不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Lisa Gherardini

2011-05-04 18:19:01 | アート・文化

Lisa Gherardini(リザ・ゲラルディーニ)は
1400年代後半から1500年代前半にかけて
フィレンツェに生きた女性。
Giorgio Vasari(ジョルジョ・ヴァザーリ)が
モナリザ(Monna Lisa)のモデルであると指摘してから
長らく議論が続けられていましたが、
2005年にその説が裏付けられ、
正式にモナリザモデルとされた女性です。

フィレンツェの裕福な商人であった
Antonmaria di Noldo Gherardini
(アントンマリア・ディ・ノルド・ゲラルディーニ)は
Lisaの母親と結婚する前に
二人の妻を出産事故で相次いで亡くしています。
Lisaが生まれた頃には
フィレンツェ郊外で農業を営んでおり、
決して不自由はないものの裕福な生活ではなかったようです。
Lisaは幼少時代、
サンタ・クローチェ教会周辺で育ち
近所にはLeonardoの父、
Piero da Vinci(ピエロ・ダ・ヴィンチ)の住居もありました。

1495年、15歳の時に
義祖父Mariotto(マリオット)の仲介により
Francesco di Bartolomeo di Zanobi del Giocondo
(フランチェスコ・ディ・バルトロメオ・ディ・ザノービ・ディ・ジョコンド)
のもとに嫁ぎます。
Lisaの父の二人目の妻(つまりLisaの義理の母に当たる女性)と
Francescoの最初の妻は共にRuccerai家の出身で
Lisaに結婚を勧めた義祖父Mariottoの娘でした。

Francescoは彼女よりも14歳も年上で、
彼女は3番目の妻でした。
この婚姻によってLisaは裕福な生活が保障され、
Francescoは由緒正しい格式のある
Gherardiniの名を持つことになり、
どちらにとっても好都合であったようです。
二人は5人の子供に恵まれ、
そのうちの娘二人はやがて修道女となります。
修道女BeatriceとなったCamillaは18歳で早逝し、
修道女LudovicaとなったMariettaは
1521年からフィレンツェのConvento di Santa Orsola
(サンタ・オルソラ修道院)で暮らします。

ちょうど特別な注文も収入もなかった1503年春に
Leonardoは個人の肖像画の注文を受け、
モナリザの製作に取り掛かったといわれ
その注文主がLisaの夫である
Francescoであるといわれています。
しかし、その後別の仕事の依頼が入ると
個人の肖像画の仕事は後回しにされ
1506年になっても完成しなかったため
Francescoからの報酬の支払いもなく、
Leonardoも作品を手渡すことがないままとなります。

1537年にFrancescoは自分の亡き後、
Lisaの老後の生活に不自由のないように
遺言を残していますが、
その遺言の作成は
Leonardoの父であるPiero da Vinciが
公証人として遂行してします。
1538年にFrancescoはペストが原因で他界します。

Lisaは未亡人となって4年後に病に臥せり、
娘である修道女Ludovicaの仕える
サンタ・オルソラ修道院に迎えられ、
1542年に亡くなり、かの地に埋葬されました。

フィレンツェのサン・ロレンツォ地区にある
サンタ・オルソラ修道院跡は
長らく放置されていましたが、
数年前から改造プロジェクトが動き始め
周辺整備が進められています。
そして先週最新機器を導入して
Lisaの遺骨探しが始まりました。
彼女の遺骨を探し出し、
彼女の子孫のDNAとの照合鑑定を行い
遺骨が確定したらそこに肉付けをして
実際にモナリザのモデルであったかどうかを
証明しようということなのです。
2011年5月半ばには掘り出し作業が始められる予定です。


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