秋 田 奇 々 怪 会

心霊現象、死後の世界、臨死体験、輪廻転生、古代文明、オーパーツ、超常現象、UFO等不思議大好きの会です

      「奇 々 怪 会」 とは、どういう会なのか


昭和30年前後にイギリスのネス湖で恐竜ネッシーの存在が話題となり(湖面を泳ぐ姿が目撃され、写真に撮られたりした)、ヒマラヤで雪男の足跡が発見された等などが新聞やテレビで話題になりました。
こうした話題は昔から私達の興味を引く出来事だったようです。

いや、もっともっと旧くには・・・
秋田出身の国学者・平田篤胤は異界・幽冥の世界の有様をまとめて、1822年(文政5年)に『仙境異聞』を出版しています。
実は文政3年秋の末、篤胤45歳の頃、江戸で天狗小僧寅吉の出現が話題となっていたそうです。
寅吉は神仙界を訪れ、そこの住人たちから呪術の修行を受けて、帰ってきたというのです。
篤胤は、天狗小僧から聞き出した異界・幽冥の世界の有様をまとめて、出版したのが『仙境異聞』であります。これが当時大きな話題となったと伝えられています。
ことほど左様に”不思議な話”は、いつの時代でも人の興味を引き付けるのだと思われます。

心霊現象、死後の世界、臨死体験、輪廻転生、古代文明、オーパーツ、超常現象、UFO、UMA、ツチノコ・・・・・
身近では霊的な場所、遺跡、神社、お寺、巨木等なども私達の興味を引き付ける様です。


奇々怪会は、こうした事に興味を持つ人の集まりです。
新規の入会を希望する方は下記までご連絡ください。
メールアドレス arashigeru@yahoo.co.jp

会報131号が発行されました

2024年05月26日 | 会報
会報131号が発行になりました。今回の注目は第2ページです。
奇々怪会の今後の在り方について「会の組織変更」として佐々木民秀幹事より重大なお知らせを掲載しております。コロナ禍以来例会の開催は見合わせておりますが、その間に会員の高齢化や訃報も顕著であります。そうした現状を踏まえて、会を一旦解散とし同好会の形で継続してゆく事にいたしました。詳しくは該当ページをご一読くださいませ。























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日本伝承大鑑26 カッパ淵

2024年05月19日 | 伝承大鑑
【かっぱぶち】

柳田國男の『遠野物語』には、何話か河童に関する伝承が記載されている。厳密に言えば、古の伝承というよりも、実際の体験者から採話したような次元の体験談である。それによると、遠野の河童は、一般的な河童とは異なり、赤ら顔であるという。それ故に柳田は遠野の河童と猿との関連性を唱えている。

遠野の河童といえば、今や観光地となっているカッパ淵が最も有名である。「河童狛犬」のある常堅寺の裏手を流れる川にカッパ淵はある。かつてはこの淵にも河童が住んでいるとされ、たびたび目撃されていたらしい。
現在、このカッパ淵には、河童を祀った祠がある。この淵で悪さをしていた河童を諭し、神として祀ったものであると推測される。なぜか乳の神であり、赤い布で乳をかたどった供え物を奉納すると、母乳の出がよくなると伝わる。

このカッパ淵の近くには、東北の豪族・安倍氏が構えていた安部屋敷跡が残っている。この安倍氏の末裔にあたり「カッパじいさん」と呼ばれていたのが安部与市氏である(2004年にお亡くなりになっている)。氏自身も幼少期にこの地で河童を目撃している、生き証人であった。





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恐怖の泉紹介シリーズ5

2024年05月12日 | メディア

実話系・怖い話「カーテンは暗くなる前に閉めろ」
ガキの頃、よく親に「暗くなったらカーテンを閉めなさい」って言われてた人、結構いるんじゃないかな。別に口うるさく言われなくとも自然と閉める様になるとは思うんだけど、オレからも注意喚起の意味で話しておく。
高校生の時。休みに自室へ1人籠り、ずっとゲームをしてたんだけど、気がついたらいつの間にか寝てて外も暗くなってた。(あ、カーテン閉めなきゃ)と咄嗟に思い窓の方を見たその瞬間、あからさまな異変にオレは身動きが取れなくなった。
窓のすぐ外。髪が長くて真っ白な顔、真っ白な服を着た女性が部屋の中を覗き込んでたんだよ。
見た目から女性だと感じたけど、振り返ってみると性別がどっちか自信は無い。とにかく人が居たんだ。オレは恐怖で冗談抜きにチビりそうな状態で固まってると、そいつは口をパカっと大きく開けて
「あーーーーーーーーー!」ってバカデカい声で叫び出した。

オレは反射で転げるように部屋から飛び出して、実際に階段から転げ落ちながら1階のキッチンに居た母ちゃんに助けを求めた。「ちょっと何してんの!?あんた大丈夫?」驚いて近寄った母ちゃんに、オレは「窓に人!ヤバい!」みたいに訴えた。パニック過ぎて自分でも何を言っていたのか、記憶は定かじゃない。母ちゃんはそれよりもオレが階段から落ちた事を気にしていたが、幸いにも打撲くらいで済んだ。オレが落ち着いてから2人で部屋を確認しに行ったけど、窓の外に人なんて当然居ない。あのバカデカい声も、母ちゃんは一切聞いて無いらしい。

「寝てて夢でも見てたんじゃないの?」母ちゃんはそう言うが、オレだってそう思いたい。でもアイツの姿はハッキリ覚えてる。わざわざ他人の家の屋根に登って、あんな格好でこんな事をするなんて考えられないから、生きた人間では無いと思う。
よくテレビとかで、幽霊役の人が顔を白く塗って出る時があるけど、それを見ると恐怖が蘇って本当に冷や汗と動悸が止まらない。これ以後、オレは外が暗くなる前にはカーテンを閉めるようにしている。
あと隙間が異常に怖く感じるようになった。特にカーテンの隙間は苦手。朝になっても、カーテンは正面に立って開けない。横から開けるようにしてる。
暗くなってもカーテンを開けていると、幽霊じゃなく生身の人間が覗き込む場合だってあると思う。それもそれで怖い。些細な事かもしれないが、怖い思いをするとオレみたいに一生レベルで引き摺る事になるかも知れないので、話してみました。
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連休も終わりですね!

2024年05月06日 | その他
ゴールデンウィークも今日で終わります。エッ、明日以降もず~っと休み・・・・こういう人も多いのではないでしょうか・・・・特に”我が会”では・・・・
前に「騙し絵」やりましたよね。目の錯覚を利用していたり、視点を変えれば全く別のものが見える。今日は続きをやってみましょう。
次の画像は何に見えますか・・・・どう見てもドクロですよね!

これが何であるかは最後尾で明かす事にして、更に次の画像を見てください。

あまり美人とは言えませんが顔の長い女性ですね。しかし、これを90度左に倒すとありゃ・・・

お皿に乗った魚になってる・・・・・

こちらの女性は先程より美人かな、でもひっくり返すと
  
おや、どう見ても男になってる・・・・・

もう一人美人の女性を連れてまいりましょう・・・・・
左後方を眺める後ろ姿、顔は見えませんが美人の予感がするでしょう!!

ここに老婆がいるのが分かりますか? 老婆の顔だけをセピア色にしてみます。


最初のドクロw・・・・・拡大して見てみましょう


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恐怖の泉紹介シリーズ4

2024年05月05日 | メディア

実話系・怖い話「彷徨う子供」
これは私が体験した、怖いけどもとても悲しい話です。

私は登山が趣味で、1年を通して様々な山を登って楽しんでいます。その日も登山仲間たちと某県にあるS山に登ろうと出かけました。S山はそれほど標高は高くないのですが、割と険しい事で有名な山です。そのためS山の登山客はそれなりに経験のある方が多いのです。

朝早くから私たちはS山を登り始めました。まぁ、私たちは登山暦がそれなりに長いですから、登頂まで辿り着くにはそれほど苦労はしませんでした。
山頂で記念写真を撮って、自宅から持参したお弁当を食べて、そしてとても眺めの良い景色を堪能します。さて、そろそろ下山しようか…と話し始めた頃、どこから現れたのか1人の男の子が私たちのそばへと寄ってきたのです。見た感じ、7~8歳くらいの男の子でしょうか。私はなんで小さな子供が1人で、こんな険しい山の山頂にいるんだ?と疑問に思いました。

「どうしたの?お父さんとお母さんは?」私が聞くと、その子供は「お父さんとお母さん、あっちにいるよ。」と言って、下山道の方を指さします。
どうやらお父さんとお母さんは子供を置いて先に下山してしまったようです。こんな険しい山で小さな子供にそんな酷い事をするなんて…。私たちはその子供に「一緒に山を降りよう」と言うと、その子はウンとうなづくのです。
でも、なんか変なんですね、その子。あまりにも服装が身軽です。険しい山だというのに、半ズボンを履いています。登山を嗜む人からしてみたら、非常識な格好です。

私たちは下山しながらも、その子にいろいろと尋ねてみました。「今日はお父さんとお母さんと3人で来たの?」「その格好で山に登ったの?」
矢継ぎ早で質問をするのですが、だんだんとその子は無口になってしまい、何も話をしなくなってしまったんです。まぁ小さな子供にあれこれ質問を浴びせるなんて、大人気なかったなと私たちは反省をしたんですけどね。
下山している途中、その子が足が痛いと言い始めました。見ると膝を怪我しているではありませんか。
私たちは大慌てで止血をして、傷口に包帯を巻いて、子供の怪我の応急処置をしました。

けれどやっぱり変なんです。
ついさっきまでその子供は、一緒に歩いていたんですよ。その時は足の怪我なんて無かったはずです。
なのに急に足が痛いと言い始めて、見たら大怪我をしているんですから…。この時、私は少し嫌な感じを抱きました。
そうは思いつつも、なにしろ小さな子供です。放ってはおけません。私たちは子供を交代で背負って下山を続けました。しかしここでも違和感が続きます。
その子、背負っていても全く暖かくないんですよ。背中に人の体温を感じないんです。まるで石でも背負っているかのようです。それに背中に子供を背負っているはずなのに、息づかいもまるで聞こえません。なんだか私は怖くて怖くて仕方なくなってしまいました。

そうこうしているうちに、下山道の途中にある山小屋に到着しました。
私たちはそこで休憩をする事にしました。子供の怪我の手当てもしないといけませんから。

山小屋で子供を背中から下ろします。するとその子、足が痛いはずなのに立ち上がって山小屋から出て行ってしまったんです。私たちはすぐにその後を追ったのですが、山小屋の周りにはなぜか子供の姿が見えません。忽然と姿を消してしまったかのようです。
慌てて子供を探している私たちに、山小屋のご主人がどうしたのか?と聞いてきました。
私たちはそれまであった出来事を、山小屋のご主人に全て話したのです。

山小屋のご主人は、全てを聴き終えると無言で奥の部屋に入って行きました。そして1枚の写真を私たちに差し出します。そこに写っていたのは、私たちが一緒に下山してきたあの子供でした。
ところがその写真が古い物のようで、かなりの年月が経っていると推測されます。

「この子ね、この山で遭難した子なんだよ。
山頂でお父さんお母さんとはぐれてしまって、捜索隊が見つけた時にはもう亡くなってたんだ…。
この写真は捜索の時に使ったものなんだ。俺も捜索には参加したんだけどさ。
あんた達のような話しね、年に何回かあるんだよ。きっとあの子供の霊がご両親を今でも探してるんだろうね…。本当、かわいそうに。成仏するように線香でもあげていってよ。」

山小屋のご主人は、そう私たちに話してくれました。
あの子はお父さんお母さんに会いたくて、今でもこの山を彷徨っている。そう思うと、私はあの子の霊がとても不憫に思えてなりませんでした。私たちは山小屋の近くにある遭難者の供養碑に、お線香をあげてあの子の成仏を祈りました。
それからは今でも、私はあの子の供養のために毎年1回、S山へ登っているんです。でも再びあの子の霊に会うことは、今のところありません。
ひょっとしたら天国で大好きなお父さんお母さんに会えたのかな、なんて思っています。

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ブログの表紙デザインを変更いたしました

2024年05月04日 | その他
今月から表紙デザインを変更いたしましたが、この変更は2月に続いて2回目です。
こうして変更を繰り返しますのは、このブログを観ていただく皆様の環境変化を勘案したものです。

私はこのブログを発信するのはパソコンからです。スマホも持っていますので閲覧はスマホでもいたします。しかし、小画面のスマホはパソコンの画面をそのまま表示はできません。
変更前のパソコン画面は次のとおりです。
    
しかしこの時、スマホは次のようになっています。

パソコンデザインの関係から、スマホでは「奇々怪会」の表示さえできないのです。
これはスマホではパソコン上の一部表示ができない制約があるからで、どうしようもありません。

そこでパソコン上で次のように変更をいたしました。
    
そうするとスマホでは

となり、奇々怪会の表示や概略もスマホでも表示されます。

パソコンのデザインは作成した私は変更前の方が訴求力があると思っておりますが、多くの皆さまがスマホで観ている以上はスマホでどう表示されるかを考慮せざるを得ません。以上をご報告いたします。
*上記のスマホの画面は見づらいと思いますがお許しください。

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日本伝承大鑑25 寒戸の婆【さむとのばば】

2024年05月03日 | 伝承大鑑
『遠野物語』8話にある、「神隠し」と題される話に登場するあやかしが寒戸の婆である。

……寒戸のある家の娘が、梨の木の下に草鞋を残したまま行方知れずとなった。三十数年後、親類などが家に集まっていると、老いさらばえた姿でその女が戻ってきた。どうして戻ってきたのかと尋ねると、女は人々に会いたかったからだと答え、また去って行った。その日は風が激しかったため、遠野の人は、風の強い日は「寒戸の婆が帰ってきそうな日」と呼ぶそうである。……

上の話を柳田國男に語ったとされる佐々木喜善が、昭和5年(1930年)刊の『民俗文芸特輯』第2号に、ディテールの異なる同じ筋の話を発表している。

……松崎村の登戸(のぼと)というところに茂助の家があった。その家の娘が、梨の木の下に草鞋を残したまま行方不明となった。幾十年経ったある風の強い日、家の人に会いたくなって、山姥のような姿になった娘が帰ってきた。肌に苔が生え、爪は二三寸に伸びたような姿であった。娘は一晩泊まると帰って行ったが、それから毎年その時期になると山の土産を持って訪れた。家の者も餅を持たせてやったりしていたが、来る時の数日が大風になるために村方より掛け合いがあって、山姥が来ないようにまじないをおこなった。その後、その山姥が来ることはなかったという。

大風のある時は「今日は、登戸の茂助婆様が来る日だ」と老人が言っていたのを覚えている。山の物に攫われた娘が老齢になって、里に帰っても安心だとなった時初めて里帰りを許されて、人々に会いに行けるのであろう。……
実は、遠野には“寒戸”という地名はない。しかし、柳田國男の著作があまりにも有名になりすぎたために、いつしか“寒戸の婆”の名が正式なものになったようである。寒戸の婆にまつわる伝承は口碑だけだったが(佐々木喜善の作品によると「婆が来ないように封じた石塔が六七年前まであったが洪水で流された」とある)、現在は『遠野物語』の観光名所として石碑が、登戸橋のたもとに置かれている。


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