2、山奥の出来事
藤里町は林業が盛んな地で、昔は営林署の管区がいくつにも分かれていた。
山の中には飯場も多く、長いと二週間程度寝泊まりしながら作業をしたそうである。
安保勝徳さんは中学卒業と同時に山仕事に従事している。最初は飯場での炊事が主な仕事で、飯炊きから後片付けまでこなすのは大変だった。
「これは先輩から聞いた話なんです。十文字の小屋で寝ていると夜中に”トンボ行くぞー”って大声が聞こえるんですよ」
トンボとは木の倒し方のことだ。斜面に対して横倒しになるように切ってそのまま転がすやり方である。
「ギコギコ木を切る音がしてメリメリ、ど~ん、ごろごろごろごろって聞こえるんです。」
真夜中いきなり木が倒れて転がってくる音がする。屈強な作業員たちも肝をつぶしたが、しばらくすると元の静寂に戻った。
何事が起こったのか誰も分からず、まんじりともせずに朝を迎える。そして次の日、作業を終えて布団に入り皆が寝静まった頃、またしても
「トンボ行くぞー」”ギコギコギコ、ど~ん、ごろごろごろ”驚いて飛び起きる男たち。
しかし、気がつけば辺りは静かな闇の中、いつもの小屋である。
立て続けに安眠を妨害された男たちは一計を案じる。そして次の夜。
「トンボ行くぞー」”ギコギコギコ、ど~ん、ごろごろごろ”それ今だと待ち構えていた男たちが小屋の外へ一斉に飛び出すと・・・・・・。
目の前の斜面を狸がごろごろって転がってきたそうだ。
川の達人で監視員でもある市川市治さんも同様の話をしてくれた。
「山仕事から帰る時に突然ど~んって大木が倒れる音がするんですよ。その音のほうへ見に行っても何も無いんです。
これは作業員たちが複数で聞いているんですよ」典型的な狸の仕業である。ちなみに藤里町では狸のことをムジナと呼ぶ人が多い。
年の半分は山へ入り山菜やキノコを採っている人がいる。彼は直売所などで得物を売って生計を立てている。
謂わばプロであるが、その彼がタケノコを採りに行った時の話だ。
「たくさんタケノコが生えている所は怖いですよ。もうね、タケノコ生えているのがずっと見えるんですから。採っても採ってもまだ先にずっと見える」
終わりがないのだ。いくら採ってもその先には限りなくタケノコが顔を出している。手が止まらない。気がつけばどこにいるのか分からなくなった。
長い採集生活でも初めてのことである。ベテランの山人でも焦りは隠せない。藪の中をどれくらい彷徨しただろうか。
かすかに車の走る音が聞こえた。「ああ、助かったと思いましたよ。道の方向が分かったから」
無事に山から帰還出来た時は心底ほっとしたが、彼は翌日も同じ場所へと向かったのである。
採っても採っても少しも減らないタケノコ。いや採れば採るほど目の前に新たなタケノコが出現するではないか。
我を忘れて採り続けるうちに、またも居場所が完全に分からなくなったのである。
「あの場所へは二度と行かないですね。なぜ? いやあ三度目は無いですよ」タケノコ採りは怖いのである。
藤琴川のかなり奥の沢筋にゼンマイの名所がある。時期になると我先にと大勢の人が向かう場所だ。
或る年のことである。ゼンマイ採りが好きなAさんは早起きすると薄暗いうちからそこへと向かった。
沢沿いに軽トラを止めるとAさんは籠を背負って歩き出す。目的地はかなり奥で楽ではないが一番乗りだと思うと嬉しかった。
”ザッザッザッザ”しばらくすると足音が聞こえてくる。顔を上げると誰かが下りてくるのが見えた。
「あれ?こんなに早く採りに入ったのか?」
自分がてっきり一番だと思ったから驚きながらも挨拶をするが、男は無反応である。
強い違和感を感じたAさんが後ろを振り向くと、男の姿はどこにもなかった。
この謎の男には多くの人が遭遇し、現場は”お化けが出る場所”として知られるそうだ。