不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Fine dell'anno 2015

2015-12-31 13:53:07 | 日記

2015年を振り返ってよかったこと
・2回イタリアに戻ったこと
・ローマ教皇のミサに参列できたこと
・24時間断食を始めたこと
・ジムに通い始めたこと
・仕事でそれなりに結果を残したこと

2015年の反省点
・活字は山ほど読んだけれど、読書は少なかった
・140文字に逃げて長い文章を書かなかった

そんな今年一年、
「寛容」という言葉をよく使った気がするな。

日本に戻って2年、
未だ日本の社会に馴染めず、
違和感を感じながらリハビリしている気分で
相変わらず過ごしているけれど、
そんな中でイタリア社会のもつ「寛容性」を
ことあるごとに思い起こすことになり。

今年は巡り合わせで、素敵な人と共有できる時間が増え
さまざまな機会も与えてもらい、
その中で、
私の大好きな吉川晃司について、
イタリアについて話をさせていただいたことで
自分の中できちんと確立されることなく、同化しているものと
きちんと向き合い、いろいろ捏ねなおす機会に恵まれたのも
「寛容性」について考えるきっかけだったのかも。 

昨今の日本は
ストレスのせいなのか、ツールの普及のせいなのか
とにかく責任転嫁と一億総批評の感じが益々強まっていて
自分とは異なるものやグループ、
マイノリティを批判することによって
ある種の安心感を得ている人が多くなっているのかな。
減点法での評価方法に傾倒しがちな人も多いし
そういう減点法が知らず知らずに
人々の中にセットされてしまうことで
さらに負の力を生み、悪循環が繰り返されているような、そんな感じ。

吉川さんが夏に
マイノリティであることを恐れるな、と言っていたことを思い出す。
私は幼い頃から常にみんなと同じことができなくて、
はみ出たり、飛び出たり。
今となっては、
どちらかといえばマイノリティであることに安住しているので、
この一言は私にとっては新たな追い風でもあったわけだけれど、
その理由付けが新しい発見だったのだ。
「1億2000万人の1%ってマイノリティだよね。
でも1億2000万人の1%って120万人だよ。
今120万枚CD売れたら大ヒットよ。」
そうたとえ日本中で1%であったとしても120万。
マイノリティって言われても
別に恐れるような数字じゃない気がするじゃない。
だから他人とくらべたりせず、
自分がやりたいようにやっていても、それでいいんだと思うし、
99人がNoと言っても
1人がYesと言ってくれたら、それで充分なわけで。

人間はそれぞれ違う個性であって、
そこに上下関係はないわけだし、
それぞれの役割があって、
隣の人と必ずしも同じ役割をもたされているわけじゃないんだから。

そうした違いを受け入れることも寛容性の一つ。
一人一人がもう少しづつ、
違う立場の相手を思いやることができたら
世界はもう一歩平和に近づけるような気がするんだよね。

2015年の年の瀬に考えたことはそんなこと。



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