不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

La cerimonia del te a Modena

2004-05-23 16:24:32 | 日記・エッセイ・コラム
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イタリアの穀倉地帯といわれるエミリア・ロマーニャ州。
ボローニャから電車だったら
40分くらいのところにあるモデナ(Modena)。
郊外にはフェッラーリやマセラーティの
本社、工場、博物館などがあるので車好きには有名な街。
世界の3大テノールに数えられ、最近はタダの太ったおじさん?と
見紛うほどになったルチアーノ・パバロッティの生まれた街。
(パバロッティの生家は今はもうないそうです。現地談)
そしてバルサミコ酢の発祥の地でもある街。

それなのに、なぜかあまり観光資源がないので
急ぎ足の日本人観光客が足を止めない街でもあります。
実際私もこれまであまり用向きがなったので、
ほぼ初めて訪れることに。
(いや、駅には行ったことがあったんだけど、
あまりにも寒かったので、街に出るのをあきらめた経験があり・・・)

以前にも書きましたが
友人で茶道の師匠がモデナに招かれて
茶道のエキシビションをするということで
結局、私は諸般の理由で日曜日だけの参加となり、
実際のエキシビションには参加せずに裏方手伝いをしてきました。
(私は表に出ない、こういう仕事が向いているようで)

師匠を含めエキシビションに参加する友人たちは
土曜日に電車でモデナ入り。
一方私は、日曜日朝8時半、
フィレンツェでレンタカーを借りて一人モデナへ。
当日フィレンツェの空は薄く雲がかかり、
なんだかすっきりしないお天気。
レンタカーは予約していたサイズの車が出払っていて
(じゃぁ、何のための予約だろう??)
ちょっと大きめのステーションワゴン(ルノー・ラグーナでした)を入手。
フィレンツェからボローニャに向かう高速道路は「真の峠道」。
車幅が狭い上にカーブが多いので、余裕をもって出発。
途中霧が出てきて、いよいよ雲行きも怪しくなり
今日の野点はどうなるのだ??という不安を抱えて北上。
ボローニャを越えると
広い3車線・4車線道路になりモデナまでは一息。
モデナ南インターで降りてから街まで更に20キロの表示。
そんなに遠いのか・・・高速降りてから。

街中に入ったはいいけれど目指す庭園まで全然辿り着かない。
途中何度も道を尋ねましたが、
最初に捕まえた3人は見事に「土地の人間」ではない人で
「知りません」という答え。
驚き。
(イタリア人にしては珍しい!!なぜか知りたい人はこちら
結局車で彷徨っているうちになんとなく到着。
そんなのでいいのか…。

天気は曇りで肌寒いモデナ。
着物でエキシビションには厳しいのでは?と思いつつ師匠を探す。
なかなか見つからない・・・。
今日は探し物は見つけるには時間がかかる日らしい。

合流して午前中一回、午後二回のエキシビションをこなしました。
といってもその間
私は愛想笑いとちょっとした説明をイタリア人にしただけで
特に何もしていなかったのですが・・・。

エキシビション用に誂えられた(のかどうかは謎)舞台。
60-70センチほどの高さの広ぉい舞台。
殺風景な感じですが、着物が映えてよいということで・・・。
舞台の前には椅子が並べられて観客はそこから眺めるという感じ。
ものめずらしさからか結構人が集まります。
一通りのエキシビションが終わると
毎回希望者にはお茶の振る舞いがあります。
興味深そうにみていたイタリア人のうち半数から3分の2くらいまでは
残ってお茶を飲んでみたいというので、これまたびっくり。
(もっと少ないと思っていたのです。)

御茶請とお茶を堪能するイタリア人。妙なものです。
エキシビションの中でお茶碗をまわしているのを
じっと観察していた人々は
「自分もやってみたい」衝動に駆られるようで
見よう見真似でやっている人もちらほら。
イタリア語で改めて説明されると納得しながら茶碗回し実践。
そして最後飲みきる時には音を立ててというところで
イタリア人(モデナ人)の反応は真っ二つに!

1.お行儀悪いので絶対できない
2.興味深いのでやってみる

イタリアだけでなく、欧米の食文化では
食事の際に音をたてるのはタブー。
子供の頃からきつく言い聞かされているので、
絶対にできないという人も多いのです。
それはそれで仕方のないことです。それぞれの文化ですから。
そこで説明をします。
師匠に飲み終わったことを知らせるための合図でもあるし、
日本の文化では不作法にはならないと。
その説明で納得してチャレンジする人が大半です。
興味本位であっても
異文化に触れようとするのはとてもいいことだし、
それが何かのきっかけになれば
私たちにとっても嬉しいことですね。

でも中には受け入れられない人もいます。
まず
「お茶がまずい」と平気で言ったりします。
「お茶請けの甘さが物足りない」と訴える人がいます。
「音たてるなんて野蛮」と否定する人がいます。
そして
何も言わずに苦虫を噛み潰したような顔をする人がいます。
(お茶がお口に合わないのね・・・)
もちろん
最初から試してみようという好奇心すら抱かない人だっています。

確かに異文化のもの、初めて味わうものですから
とんでもない味に感じても、それは当然のことだと私は思うのです。
問題はそのあとの反応。

異文化を別の文化だからとそのよさを認められるかどうか。
そこに人間の器の大きさってあるのかなぁと思います。
他人を受け入れる寛大さ。

私は自分で好きでこの国に来たので、
文句をいいながらも
この国のしきたりややり方を受け入れています。

そういうことじゃないのかな。
自分とは違うもの。
文句も言いたくなるけど、でもそのよさを探して受け入れる。
その一連の行為の中で学ぶことがたくさんあるのですから。




Il Trippone

2004-05-22 14:43:20 | Billy,Layla e Ciccino
ねこにゃ
「まだまだ一番な猫」にトラックバック



cic01.JPG
私のPCの後ろで長く寝そべるチッチーノ。
そこが暖かいのはよくわかるし
そこで寝てしまいたい気持ちもよくわかるんだけど、
デブチンが放熱を妨げるので
PCは途中で熱を持ちすぎて
ファンがすごい勢いでまわり出すのでやめていただきたい…。(願)

私だって負けずにPCと壁の隙間をできるだけ狭めてみたり
微々たる努力をしているので
必ずしも毎回こうなっているわけではないけれど。

頭はなんとか入っても
腰周りが裏側に入り込めないっていうのはどうかと思うよ・・・。

うちに着たばかりの頃の小ぶりさにくらくらして
チッチーノ(Ciccino)なんてかわいらしい名前をつけたけど、
今となってはその名前が恥ずかしいほど大きくなって・・・。
改名したいよ、トリッポーネ(Tirippone)に。

もらわれてきたばかりの時はぎすぎすに痩せていて
色々小さな病気を抱えていたせいもあって
獣医さんにも「生きられたら奇跡」とまで言われていたのに。
だからね、痩せているよりは
ちょっとふくよかでもいいよと思うんだけど
先住犬のビリーより大きくなるとは誰も予想しなかったよ・・・。

これからはくれぐれも
成人病にかからないように気をつけようね、チッチーノ。


La conclusione , prima di tutto

2004-05-22 00:58:44 | うんちく・小ネタ
J-tentenさんのJ'sてんてんてまり
の「先に結論ありき」にトラックバック。

イタリア語も他のヨーロッパ言語と同じように
まず先に主語(動詞の活用によって推し量られるため
省略されることが多々ありますが)、
そして否定の場合は否定句が来て、動詞。
そのあとにやたら滅多に言葉を足して修飾していくわけです。
つまり文の始めで
すっかりそのフレーズの骨組みは完成するわけです。

日本語は逆。
最後の最後まで聞かないと
「肯定」であったのか「否定」であったのかわからない仕組み。
この曖昧さが日本語の表現を豊かにしているともいえますが。

しかし、この差は大きいですよね。
まず通訳なんかしていると非常に難しい。
イタリア語から日本語に訳すのは比較的楽なんですよ。
最初に「肯定」か否かがはっきりするので
日本語にしたときには
最後で調整してあげればいいのです、文末で。

ところが逆の場合は
日本語を最後まで聞いて確認して
イタリア語にしないと
まったく逆のことを言ってしまうという罠に
はまる可能性があります。
なので、同時通訳はできかねる(と私は思う)のです。

最近では回りくどい日本語の言い回しを聞いていると
(二重否定とかねぇ)
「さて、今のは何を意味していたのだ??」
と思考回路が一瞬とまってしまうことがあります。
で、イタリア語にしてしまうと
ただの肯定文(ちょっと強調つき)に成り下がっていたりして
それこそ、こういうニュアンスじゃなぁいと
地団駄踏むことになります。

j-tentenさんのところでは
この構文の静岡弁に関して説明があるのです。
私も静岡県民。
はて、そういう使い方をしているかしら?
いわゆる倒置的強調構文だと思うんですけどね。
気づかないうちに使っているんでしょうね、きっと。
ということは静岡県民は実は外国語の習得に向いているのか?


Il transito di Venre sul Sole

2004-05-22 00:06:10 | 日記・エッセイ・コラム
先ほど読んでいた記事の中に
ローマに新しいプラネタリウムが完成して
5月26日にオープニングパーティーとか。
私的にはイタリア人とプラネタリウムという組み合わせが
あまりしっくりこないのですが
それは偏見ってモノなのでしょうか…。

そしてついでに6月8日に起きる
天文学的現象についても読んでみました。
なんと124年ぶりの大イベントらしいですね。
(因みに世界では122年ぶり、日本は130年ぶりだそうです)
だいたい250年に四回の割合で生じる現象なんだそうですが。
金星が太陽の上を通り過ぎるのだそうです。
もちろん太陽ですから直視は危険でしょうけど、
ちょっとそんな大イベントなら見てみたいなぁと思ったりして。
太陽の上を小さな黒いものが動いていくわけですよ。
ちょっと気持ち悪い。
今だからこそ、それこそ技術が発達して知識も身についたから
「そういう現象です。」「貴重です。」
といって納得するけれど、
大昔、そんなこと知らない時代には
とてつもなく恐ろしい現象だったんでしょうねぇ。
悪魔がやってくるとか、不吉な知らせとかそういう…。

日本では午後2時過ぎから日没まで観測できるようですが、
イタリアでは朝7:20から約3時間の観測が可能なようです。
イタリアでの観測の様子はこちら
オンライン中継の予定らしいです。



La dificolta'

2004-05-21 14:14:42 | 日記・エッセイ・コラム
ココロに小さなしあわせを
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海外で暮らすって考えたときに
やはりコミュニケーションツールとしての言語は必要。
でもこれが目的ではなくて、あくまで手段・ツールなわけで
あまり固執する必要はないのですが。

9年もいればさすがに日常生活やちょっとしたトラブルでは
困らないくらいのイタリア語ができるようになりますが、
来た当初は辛かった・・・。
とりわけ私は例外的にヘレンケラー状態が長かったのです。
読み書きは相当できて、相手の言っていることもわかるのに
1年半にも及ぶ長い間、自分の伝えたいことが伝えられずに
イタリア人には「こいつは自分の意見のない奴」と
冷たい目で見られたことも何度もありました。
それがある日、ぱぁっと世界が開けて、
突然喋るようになっちゃったんですけどね。
子供と同じなのかも。
溜め込んでいた単語がある日突然
堰を切ったように口をついて出るようになるみたいな・・・。

神様に触発されて
12歳の頃にイタリアに行くことを心に決めた私は
何の疑いもなくイタリア語を習得するために
若かりし頃を費やしたわけです。
イタリア語に辿り着くまでの手段として
つまり大学に入るために、英語がなくてはいけなかったので
英語も人一倍学んだはずなのに、
イタリア語を入れたとたんに脳みそから追い出されていき、
今ではとても「英語ができます」なんていえない状況に。

先日もたまたま英語で話さなくてはならない状況になったとき、
すごく単純なフレーズ、出てこない・・・。
「私はフィレンツェで駅の近くに住んでいます」たったこれだけ。
なのに・・・、
I live in Florence e vicino alla staione.
後半はみごとにイタリア語じゃないか・・・。
まぁね、だいたいにしてこういう感じです。
英語だろうとフランス語だろうと、
頑張ってフレーズを叩き込んで喋ろうと思っても
とにかく途中からイタリア語になってしまう。

不思議なことに日本語にはならないわけですよ。途中から。
却って途中から日本語にしようと思うとやたら難しい。
それは母国語と後に習得した言語との大きな差なんでしょうね。
私の脳みその中では
日本語はちゃんと一つの箱の中に納まっていて
他の情報と交じり合うことはないけれど、
外国語はどうも一つの大きな箱の中で同居していて
その中でイタリア語占める比率が高くなって
他の言語を追いやっているので、
探し出すのに時間がかかる。

そして日本とイタリアという二つの違う文化の中で
発達してきた言葉の間には深い溝もあり
単純に置き換えられない言葉やニュアンスがたくさんあるのです。
だからイタリア語で話すとき、
自分の感情を十分に表現できないって
地団駄踏んじゃう時だってあるんです。
日本語だったらこういう感じなのにぃって。
その逆も然りですが。


そして、なんでだかわからないけど、
さっきまで使っていた単語が突然思い出せなくなったりすることも。
あ、これは外国語だから云々ではなく
タダの記憶喪失、ボケの始まりかも?(笑)