シリーズ「東北見聞録」 クロマンタの謎その2~エジプトとの共通点?
人造又は人工ピラミッド説の伝わる三角山に対する国内初の学術調査は、予備調査と本調査を合わせて4回に及んだ。当初は「眉唾・際物」扱いされた経緯が有ったが、いざ調査が始まると、新たな発見が次々と!今回はその驚くべき成果と、エジプトのピラミッドとの共通点について触れる。
①いきなり土器片が続々と
前回で述べた東西南北・冬至夏至ライン上の祀り場跡、神社の囲炉裏石、不思議な溝が刻まれた石の発見など、平成3年の予備調査で様々な謎に迫るヒントが浮かびあがり、翌平成4年4月、ついに「総合学術調査」が決行された。9人の調査隊員に地元鹿角市民、十和田高校生らがボランティア参加し、試掘や表面採集等に汗を流した。
その結果、山頂部のクリーニング調査…表土を剥ぐ作業で、100点を超える土器片が出土。調査開始早々の成果に、山頂部は興奮に包まれた。この土器片は鑑定の結果、北日本特有の「続・縄文式土器」(弥生期に相当)が大部分である事が分かり、クロマンタが古代の祭祀場として機能していた可能性を裏付ける手がかりとなった。
又、山中の遺物を探る表面採集では予備調査で発見した人の手が加わったと見られる刻線の入った人頭大の岩石が約20点見つかった。「何も出やしない」と、冷ややかな視線を送っていた歴史関係者も驚きを隠せなかった。土器片発見のニュースは山麓にスタンバイしていたテレビ中継車からその日の夕方秋田全県に、翌朝には全国ネットで放映されたのは言うまでも無い。
②階段状斜面のデータが浮かび上がった!
第1回総合調査が予想以上の成果に繋がった事から、翌平成5年4月の第2回総合調査に対する注目度は否が上にも高まった。逐一ニュースで報道された為、県民の視点も「クロマンタ・ピラミッド説解明」に集中していた。
そこで第2回本調査は科学機器・地中レーダーを導入しての大掛かりな調査となった。重さ約100㌔のレーダーを、地元ボランティアが切り開いた山の斜面を運び上げ、山頂部から順次レーダー探査を開始。地表から電磁波を発射して、地中内部の構造を探り出すピラミッド説解明に迫る重要な鍵を握る調査だ。国内から海外の遺跡調査を手がけるレーダー技師は、調査開始早々異様な声を上げた。「これは…もしかして」、その夜一人自室に篭り、データ解析をしていた技師から翌朝驚くべき結果が示された。それは調査した西側斜面が、階段状テラスの様相を呈していると言う正にピラミッド説に一気に肉薄する強烈なデータだ。調査区域は山頂から約100メートルで、地中の構造は10メートル等間隔でテラス状の段差が見られる、しかも段差の頂点…つまりテラスを形作る角の部分に堅い石を敷き詰めた様な反応も、更に階段状テラスはほぼ均等に7段で、山麓まで繋がる可能性も有ると言う。
第2回調査は行き成り「そのものズバリ!」のデータに遭遇した。そして翌平成6年の第3回調査では山頂部の神社真下にレーダー探査を実施、地中5メートル付近に堅い石棺状構造物が埋設しているデータも掴んだ。謎のベールが次々に剥がされる瞬間に立ち会った鮮烈な思いは、今も昨日の事の様に甦る。
③エジプトとの共通点は?
さて、前号で述べたクロマンタを囲む東西南北の神社(祭り場跡)が同じ緯度・経度で一直線に結ばれるデータに基づいて、調査期間中あるシミュレーションを実施した。東西南北一直線とは言っても、南北ラインに若干5度の「ズレ」が有った為だ。
この5度のズレが後で大きな意味合いを持つ事になる。天文学・地球物理学から計算した「天文シミュレーション・ソフト」を使って、現在から4千年前まで遡る作業だ。
先ずは視界をクロマンタの山頂に設定、今現在の夜空は真上に小熊座のα星、つまり北極星が光り輝いている。それが、今から500年前になると星座が次第にズレ始める。更に時代を遡り起元0年の頃には北極星は完全に姿を消す。いよいよ紀元前2000年、今から4000年前の縄文期になると…北極星とほぼ同じ位置に竜座のα星がピタリとはまり、北極星と同じ輝きを見せた。つまり、4000年前には竜座のα星が北極星の役割を果たしていた可能性が強い。しかもその位置は…現在の北極星と5度のズレがある。
ややこしくなったが、お分かり頂けただろうか。南北ラインの5度のズレは、遥か古代の祭り場跡のヒントに繋がる。エジプトのピラミッドの研究者・酒井伝六氏も著書の中で、ギザのクフ王のピラミッドの底辺が5度ズレている点を指摘している。クフ王のピラミッドは今から約4500年前の建造と推定される事から年代的にも近い。
果たして日本のクロマンタ周辺の人々とエジプトのピラミッド建設に携わった人々との「星」に対する接し方に共通点が有ったのか?
④その後のクロマンタ
4年にわたる調査で様々な発見が有った。それまでひっそりとしていたクロマンタ周辺も一気に賑やかになり、古代史好きの観光客が大勢訪れる様になった。調査隊もその後3年近く、地元の要請でシンポジウムやイベントに参加。
最後に「この資源を活かすのは地元の熱意」と伝え、一応の幕を降ろした。私は今も年に数回クロマンタの里を訪れる。謎の解明は未だこれから…との思いで。