不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Anno di Machiavelli

2013-02-20 22:46:00 | アート・文化
貴族や富裕商人が華美な生活を送り
理想主義にふけっていたルネッサンス時期のフィレンツェで
非常に現実的なものの捉え方をして
当時は時代の先を行くとも思われた政治理論を唱えた
ニコロ・マキアヴェッリ(Niccolo Machiavelli)。

マキアヴェッリが生きた時代のフィレンツェは
メディチ家による政権が安定する前の変動の時代で
共和主義者であった彼自身は時代に翻弄され
政治家としては不遇な時期を長く経験しています。
メディチ家が実質的な政権を掌握してからは
徐々にメディチ家との関係を築き上げていき
それによって共和主義の仲間からは
裏切り者扱いされることもありました。

1512年はフィレンツェは激動の年でもありました。
長年亡命生活を強いられていたメディチ家は
フィレンツェに戻り
当時の共和国政の行政長官であった
ソデリーニ(Soderini)はフィレンツェを去り、
フィレンツェに新政権が生まれました。
ソデリーニ政権の秘書官・外国大使などの重職にあった
マキアヴェッリの運命も大きく変わります。

この時期に反メディチ勢力が企てたとされる陰謀計画。
その陰謀計画に加担する可能性がある人物の名前を
記したメモを
ボスコリ(Boscoli)氏が不用意に紛失し
そのメモがやがて警察の手に渡ったことで
約20名の市民がメディチ家陰謀計画に
関わったということで逮捕され、
首謀者は斬首刑、
残りのメンバーも拷問にかけられるという事件がありました。
このリストの中に
共和制推進のマキアヴェッリの名前もありました。

警察がマキアヴェッリの当時暮らしていた
グッチャルディーニ通り(Via Gucciardini)の
邸宅に出向いたとき
偶然だったのか、
はたまた知らせを事前に知って身を隠したのかわかりませんが
マキアヴェッリは不在で、そのため指名手配となります。
マキアヴェッリの所在を知るものは
誰でも1時間以内に通報すること、
もしくはマキアヴェッリ本人は自首すること。
1513年2月19日、布告役人が
ニコロ・マキアヴェッリの指名手配の通達を
フィレンツェ市中50箇所に触れて回りました。

このときの褒賞は12フィオリーニで
当時の同様の指名手配の褒賞に比べるとかなり高かったようです。
1フィオリーノは純金3,54グラムで
現在の価値にすると120ユーロ程度ということで、
約1400ユーロが
マキアヴェッリの首にかけられたということになります。
逆にマキアヴェッリをかくまった者は
反逆罪となり全財産差し押さえの刑に処されるということでした。

マキアヴェッリは自分を大事にしてくれる人々や
慕ってくれる人々に迷惑をかけないために
同日中に自首しています。
当時刑務所としても機能していたバルジェッロに連行され
そこで軽度の拷問にかけられたようですが、
実際には彼自身はこの陰謀計画に加担はしていなかったと
現在は考えられています。

2013年はこのマキアヴェッリ指名手配から500年で
2月19日には特別な古式仮装行列が市内を練り歩きました。
通常と異なるのは布告役人に扮した交通警察騎馬隊員が
彼の住居のあったグッチャルディーニ通り、
彼の職場であったヴェッキオ宮殿のあるシニョリア広場、
そして連行され拷問を受けたバルジェッロ宮殿など
市内5箇所で、マキアヴェッリ指名手配の通達を行った点。

この日から公式に「マキアヴェッリ年」が始まり、
フィレンツェでは2013年は
マキアヴェッリにまつわる
各種イベントや展示が予定されています。

生涯を通して、時代にあったよりよい政治を行うために
必要なことを考え続けた政治家ではありましたが、
当時その理念が認められる機会は少なかったように思います。
この機会に彼の政治家としての経歴などを
もう一度振り返ってみようかなと思います。


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