秋 田 奇 々 怪 会

心霊現象、死後の世界、臨死体験、輪廻転生、古代文明、オーパーツ、超常現象、UFO等不思議大好きの会です

      「奇 々 怪 会」 とは、どういう会なのか


昭和30年前後にイギリスのネス湖で恐竜ネッシーの存在が話題となり(湖面を泳ぐ姿が目撃され、写真に撮られたりした)、ヒマラヤで雪男の足跡が発見された等などが新聞やテレビで話題になりました。
こうした話題は昔から私達の興味を引く出来事だったようです。

いや、もっともっと旧くには・・・
秋田出身の国学者・平田篤胤は異界・幽冥の世界の有様をまとめて、1822年(文政5年)に『仙境異聞』を出版しています。
実は文政3年秋の末、篤胤45歳の頃、江戸で天狗小僧寅吉の出現が話題となっていたそうです。
寅吉は神仙界を訪れ、そこの住人たちから呪術の修行を受けて、帰ってきたというのです。
篤胤は、天狗小僧から聞き出した異界・幽冥の世界の有様をまとめて、出版したのが『仙境異聞』であります。これが当時大きな話題となったと伝えられています。
ことほど左様に”不思議な話”は、いつの時代でも人の興味を引き付けるのだと思われます。

心霊現象、死後の世界、臨死体験、輪廻転生、古代文明、オーパーツ、超常現象、UFO、UMA、ツチノコ・・・・・
身近では霊的な場所、遺跡、神社、お寺、巨木等なども私達の興味を引き付ける様です。


奇々怪会は、こうした事に興味を持つ人の集まりです。
新規の入会を希望する方は下記までご連絡ください。
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「東北見聞録~謎と不思議と珍談と」第三十六話

2018年05月25日 | 本・雑誌から
「東北見聞録」39話~春になれば・・・
ヒラメ釣り等の中型や大型釣りに使う生き餌と言えば、先ずイワシや豆アジ等の小魚を釣ってから使用する場合と、予めドジョウを用意するケースが有る。ドジョウは「今日はヒラメ!」と、狙い目がハッキリしている場合比較的入手しやすいし、すぐに使えると言う利点がある他、淡水魚にしては長持ちする。釣りは勿論、食べても栄養豊富なこの魚、最近は養殖物が年中見られるので、目にする機会が多い。しかし、ドジョウの季節と言えば「♪春になれば…」と童謡に歌われる様に「春」ではないだろうか。雪深い東北の田んぼの泥の中でジッと春を待つドジョウは、何やら長い冬に耐える東北人の気質を表わしている様な気もする。

①ドジョウの思い出
10歳の時に父の転勤で、秋田市から当時東京都多摩郡の小金井町(現小金井市)に移り、大学卒業まで東京で暮らしていた。父は自然豊かな旧西仙北町土川(現大仙市)の出身で、夏休みには必ず帰郷し、一人息子の私を連れて実家を訪ねた。しかし、当時の秋田~東京間は奥羽線経由で今の新幹線の約2倍の時間を要する長旅、ウォークマンや携帯ゲームも無い時代で結構疲れた記憶が甦る。そんな苦労をしてやっと帰って毎年見るその光景は、都会の喧騒を忘れさせてくれる正に日本の原風景で、緑豊かな田園と小川のせせらぎが目に鮮やかだった。そして、毎年の楽しみの一つが「ドジョウ捕り」だ。いとこ達と田んぼ際の流れにドジョウ網をしかけ、「よーし!行くぞー!」と一斉に追い込んで行く。すると網の中で生きのよいドジョウがピチピチと跳ねまわる。大小入り混じったこのドジョウを実家で鍋にしてもらい、たらふく食べたのが忘れられない。食されるドジョウには申し訳無いが、大自然と大地のエネルギーを頂いた気がする。

②童謡「どじょっこふなっこ」
さてそのドジョウが登場する歌と言えば、世代を超えて誰でもが幼い頃から親しんで来たお馴染みの童謡「どじょっこふなっこ」だ。秋田市北部の金足地区にある金足西小学校が発祥の地とされていて、校庭の一角には記念の歌碑が建立されている(平成7年建立)。
記念歌碑には「どじょっこ ふなっこ」作詞:豊口清志 作曲:岡本敏明、
♪1、春になれば すがこもとけて どじょっこだの ふなっこだの 夜が明けたとおもうべな 
2、夏になれば わらしこ泳ぎ どじょっこだの ふなっこだの 鬼っこ来たなと 思うべな 
3、秋になれば 木の葉っこ落ちて どじょっこだの ふなっこだの 船っこ来たなと 思うべな 
4、冬になれば すがこもはって どじょっこだの ふなっこだの てんじょこはったと 思うべな…と、四季の移り変わりと共に土中や水中の魚達の表情が盛り込まれている。毎年6月には「歌のつどい」が開かれ、発祥の地として歌の継承が行われているそうだ。さて慣れ親しんでいるこの童謡は如何にして生まれたのだろうか。


③誕生のいきさつ
校庭の一角にある歌碑にも歌の誕生経緯が記されているが、平成7年に発行された秋田県の広報誌「ホットアイあきた」(通巻394号)に詳しく紹介されているので、こちらを参考に大筋を辿ってみよう。
…昭和11年、東京の玉川学園(現在の玉川大学)合唱隊一行が、体操と音楽実演で全国を巡回する中、5月に金足西小学校を訪れた。学生約20人と同行していた音楽指導者は、「浜辺の歌」で知られる秋田の音楽家・成田為三に師事していた岡本敏明氏だった。約600人の児童が注目する中、当時としては珍しい混声合唱が披露され、初めて耳にするコーラスに目を見張ったと言う。
そして歓迎会が開かれ、余興が次々と披露される中、鹿角市毛馬内(けまない)の豊口清志氏が即興的に作ったとされる「どじょっこふなっこ」が詩吟調で飛び出した。これを聞いた岡本氏は、歌詞をメモし僅かな時間で曲を付け、その場で歌ったと言う。多くの人々に愛される童謡誕生の瞬間だった。
岡本氏は「わたしの履歴書」の中に「私がこの時に、これはおもしろい歌であると瞬間的に気づかなかったならば、この歌は日本に曲として永遠に残らなかったであろう」と述べている。

④全国への広まり
岡本氏はその日のうちに合唱用の曲に仕上げ、翌日の公演からレパートリーに加えられたと言うから、岡本氏の熱の入れ様が伝わって来る。そして広く世の中に知られる様になったのは戦後間もなくで、親しみのある東北訛りが全国で歌われ広まって行った。
秋田を始め東北では末尾に「~っこ」を付けるのが常で、この響きが無ければ味気ないものになってしまう。もしも曲名が「どじょうとふな」では親しみも湧いては来ない。「~っこ」が付くだけでまるで印象が違って来るのだ。豊口氏の作詞については諸説あり、青森や秋田に伝わる田植え歌を豊口氏が採録・補作したとの説もある。いずれにせよ東北の農村の四季が、ユーモア溢れる歌詞に生き生きと描かれていて、本格的な春の到来に相応しい気がする。
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