秋 田 奇 々 怪 会

心霊現象、死後の世界、臨死体験、輪廻転生、古代文明、オーパーツ、超常現象、UFO等不思議大好きの会です

      「奇 々 怪 会」 とは、どういう会なのか


昭和30年前後にイギリスのネス湖で恐竜ネッシーの存在が話題となり(湖面を泳ぐ姿が目撃され、写真に撮られたりした)、ヒマラヤで雪男の足跡が発見された等などが新聞やテレビで話題になりました。
こうした話題は昔から私達の興味を引く出来事だったようです。

いや、もっともっと旧くには・・・
秋田出身の国学者・平田篤胤は異界・幽冥の世界の有様をまとめて、1822年(文政5年)に『仙境異聞』を出版しています。
実は文政3年秋の末、篤胤45歳の頃、江戸で天狗小僧寅吉の出現が話題となっていたそうです。
寅吉は神仙界を訪れ、そこの住人たちから呪術の修行を受けて、帰ってきたというのです。
篤胤は、天狗小僧から聞き出した異界・幽冥の世界の有様をまとめて、出版したのが『仙境異聞』であります。これが当時大きな話題となったと伝えられています。
ことほど左様に”不思議な話”は、いつの時代でも人の興味を引き付けるのだと思われます。

心霊現象、死後の世界、臨死体験、輪廻転生、古代文明、オーパーツ、超常現象、UFO、UMA、ツチノコ・・・・・
身近では霊的な場所、遺跡、神社、お寺、巨木等なども私達の興味を引き付ける様です。


奇々怪会は、こうした事に興味を持つ人の集まりです。
新規の入会を希望する方は下記までご連絡ください。
メールアドレス arashigeru@yahoo.co.jp

『死後の世界』から帰ってきました!臨死体験をした芸能人たち

2017年09月30日 | 不思議
臨死体験をした芸能人(または有名人)の告白である。
お笑い芸人の中には「笑いのネタ」にしかけた物もあるようだが、それぞれに興味深い。
最後に芸能レポーターの前田忠明氏が出てくるのだが、以前の記事でとりあげた立花隆氏の著作”証言臨死体験”の中にも出て来るケースである。

『死後の世界』から帰ってきました!臨死体験をした芸能人たち
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「東北見聞録~謎と不思議と珍談と」第十八話

2017年09月28日 | 本・雑誌から
「東北見聞録」~ジャガラモガラって何?

日本各地には「奇名・珍名」の山や川、遺跡名等が点在している。特に多いのは北海道で、オタドマリポン山、ポコタン島、ウカルキナイ川など、他には秋田県仙北市のソッケ森、岩手県久慈市のマネトコ山、福井市のガラガラ山、宮崎県川南町のトロントロン等があげられる。そして謎多き遺跡として有名なのは熊本県の「トンカラリン」だ。これと似た響きの珍名スポットが、山形県天童市にある。その名も「ジャガラモガラ」。長年「見たい!」と思っていた不思議スポットに足を踏み入れた。

①いざ!ジャガラモガラへ
山形から秋田方向に北上して、国道13号線沿いの「道の駅天童温泉」近くを右折して天童市の貫津(ぬくつ)地区に入る。県道279号線を少し進むと「ジャガラ村」の看板が目に入り「おっ!ここだ」と高台目指した。しばらく行くと天童一高い標高905メートルの雨呼山(あまよばりやま)麓の駐車場に辿り着いた。そこから先も舗装道路が続いていたので「ジャガラモガラ」までどれ位の行程か不明のままハンドルを握り斜面を進む。初めての道には不安が付き物だ。しかし、ややもすると右側に「東漸寺(とうぜんじ)の水」の看板が…。そこには「雨呼山や、じゃがらもがら付近の水が伏流し、ここ桂渕に湧き出した水をじゃがらもがらの水と呼んできた。明治の昔からうまい水として親しまれている」…と書かれていて、平均約9.4度のひんやりとした水がしばし暑さを忘れさせてくれた。

②広がる不思議な景色
一息入れて「さぁ目的地を目指そう!」と意気込んだものの、そこからの登りはカーブが多く、所々に車の交差スペースが有っても降りて来る車との交差は結構キツイ。4キロ程登ってようやく目的地に到着。平日にもかかわらず10台程の駐車スペースに6台停まっていて、地元山形県は勿論だが仙台ナンバーも見られた。謎好き・不思議好きがいるのか…と思い少々嬉しさを感じた。
そして駐車場の前に「ジャガラモガラ」の標識。駐車場に戻って来た家族連れにどれ位の距離かと聞くと「200m位ですよ」との事。青々とした草木が生い茂る山道をゆっくり進み、途中急な階段を下りると木製の散策道が現れた。目指すポイントは近い。やがて眼前に周辺の緑一色の景色とは明らかに違う凹地が見えた。雨呼山の中腹で標高570メートルに位置し、東西30メートル、南北62メートルのすり鉢状凹地が「県指定天然記念物ジャガラモガラ」だ。その一角は白い砕石が敷き詰められた様で、所々に小さな穴があいている。この穴からは真夏でも3度から7度の冷たい風が出ているとの事だ。凹地前にはロープが張られていて入る事が出来ないので、周辺をキョロキョロ探ってみると背後の斜面に数か所の穴があいていた。「よしっ!」とその穴に手を入れてみると…「冷たい!」ヒンヤリとした風が地中から吹き出ている。

③不思議な名称
この凹地は、地下の石英租面岩の砕石から構成されていて、雨が降っても水がたまらない。そして案内板によると植物の垂直分布が逆で、亜高山性の植物が群生し、乾燥地を好む植物が見られる他、種類も豊富で矮小化している。更に絶滅危惧種や希少性の植物が多く、学術的にも貴重なポイントだそうだ。訪れた時も黄色が鮮やかな「コキンバイ」が咲き誇っていた。「それにしても不思議な名前だ?ルーツは何か?」謎は深まる。前述の宮崎県の「トロントロン」は現在川南町商店街の名称だが、西南戦争で敗北した西郷一行がぬかるんだ地面を表現した説や、地元の湧水を数百年前から呼んでいた説などが有るが、由来は定かでは無い。また熊本県和水町にあるトンカラリンは、国内でも珍しいトンネル型遺跡で、全長465メートルに及ぶ。穴に石を投げ込むと「トンカラリン」との音がする事から名付けられた説、排水路説、城の抜け穴説、更には古代の宗教施設説も推測されたが、いずれも決定打とはなっていない。が、ピラミッド研究で有名な吉村作治氏による「ピラミッドと同様の石積み」説は興味深い。

④ジャガラモガラの正体は?
冒頭の「長年見たい!」と思っていた切っ掛けは、20数年前に秋田県鹿角市のピラミッド説の山クロマンタ学術調査が行われていた時だった。調査隊仲間に天童市出身者がいて「トンカラリンも面白いけれど、我が故郷にはジャガラモガラが在るんだ」と。「面白そうな名前だ!」この一言がずっと頭の片隅に残っていた。さて肝心の名称だが、山を下りてから地元の公民館や市民に取材をしてみたら「昔は姥捨て山だった」との説が聞かれた。天童市の観光ガイドには①東北地方でデコボコの地形を指す「ジャガジャガ」②姥捨て山伝説にある、山奥に置いてきた年寄りの鳴き声が聞こえない様鳴り物を打ち鳴らして逃げ帰った時の「ジャガジャガ」と言う音③福島県のいわき地方に伝わる「じゃんがら念仏」④地元に残る龍神伝説に出てくる龍神のサンスクリット語の名前「ジャガラ龍王」とあり、④が最も有力と見ている。ジャガラモガラが、かつて姥捨て山だったとすると、「心霊スポット」に挙げられている事もうなずける。白い砕石状の凹地の地下には一体何があるのか?もしかしたら「トンカラリン」と同じ様な長いトンネルが存在するのでは無いのか?謎が謎を呼ぶワクワク旅だった。
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臨死体験の科学的検証:脳外科権威に起こった奇跡の体験

2017年09月26日 | 不思議
前回に続き、主役は医師である。
脳外科医である彼は、今まで患者から再三死後の世界について聞かされてきた。
しかし、彼はそれを信じなかった。脳の錯覚等で片付けていたのだ。
その彼が、自分自身で不思議な体験をした。きっかけは突然の昏睡である。
詳しくは動画で・・・・・・

臨死体験の科学的検証:脳外科権威に起こった奇跡の体験
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【臨死体験】で“地獄の淵”に落とされた、医師が見たヤバすぎる光景 オカルト否定派の【激白】

2017年09月24日 | 不思議
最近のブログの記事は”臨死体験”に偏り過ぎている感じもありますが・・・・
今日からの二例は医師の体験談である。
どちらの医師も患者から臨死体験、死後の世界を聞かされてきたが信じなかった。
しかし、自分自身が患者となり・・・・・その考えが変わった。

【臨死体験】で“地獄の淵”に落とされた、医師が見たヤバすぎる光景 オカルト否定派の【激白】
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岐阜県富加町の怪奇事件 佐藤愛子さんが触れている2

2017年09月23日 | 不思議
さて、前回に引き続き2度目の訪問の次第である。






















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岐阜県富加町の怪奇事件 佐藤愛子さんが触れている

2017年09月22日 | 不思議
8/30にアップした記事は”不思議現象 ミステリースポット”で、この中で岐阜県富加町で起こった怪奇現象について記した。
事は1999年~2000年、岐阜県富加町にある新築の町営住宅団地「高畑住宅」(24世帯)にて発生した、ポルターガイスト現象による集団被害事件である。
詳細は下記リンクでご覧ください。
富 加 町 怪 奇 事 件


さて、作家の佐藤愛子さんであるが最近「90歳何がめでたい」が売れまくっているそうだ。
実は佐藤愛子さんは極めて霊感体質に優れていて、そんな話題の著作も多い。
私は幾つかを読んでいたのだが、例えば北海道浦河に彼女が家を建て(別荘らしい)ここでの生活で起こる怪奇現象の数々は信じられない類の話だ。
しかし、彼女のこれらの記述には深刻さがなく、あっけらかんと書いてある。その上美輪明宏や江原啓之が友人として度々出て来る。

こうした著作のひとつに「冥途のお客」という単行本がある。

図書館で借りて再読しているのだが、なんとこの中に富加町怪奇事件が採り上げられていた、前回に読んだ時は気付かなかった。
そこで、この部分の記事を以下に二回に分けてアップしてみます。
非常に読みやすく、明るく書かれているのが分かると思います。


















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「東北見聞録~謎と不思議と珍談と」第十七話

2017年09月21日 | 本・雑誌から
シリーズ「東北見聞録」 クロマンタの謎その2~エジプトとの共通点?
人造又は人工ピラミッド説の伝わる三角山に対する国内初の学術調査は、予備調査と本調査を合わせて4回に及んだ。当初は「眉唾・際物」扱いされた経緯が有ったが、いざ調査が始まると、新たな発見が次々と!今回はその驚くべき成果と、エジプトのピラミッドとの共通点について触れる。


①いきなり土器片が続々と
前回で述べた東西南北・冬至夏至ライン上の祀り場跡、神社の囲炉裏石、不思議な溝が刻まれた石の発見など、平成3年の予備調査で様々な謎に迫るヒントが浮かびあがり、翌平成4年4月、ついに「総合学術調査」が決行された。9人の調査隊員に地元鹿角市民、十和田高校生らがボランティア参加し、試掘や表面採集等に汗を流した。
その結果、山頂部のクリーニング調査…表土を剥ぐ作業で、100点を超える土器片が出土。調査開始早々の成果に、山頂部は興奮に包まれた。この土器片は鑑定の結果、北日本特有の「続・縄文式土器」(弥生期に相当)が大部分である事が分かり、クロマンタが古代の祭祀場として機能していた可能性を裏付ける手がかりとなった。
又、山中の遺物を探る表面採集では予備調査で発見した人の手が加わったと見られる刻線の入った人頭大の岩石が約20点見つかった。「何も出やしない」と、冷ややかな視線を送っていた歴史関係者も驚きを隠せなかった。土器片発見のニュースは山麓にスタンバイしていたテレビ中継車からその日の夕方秋田全県に、翌朝には全国ネットで放映されたのは言うまでも無い。

②階段状斜面のデータが浮かび上がった!
第1回総合調査が予想以上の成果に繋がった事から、翌平成5年4月の第2回総合調査に対する注目度は否が上にも高まった。逐一ニュースで報道された為、県民の視点も「クロマンタ・ピラミッド説解明」に集中していた。
そこで第2回本調査は科学機器・地中レーダーを導入しての大掛かりな調査となった。重さ約100㌔のレーダーを、地元ボランティアが切り開いた山の斜面を運び上げ、山頂部から順次レーダー探査を開始。地表から電磁波を発射して、地中内部の構造を探り出すピラミッド説解明に迫る重要な鍵を握る調査だ。国内から海外の遺跡調査を手がけるレーダー技師は、調査開始早々異様な声を上げた。「これは…もしかして」、その夜一人自室に篭り、データ解析をしていた技師から翌朝驚くべき結果が示された。それは調査した西側斜面が、階段状テラスの様相を呈していると言う正にピラミッド説に一気に肉薄する強烈なデータだ。調査区域は山頂から約100メートルで、地中の構造は10メートル等間隔でテラス状の段差が見られる、しかも段差の頂点…つまりテラスを形作る角の部分に堅い石を敷き詰めた様な反応も、更に階段状テラスはほぼ均等に7段で、山麓まで繋がる可能性も有ると言う。
第2回調査は行き成り「そのものズバリ!」のデータに遭遇した。そして翌平成6年の第3回調査では山頂部の神社真下にレーダー探査を実施、地中5メートル付近に堅い石棺状構造物が埋設しているデータも掴んだ。謎のベールが次々に剥がされる瞬間に立ち会った鮮烈な思いは、今も昨日の事の様に甦る。

③エジプトとの共通点は?
さて、前号で述べたクロマンタを囲む東西南北の神社(祭り場跡)が同じ緯度・経度で一直線に結ばれるデータに基づいて、調査期間中あるシミュレーションを実施した。東西南北一直線とは言っても、南北ラインに若干5度の「ズレ」が有った為だ。
この5度のズレが後で大きな意味合いを持つ事になる。天文学・地球物理学から計算した「天文シミュレーション・ソフト」を使って、現在から4千年前まで遡る作業だ。
先ずは視界をクロマンタの山頂に設定、今現在の夜空は真上に小熊座のα星、つまり北極星が光り輝いている。それが、今から500年前になると星座が次第にズレ始める。更に時代を遡り起元0年の頃には北極星は完全に姿を消す。いよいよ紀元前2000年、今から4000年前の縄文期になると…北極星とほぼ同じ位置に竜座のα星がピタリとはまり、北極星と同じ輝きを見せた。つまり、4000年前には竜座のα星が北極星の役割を果たしていた可能性が強い。しかもその位置は…現在の北極星と5度のズレがある。
ややこしくなったが、お分かり頂けただろうか。南北ラインの5度のズレは、遥か古代の祭り場跡のヒントに繋がる。エジプトのピラミッドの研究者・酒井伝六氏も著書の中で、ギザのクフ王のピラミッドの底辺が5度ズレている点を指摘している。クフ王のピラミッドは今から約4500年前の建造と推定される事から年代的にも近い。
果たして日本のクロマンタ周辺の人々とエジプトのピラミッド建設に携わった人々との「星」に対する接し方に共通点が有ったのか?

④その後のクロマンタ
4年にわたる調査で様々な発見が有った。それまでひっそりとしていたクロマンタ周辺も一気に賑やかになり、古代史好きの観光客が大勢訪れる様になった。調査隊もその後3年近く、地元の要請でシンポジウムやイベントに参加。
最後に「この資源を活かすのは地元の熱意」と伝え、一応の幕を降ろした。私は今も年に数回クロマンタの里を訪れる。謎の解明は未だこれから…との思いで。
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「東北見聞録~謎と不思議と珍談と」第十六話

2017年09月20日 | 本・雑誌から
シリーズ「東北見聞録」  クロマンタの謎~その1~太陽信仰の原点?

平成3年から6年にかけて、国内「初」の三角山に対する本格的な学術調査が、秋田県北部の鹿角市十和田大湯の黒又山…古くから人造のピラミッド説が有る通称クロマンタで行われた。私自身も報道と調査員を兼務して謎の解明に奔走した。今回は前段としてその概要を記すが、後段ではクロマンタとエジプトのピラミッドの共通点について触れたい。

①クロマンタは日本のピラミッドか?
エジプトのピラミッド、南米ナスカの地上絵、イギリスのストーンヘンジ等、大規模な「謎の遺跡」は世界中に点在し、調査・研究が続けられている。これらに匹敵する日本の遺跡で最初に挙げられるのは、クロマンタのすぐ近くに在る「大湯環状列席群」いわゆるストーンサークルだ。
昭和6年、耕地整備中に無数の石棒が発見され昭和31年には国の特別史跡の指定を受けた。野中堂と万座の2つのサークルは長年に亘って発掘調査が続いているが、この遺跡の北東2キロに位置するのがクロマンタ。標高280メートル、比高差…つまり山自体の高さは80メートルで、小さな丘の様な形をしている。古くから人口の山「ピラミッド説」が残る謎の山である。日本ピラミッド説を唱えたのは昭和の初期、山形出身の牧師・酒井勝軍や竹内宿禰の神宝を代々伝えた竹内巨麿らで、超古代文明説を国内で説いて歩いた。
「エジプトには自然の三角山が無いが、日本には神々しい御神体山が多く存在する」と、酒井は広島県の葦高山を日本ピラミッド第1号と認定後、岩手県釜石の五葉山、青森県新郷村の大石神巨石群等を次々に認定し、世に広めて行った。当然の様に「在り得ない」「眉唾だ、際物だ」との批判も受けた。その後昭和40年・50年代も幾度か日本のピラミッド説の報道が行われたが、沈静化も早かった。そして平成に入って間もなくの3年夏…ある研究団体が秋田に乗り込んだ!

②驚愕の太陽信仰説
秋田入りしたのは京都同志社大学に事務局を置く「日本環太平洋学会」だった。ニュースを担当していた私は「何が何でも報道したい」との思いから、調査の詳細が分からないまま現地に飛んだ。そして当初は「軽い調査かな?」との思い込みが、調査員との出会いで一変したのだ。今ではGPSと言えば日常に馴染んでいるが、この時の調査では携帯用のGPSが持ち込まれ、クロマンタを中心に遺物や遺跡更には神社等の緯度・経度を計測。その結果、東西南北にピタリと一致する神社が出現した。建立年代不明の社が多く、古代の祀り場跡の可能性が高いと言う。つまりクロマンタが特別な存在の山を意味するとの事だ。
更に驚愕したのは、環太平洋に広がる太陽信仰の原点がクロマンタに起因する可能性が有るとの説である。太陽信仰が、縄文時代のおよそ4000年前にクロマンタから結氷したベーリング海を超え、北米・中南米・ポリネシア・ミクロネシアを経てインドネシアの東南アジアへ、そして仏教文化と合体して奈良時代に形を変えて日本へと戻って来る…と言うものだ。初めての出会いで私の頭は大きく混乱した。しかし、学会報に掲載されたメキシコとインドネシア・ジャワのピラミッドを見比べて次第に環太平洋説に魅かれて行く。ニュース報道は一気に熱が入り、毎日の様に現地に飛んで古老の証言等を取材、逐一京都に伝えた。その結果、私自身も調査隊と学会入りを切望されメンバーに加わる事となる。

③国内初の本格調査実施へ
平成3年夏から調査は急速に展開し、この年の秋には予備調査が行われ、東西南北に加えて冬至・夏至ラインの祀り場跡、人工的な溝が刻まれた岩石、山頂神社の囲炉裏石がストーンサークルの石と同質等の発見が相次いだ。こうして地元機運も盛り上がりを見せ、いよいよ本調査決行へと動き出し、調査員も同志社大、秋田大、東北学院大、名古屋学院大などから考古学・民俗学・博物館学・岩石学の専門家が幅広く集結し始めた。学会の唱えるピラミッド説は①山頂部がフラット②周辺に祀り場跡がある③山頂への登り口…の基本的な3原則で、クロマンタはしっかり充たしている。本調査への手がかりを見出す為、私はこの後、京都へ通う傍ら石川県や福井県、奈良明日香村、青森等の国内の遺跡、更には環太平洋遺跡のヒントとしてハワイの「ヘイアウ(ハワイの古代遺跡)」を取材行脚して歩いた。詳しくは拙著「クロマンタ~日本ピラミッドの謎を追う~」(評論社)に記しているので、機会があれば是非お目通しいただきたい。さて次回は、環太平洋地域では無いが、ピラミッドの原点エジプトのピラミッドとクロマンタの間に共通する謎について述べたい。

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戦慄の心霊現象 追究スペシャル

2017年09月16日 | メディア
9月16日土曜
NHKBSプレミアム 午後9時00分〜 午後10時00分
幻解!超常ファイル File-22「戦慄の心霊現象 追究スペシャル」

1時間まるっと心霊特集!
▽日本最恐の心霊スポットを直撃!地元の証言で驚きの真実が!?
▽海で防空頭巾の幽霊に引きずり込まれる!実話怪談は本当に起きたのか徹底検証!

常識を超えた不思議事件の解明シリーズ最新作!たった1時間で恐い話が「なっとく!」に変わる心霊スペシャル!

▽日本最恐!あらゆる心霊現象が次々起きるとウワサの心霊スポットを、
現地直撃!地元の人々の証言で明らかになる、驚きと理不尽の真実とは?

▽海水浴で、防空頭巾の女幽霊に足をつかまれ引きずり込まれる!実際に起きた水難事故での“ホンモノの怪談”を徹底検証!
怪談や心霊スポット誕生の意外な舞台裏が明らかに!
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「東北見聞録~謎と不思議と珍談と」第十五話

2017年09月14日 | 本・雑誌から
「東北見聞録」おヘソの話

「ヘソで茶を沸かす」「ヘソ曲がり」「雷鳴ったらヘソ隠せ」等、暮らしの中でヘソは色々な例えで登場する。人体の中心部の凹みを「臍・ヘソ・へそ」と言い、「ほぞ」とも読む。母胎と繋がっていた臍帯(さいたい)=臍の緒の痕跡で、専門家によると、人間の皮膚の中で唯一「汗」を分泌しない部分だそうだ。美しさを強調する「ヘソ」として有名なのは中近東の「ベリーダンス」でこちらは長い歴史があるが、1990年代になると西欧で「ヘソ出しルック」が流行、その後日本でも当たり前の光景に、最近では「ヘソ・ピアス」なども見られる。この「ヘソ」、人体から離れて自然界を探ってみると、壮大なスケールを誇る地域から身近な所など各地に点在する。

①大地のヘソ
「宇宙のヘソ」については超古代文明説やオカルト的な諸説が登場するのでここでは省き、地球の自然界に目を向ける。「地球のヘソ」もしくは「大地のヘソ」と呼ばれるのは、オーストラリアの「エアーズロック=ウルル(古くから現地語でこう呼ばれていた)」だ。世界で2番目に大きな一枚岩で、1873年にイギリスの探検家ウィリアム・ゴスが探検中に発見し命名した。標高868m、比高差(山自体の高さ)335m、周囲9.4㎞、鉄分を多く含んだ砂岩から形成されていて、鉄分の酸化によって赤い岩肌が象徴的で、「大地・地球のヘソ」と呼ぶに相応しい規模だ。又、イースター島が「世界のヘソ」と呼ばれていた説や、メキシコの国名は先住民語で「月のヘソ」を表すなど「ヘソ」は正に地球的規模で存在する。

②日本各地にも
さて我が日本の「ヘソ」はどうだろう。実は様々な形で存在する。兵庫県の西脇市は経緯度で日本の中心に当たるとして「日本のヘソ」をアピール、「日本ヘソ公園」や「日本ヘソ公園駅」も整備した。長野県上水内郡小川村は本州の中心に当たるとして「本州のヘソ」を宣言。経緯は平成16年、ある測量会社が日本地図の本州部分を切り取り、バランスを測ったら小川村で重心が取れたとの事だ。「でっかいどー=北海道」はどうか?こちらは富良野市が中心地として有名で、「へそ神社=北真(ほくしん)神社」が精神的な柱として存在する他、地元小学校の校庭に高さ約4mの「北海道中央緯度観測標」の石碑が設置されている。

③秋田県のヘソは?
昭和60年(1985年)、秋田の青年メンバーが中心となって秋田県のヘソ・ポイント探しが行われ、秋田市に合併以前の隣接する旧河辺町の岨谷峡(そやきょう)地区に辿り着く。そして秋田県の東西南北の対角線を結ぶ交点を調べた結果、「ヘソ」を発見。その後、秋田県の中心を示す標柱の設置や公園の整備、さらには「ヘソ神社」の建立が行われた。神社建立に当たって町の関係者らが北海道富良野市の神社を視察したと言うから力が入っていた証であり、ヘソにちなんだ地域起こしの実践例だ。中心を示す標柱が設置された場所は「辺岨(へそ)公園」と命名され、毎年お祭りなどが行われ憩いの場として親しまれている。「辺岨」の語源は、旧河辺町の「辺」と岨谷峡の「岨」から成り、周辺の景勝地も表現した形だ。

④中山峠
辺岨公園の広場の一角に「中心標登り口」の案内柱が有り、ゆるやかな小高い丘…かつての中山峠を登ると、昭和61年(1986年)に設置された秋田県中心標に辿り着く。標柱の横にはヘソを思わせる丸いボールと、北緯39度41分52、東経140度21分34を刻んだモニュメントも置かれている。この高台から見下ろすのが「鵜養(うやしない)地区」で、三河出身の江戸時代の紀行家・菅江真澄も文化8年(1811年)にこの地を訪れていて、中山峠をはじめ周辺の景勝地を訪ね歩いている。真澄の日記「勝手の雄弓(かってのおゆみ)」に周辺の景勝地「伏伸(ふのし)滝」の図絵が残されていて、河辺町史によれば「鵜養一体は昔湖であったと言う物語が有り、鵜養と言う地名があることからも鵜の州(す)、鵜の巣(す)等が訛ったものではないか」としている。

⑤ヘソ神社
公園を鵜養地区に降りて旧道を進むとやがて「辺岨神社」の大きな案内板が見えて来た。小山の上に神社は有る。少々傾斜がきつめの石段を登りつめると、大きな社(やしろ)「岩見神社」が現れた。神社の創建は古く、大同2年(807年)坂上田村麻呂が妖怪退治にやって来た際に小山で戦勝祈願をし、見事成就した事から薬師如来を祀り社を建てたとされている。古くて長い信仰を表す通り、神社下に参道跡が続き、田んぼには大きな赤鳥居が建っている。さて昭和61年創建の「ヘソ神社」は岩見神社の左手に立っていて神額には「絆堂~おヘソ神社」と記されている。親子の絆「臍の緒」を納める御堂として信仰されていて、岩見神社よりは2まわり程小さな社だ。新旧の社が並ぶ深い緑の森の佇まいだ。拝礼した後、思わず自分のヘソの回りを撫でて「健康」を祈願した。ヘソ神社と辺岨公園、そして周辺には景勝地の岨谷峡、伏伸の滝、殿渕(とのぶち)、舟作(ふなさく)等が在って歴史と共に森林浴も楽しめる。筆者が訪れた時、2人の小学生を連れた親子が同じコースを楽しんでいた。「へ~っ、そ~っ」と関心を持った方は雪解けを待って散策を楽しんでみては!





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