも「父の気持ちは父にしか解らないけれど」、と己の一方的な考えになっていないのがまた思慮深い・・・!!
 真っ直ぐさだけではないこの思慮深さが[煉獄 杏寿郎]というキャラクターの味わいをより一層深めていますよね。

 

 

 そんな色々な胸中のなか、任務の地で煉獄さんが眼の当たりにしたのは―――凄惨な状況。
 その中には煉獄さんが先程まで思いを馳せていた同期達の姿も。

 「つい先日笑いあった仲間が死ぬのはよくある話」
 初任務にして、鬼殺隊の過酷な“宿命”を突き付けられた煉獄さん。

 そんな絶望の中、かろうじて生き残っていたのが一人の子供。
 多くを失いながらも仲間達が精一杯守り通した小さな希望。

 怒りに燃える煉獄さんは鬼に斬りかかるものの・・・

 うわあ~~~なんともいやらしい力・・・!!
 鬼の術ってこういった一癖も二癖もあるものがほとんどですよね。
 猗窩座みたいにストレートなパワータイプの方が珍しいぐらいですよ。

 咄嗟に耳を塞ぐ煉獄さん。
 ですが両耳を手で塞いだ状態では刀を振るう事が出来ません。
 鬼殺隊の“弱点”を突いている、鬼のこの戦術は何気に巧妙。
 この攻撃封じは玉壺の【水獄鉢】に通じるものがあります。
 玉壺の場合は「呼吸」を封じていましたが、今回の鬼は刀を振るう「手」を封じたという。

 耳から手を離したら思うように動けなくなる。
 かといって耳を塞いだままでは戦えない。
 まさに生死の掛かった選択を迫られる煉獄さん。

 そんな切迫した状況の中、煉獄さんが思ったのは―――

 人生は選ぶことの繰り返し けれども選択肢は無限にあるわけではなく 考える時間も無限にあるわけではない 刹那で選び取ったものがその人を形作っていく

 

  ・・・実は、以前から思っていたことがあります。
 吾峠先生って「無限」という言葉をかなり多用なさっておられますよね?
 今回の劇場版の主な舞台となる汽車が「無限列車」という名前であることをはじめ、
 霞柱:時任無一郎の名前の由来も「無限」の無から。
 そして無惨の根城も「無限城」という。

 これらは単なる偶然なのかもしれませんけどね。
 実際私は当初無限列車の「無限」は「夢幻」を暗示しているものと思っていましたし。(なのでよく入力ミスしそうになる/爆)
 「無限」の意味、それは「終わりの無いもの」。
 「無限」の時を、「無限」の命を得ている者、それが鬼。
 対して人間は「刹那」の生き物。
 吾峠先生は「無限」という言葉を、鬼からすれば永遠を示唆するものとして、そして人間にとっては可能性を示唆するものとしてこれほど多用していたのかもしれません。

 「無限」の時と命を有している存在故に、余裕という怠惰から心を燃やすことも魂を輝かせることも決してない鬼。
 「刹那」の時と命の存在故に、その瞬間瞬間に真剣に向き合わなければならないからこそ心を鮮やかに燃やし、魂を輝かせられるのが人間。
 煉獄さんのここ一連の独白はまさに劇場版の「人間という儚い生き物の美しさ」に繋がる言葉ですよね。

 本当に煉獄さんを通した吾峠先生のこの考え方・・・泣きそうになります。





 「そうだろう みんな」

 

 独白による情感を溜めて溜めて放たれる、逆転の一撃。
 堪りません。(><)


 放たれたのは【伍ノ型:炎虎】。
 ・・・ですよね?原作当時とはデザインが異なっていますが。
 原作当時の方が猛々しい感じになっているのは、煉獄さんの腕があれから更に上がったことを表しているのかも。



 何故煉獄さんは鬼の術に掛かることなく動けたのか。
 それは鬼の視点から明かされます。
 ああ~~~!!そうだったのか!!と驚きっぱなし。感心しっぱなし。
 やっぱり吾峠先生は凄い。
 いたって自然と思われるような行動に伏線を仕込んでいるのが巧すぎます。

 ですがその判断は煉獄さん一人では不可能でした。
 煉獄さんが起死回生の判断がとれたのは、仲間達が命を懸けて“託してくれたから”。

 

 

 才能が無ければ誰かを助けようとする努力も心にも価値は無いのかーーー
 煉獄さんの迷いを晴らしたもの。
 それは仲間達の“魂”だったという。

 

 「あなたのようになりたい」と自分を目指してくれていた同期達。
 ですが煉獄さんにとっては、そんな同期達が「自分がなりたい人物」となることに。

 

 

 同期達から煉獄さんへと託された決意と想い。

 そして・・・


 煉獄さんもまた、託していくわけです・・・

 

 日輪の少年へと。

 

 

 

 


 

 

 

 いや~~~~~・・・もう。

 劇場版公開記念としてこのような話を書き上げてくださるなんて・・・。

 頭を抱えてしまいました。
 もうなんて感謝の言葉を述べてよいものやら・・・。

 

 「兄上みたいになります」
 「貴方みたいになりたいです」
 「君たちのような立派な人に いつかきっと俺もなりたい」

 「こんな所でつまずいているような俺は 俺は・・・ 煉獄さんみたいになれるのかなあ・・・」

 繋がっていく「あの人のようになりたい」という想い。
 その想いがどう結実していくか。
 それを私達読者はちゃんと見届けることが出来たわけです。

 

 

 連載を終え、しばらくの間何も音沙汰の無かった吾峠先生。
 ですがその手腕は些かも衰えてはおられませんでした。
 敵の造形をはじめとした怪奇的世界観。
 徹底的に容赦無い残酷な展開。
 独白を中心にした文章説明。
 丁寧に敷きつつも驚かされる伏線。
 テンポの良い構成。
 なにより。
 深い思慮と優しさに満ちた“想い”の描写。


 読み返せば読み返すほど泣きそうになります。
 劇場版を見た後なら一層。
 原作最終話を読んだ後なら殊の外。
 なんというか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・嬉しくて。

 

 

 

 ・・・終わるだなんて全く思っていなかっただけにショックが大きすぎて。
 最終回を迎えた時に言えなかった言葉がありました。

 ですが。

 またこうして吾峠先生の『鬼滅の刃』と再会することが出来て。
 ようやく言うことが出来ます。

 

 

吾峠呼世晴先生!!!
『鬼滅の刃』の連載を無事に終えられ、
これまで本当にお疲れ様でした!!!

本当に本当にありがとう
ございました!!!!!


『鬼滅の刃』に出会えて
良かった!!!!!!!

 



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