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 秋 田 奇 々 怪 会

心霊現象、死後の世界、臨死体験、輪廻転生、古代文明、オーパーツ、超常現象、UFO等不思議大好きの会です

      「奇 々 怪 会」 とは、どういう会なのか


昭和30年前後にイギリスのネス湖で恐竜ネッシーの存在が話題となり(湖面を泳ぐ姿が目撃され、写真に撮られたりした)、ヒマラヤで雪男の足跡が発見された等などが新聞やテレビで話題になりました。
こうした話題は昔から私達の興味を引く出来事だったようです。

いや、もっともっと旧くには・・・
秋田出身の国学者・平田篤胤は異界・幽冥の世界の有様をまとめて、1822年(文政5年)に『仙境異聞』を出版しています。
実は文政3年秋の末、篤胤45歳の頃、江戸で天狗小僧寅吉の出現が話題となっていたそうです。
寅吉は神仙界を訪れ、そこの住人たちから呪術の修行を受けて、帰ってきたというのです。
篤胤は、天狗小僧から聞き出した異界・幽冥の世界の有様をまとめて、出版したのが『仙境異聞』であります。これが当時大きな話題となったと伝えられています。
ことほど左様に”不思議な話”は、いつの時代でも人の興味を引き付けるのだと思われます。

心霊現象、死後の世界、臨死体験、輪廻転生、古代文明、オーパーツ、超常現象、UFO、UMA、ツチノコ・・・・・
身近では霊的な場所、遺跡、神社、お寺、巨木等なども私達の興味を引き付ける様です。


奇々怪会は、こうした事に興味を持つ人の集まりです。
新規の入会を希望する方は下記までご連絡ください。
メールアドレス arashigeru@yahoo.co.jp

図形のAとBが同色か検証してみましょう

2024年04月13日 | 不思議










どうもこういう事の様です。黒いマスに四方を囲まれた①のBは本来の色より白く感じられる。これを切り取って枠外に出た③の時点で既に四方を黒に囲まれた状態を脱し当初より色が濃く感じる。
こうした見え方の差を「錯視」と呼ぶそうです。有名な錯視に下記画像があります。
上下の赤い線は実は同じ長さですが、どうしても上の赤線が長く見えます。これは線の両端に描かれた斜め線の向きでそう見えるのです(ミュラー・リヤー錯視)
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デジャビュ現象

2022年03月21日 | 不思議
私は自分のデジャヴ体験を前世できっと体験したのだと決めつけている。
しかし、学者はこれらを次の様に考えているらしい。

心理学ふしぎふしぎ
Q14.デジャビュ現象はなぜ起こるのですか?

はじめて行った場所なのに,以前にも来たことがあるような気がするのはなぜですか?
A.楠見 孝(京都大学大学院教育学研究科助教授。専門は,認知心理学。)

こうしたはじめての経験(ある場所を訪ねる,人に会う)について,以前経験したことのあるような強い懐かしさを伴う印象(既視感)が起こる現象をデジャビュ現象といいます。

デジャビュ現象は,小説によく登場しますが,最近までその認知心理学的研究は盛んではありませんでした。その理由は,デジャビュが,てんかん患者などにおける記憶異常の問題として扱われ,健常者では,疲労やストレスなどによってまれに起こる現象という見方が支配的であったためです。しかし,内外の質問紙研究によると,デジャビュ経験率は,健常者で3分の2くらいあります。私が,大学生202名に調査した結果では,場所のデジャビュは63%,人のデジャビュは35%が経験しており,どちらかの経験がある人は,72%でした。したがってデジャビュは通常の認知メカニズムとして考えられます。

デジャビュの起こる原因の1つは,記憶における類似性認知メカニズムの働きです。たとえば,私たちが,ある経験をする(たとえば場所を訪れる)ときには,類似した過去経験が自動的に想起されます。そのとき,現在の経験と過去経験の類似性が高いほど,既知感が高まります(未知感は逆です)。ここで,デジャビュ現象は,とても強い既知感があっても,(エピソード記憶や関連知識などに基づいて,たとえば「この地方,この場所に来たことはない」と)未経験であることを認識している点がポイントです。これが不思議な出来事として体験される原因です。

デジャビュ内容に関して,103名の大学生に16の場所・場面をあげて,デジャビュ経験の有無を尋ねたところ,並木道,古い町並み,公園,校舎,寺社などは,3割以上の人が,デジャビュ経験を報告していました。これらの光景は,しばしば目にし,しかもその光景は相互に類似しています。図に示すように,人は,これらの光景を繰り返し見ることによって,その光景は重なり合い,細部は失われた形での典型的光景(たとえば,寺であれば,山門から本堂までの石積みの階段)が記憶内に形成されます。そして,新たに目にした光景が記憶内の典型的光景と類似し,複数の手がかりが合致すると既視感が起こると考えられます。典型的な光景ほど,(見たことがないのに見たことがあると感じる)虚再認を起こしやすいことは,さまざまな寺の写真を用いた実験でも見いだされています。ほかにも,デジャビュの説明としては,脳機能障害(前頭葉における軽い発作,神経回路網の伝達の一時的障害),分離知覚(ある知覚経験が2通りの処理で保持される)などがあります。


ふ~~ん、学者の言うことは面白くもなんともない。
やはり私は前世に湯殿山に来たことにしておくぞ・・・・・・
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火葬場職員が心底震えた衝撃体験

2021年11月21日 | 不思議
ちょっと気味の悪い話をネットでみつけました。転載してみます。

これまでに1万人のご遺体を見送った下駄華緒さんが火葬場職員時代の体験を明かし、注目を集めているYouTubeチャンネル「火葬場奇談」。その壮絶な体験は「最期の火を灯す者 火葬場で働く僕の日常」(原案:下駄華緒/漫画:蓮古田二郎)として漫画化も果たしている。

その日、下駄さんの働く火葬場に運ばれてきたのは、大人の物の3分の1くらいしかない小さな棺だった。お骨上げの担当は下駄さん。これも一流の火葬技師になるための一歩なんだと言い聞かせるも、実際に火葬を目の当たりにするとかわいそうに思う気持ちが溢れ出してしまった。

 涙は出てしまったが、何とかミスもなくその日の仕事は終わったという。だが、その日下駄さんが見廻り当番で遅くまでのこって火葬場内を点検していた時、それは起きた。
(ああ…あの子だな)と思った「最期の火を灯す者 火葬場で働く僕の日常」より

 炉裏の両端には大きな重い鉄扉があった。その一方のカギを閉め、もう片方の扉に向かって歩いていた時、「ガチャーン」と、後ろから今閉めたはずの鉄扉が開く音がしたという。
 下駄さんはあわてて戻って確かめてみたが、鉄扉のカギはちゃんと閉まっていた。その時、下駄さんはなぜだか当然のように(ああ…あの子だな)と思ったのだそうだ。
 しかし、どうすることもできない。下駄さんは「ごめんよ…お兄ちゃんはもう帰るよ」とつぶやき帰路に就いた。

 その夜、下駄さんが眠りにつくと、不思議なことが起こった。「僕には霊感などないのですが、その時はっきりとその存在を感じたのです」と下駄さんは振り返る。
 下駄さんは突如金縛りに襲われ、目を開けると小さな男の子が目の前に立っていた。しかし恐怖は感じなかったという。その子供は「おにいちゃん、あそぼう」と話しかけてくる。身体は動かないがしゃべることはできた下駄さんは、「しりとりでもする? じゃあ…しりとりの『り』」と返した。
「りんご」
「ゴール」
「ルビィ」
「いす」
「スイカ」
「かがみ」
「ミニトマト」
しりとりを続けているうちに、下駄さんは「あること」に気が付く。
「ともだち」
「血だらけ」
 さっきから子供の返す言葉は、全部赤いものばかりなのだ。
「毛ガニ」
「肉」

 次は「く」だが、下駄さんは急に声が出せなくなってしまう。焦るうちに、目の前の子供がどんどん近づいてきて――。
 間一髪のところで下駄さんは汗だくで飛び起きる。夢だったのかと思った下駄さんだったが、気になって次の日出勤し、男の子のことを調べてみた(普段とは違ったご遺族への配慮が必要であると判断される場合、葬儀屋や喪主本人から死因を知らされる事もある)。男の子の死因は交通事故だった。下駄さんが最後に言おうとした「く」のつく言葉は「くるま」だったのだ…。子供の無念を思って下駄さんは「ごめんよう」と泣き崩れてしまったという。

 …いかがだろうか。人生の最後に携わる人々の物語――今一度「生きること」や「命の尊さ」について考えてみるきっかけになるかもしれない。
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【紹介】証言・臨死体験 文春文庫 (立花 隆)

2021年07月10日 | 不思議
立花隆氏の著作に「証言臨死体験」という本がある(文藝春秋社)。

本書は、臨死体験をしたことがある人から、その体験をできるだけ詳細に聞きとった証言記録集である。日本人の臨死体験だけを23例、本人がそのとき見た情景を絵に描いてもらいながら面接して集めた貴重な述作。人の人生が千差万別であるように、人の臨死体験も千差万別。そこに、人間存在の多様性と奥行きの深さがある。
有名人では芸能評論家の前田忠明氏、彗星探索家の木内鶴彦氏も含まれている。

この本に登場する「証言」にほぼ共通しているのは、死に直面することで死に対する恐怖感がなくなり、逆に、生が輝くということ。つまり、死後の世界があるかないかを論じるのは不毛であって、人間は死んだら無になるのではなく、死後の世界もあると信じたほうが、人生は楽しくなり、よりよい人生が送れるんじゃないかと思わせる。
場合によっては死が快感に近い感覚だったと語られること。そして、夢と違い、現実に近い感覚であり、漫画のように肉体から魂が抜け出し、自分の体や家族の姿も見ることができるという点。三途の川のような川を見ている人が多い。
一読をお薦めしたい。

【紹介】証言・臨死体験 文春文庫 (立花 隆)
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【立花隆】4人の臨死体験者が死にゆく時に見たものとは?知の巨人が徹底調査した結果

2021年07月01日 | 不思議
立花隆氏は”知の巨人”とも称される。
注目されたデビューは「田中角栄研究」で、時の総理を退陣に追いやったのだが、実は臨死体験、死後の世界、不可思議な事の追求にも膨大な著作がある。

その著作は多岐に渡る。
例えば「宇宙からの帰還(中央公論社)」は、宇宙体験をした宇宙飛行士たちの精神変容についてインタビューした本で、宇宙から帰還した宇宙飛行士の精神的な変化などを採り上げている。

宇宙空間から地球を見るということは、人でありながら神の目を持つ体験をしているといっても過言ではないと思う。そのような体験の後に表出される共通認識は、地球上での国家間の対立抗争はバカげているということと、国籍とか国境などにこだわらない、より広い視点をもった地球への帰属意識をもつことを皆が言っている。神との一体感に包まれ瞬間的に真理を獲得したという証言もある。
であるから、宇宙飛行士を退職後に宗教を始めたり、超能力を研究し出したり、環境活動に目覚めたりと様々。そんな彼らが明らかに地球にいるときとと違う価値基準を持たざる得なくなる経験をしたのがありありとわかる。
以下の動画はNHKスペシャルの一場面である。

【立花隆】4人の臨死体験者が死にゆく時に見たものとは?知の巨人が徹底調査した結果
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死ぬ時心はどうなるのか 立花隆 臨死体験 立花氏を偲んで

2021年06月28日 | 不思議
立花隆氏が亡くなった、知の巨人と言われ著作やテレビ放映も興味を惹く物が多かった。
このブログでも氏を何度か採り上げてきた。
氏を偲び、以前にアップした記事とも重なるがいくつかアップしてゆきたい。

2015年にNHKスペシャルで立花隆氏の特集が三夜放送された。
テーマは臨死体験で、氏はこの著作もあり、長い間真相解明に努めてきた。この集大成とも言うべき番組であった。
私は非常に興味があるので、録画して観てきた。

さて、世の中に臨死体験した人は以外に多い。そして、その状況は多くの人で共通している。
大概は病室から始まる。ベッドに寝ていた身体から魂(と名づけておこう)が抜け出し、病室の上の方からベッドにいる自分自身や、処置にあたっている医者や看護婦を見下ろす。
その内に魂はトンネルを上昇してゆく。着いた先は色とりどりの花が咲き乱れる心やすらぐ場所で、そこで大いなる存在(神か)を感じるらしい。
生前に遭遇した故人に巡りあったりする。その内に、まだお前の来る所ではないと言う啓示を受けて、病室の自分の体に帰ってゆく・・・・・・・続く
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【戸田の昔話】第六話狐に化かされた話

2020年12月12日 | 不思議
【戸田の昔話】第六話狐に化かされた話
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“狐に化かされる”ことってある? …相談者の不思議体験を江原啓之が解説!

2020年12月06日 | 不思議
スピリチュアリストの江原啓之が、現代社会でさまざまな悩みに直面している人たちに温かい“ことば”を届けるTOKYO FMの番組「Dr.Recella presents江原啓之 おと語り」。今回は、父が“子どもの頃、狐に化かされた”という相談者の話を紹介。江原が“ことば”を届けました。

◆後ろから何度も呼び止めましたが…
「江原さんにお聞きしたいことがあります。狐にまつわるお話です。私の父は、山奥にポツンとある一軒家で育ちましたが、子どもの頃、狐に化かされたという話を聞かされたことがあります。

父が遊んだ帰りに1人、山を歩いていると、祖母と全く同じ格好の頬被りした人が、山のほうへ歩いていく姿を見掛け“あれは確かにお袋だ”と、思ったそうです。もう夕方なのに家と違う方向に歩いていくのが不思議で、後ろから何度も“お袋~! お袋~!”と呼び止めますが、振り向かずどんどん先を進んで行きます。足取りが少し滑稽で、左右に“チョンッ”“チョンッ”と少し跳ねながら歩いていたそうです。

“これだけ呼んでも反応しないし、このままだと真っ暗になってしまうから先に家に帰ろう”。父は不思議に思いながら帰宅すると、台所に祖母が立っているのを見て、父はとても驚いたそうです。“お袋、さっき山のほうに歩いてなかった? 呼んでも返事しなかったでしょ?”と言うと、祖母は“ん? 何言っとるの。ずっとここにおったよ”。

一部始終を話したところ“あんた、狐に化かされたんよ”と一言。父は“あのまま付いて行っていたらどうなっていたのだろう”と思いつつ、しばらく信じられなかったそうです。私も身近にこんな体験をした人がいることに驚きつつ、神秘的だなぁと思いました。山に住む狐がこうした幻影の力を持っているのでしょうか?『狐の嫁入り』という言葉も各地方で言い伝えがありますが、そのことについてもお聞きしたいです」

◆江原からの“ことば”
「心霊学的には“自然霊”と言い、本当の動物ではない。お稲荷さんというのは、狐の姿で可視化する霊体。また狐とも限らない。お稲荷さんにお揚げをあげたりしますが、誰かの想像が広まったのではないかと思うんです。今回いただいたメールも、ついて行ったからといって、いたずらなので、たいして大きな出来事にはならない。こういった山里の話というのは、現代の様々な世知辛い話題より、ずっといいですね」

◆江原啓之 今夜の格言
「実は、毎日が不思議でいっぱいです」
「どのたましいも、今も懸命に生きているのです」
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人を化かした昔の狐、狐に化かされた昔の人間

2020年11月14日 | 不思議
「遠野物語」(柳田國男)には、村人から聴き取った昔の不思議話がたくさん収録されている。ザシキワラシの話、山の神の話、山男の話、河童(かっぱ)の話など多種にわたり、キツネの話もある。「遠野物語拾遺」と合わせると、キツネの話は12話載っている。
 キツネとタヌキは、人を化かすと信じられていた。キツネに化かされたという体験談が語られたのは、昭和20年代までである。

 ぼくが小学生だったとき、わが家でも自転車がほしいということになった。子ども5人に祖母もいて、8人暮らしでは家計が厳しく、新しい自転車は買えない。そこで、近所の溝川さんのおっちゃんに頼むことになった。おっちゃんは、何を商売にしていたのかよく分からなかったが、おっちゃんに言えば、古自転車を見つけてくれるというので、母が頼んだ。何日かして、おっちゃんは古い自転車を持って来てくれた。玄関のあがりがまちに腰を下ろしたおっちゃんは、タバコに火をつけて一服しながら、母を相手に世間話をしていたが、先日体験した話だと言って、キツネの話を始めた。我が家の裏に、巨大な古墳があった。仲哀天皇陵として宮内庁の管轄になっている前方後円墳の森であった。
 「野々上から畑の中を帰ってきましたんや。日い暮れて、暗なってましたな。道がぼんやり見えるだけで、途中、林あって池と火葬場ありますやろ。そっから仲哀さんの近くまで来たんですわ。ほんだら、道がふたつに分かれてるんですわ。どっちやったかなあ、わからんようになりましてな。こんなとこに分かれ道あったかな、おかしいな、そう思いましてな、こりゃ、狐かもしれん、そう思たから、だまされたらあかん、道に座ってタバコを一服吸うたろ思て、火つけたんですわ。そしたら、二本あった道が一本になったんですわ。狐ですわ」
 おっちゃんはそんな話をしてから、
 「この自転車、まだまだ乗れまっせ。大丈夫ですわ」
と言って、いくらかの金を受け取って帰っていった。その自転車、友だちの家に遊びに行くときよく乗った。ところが、前輪を支えるハンドル下にのびる軸がゆがんでしまった。それでもぼくは、まがった自転車をギコギコ言わせて乗っていた。

さて、「遠野物語拾遺」の第204話はこんな話である。
 「これは大正十年十一月十三日の岩手毎日新聞に出ていた話である。小国の先の和井内というの奥に、鉱泉の湧くところがあって、石館忠吉という六十七歳の老人が湯守(ゆもり)をしていた。去る七日の夜のことと書いてある。夜中に戸をたたく者があるので起き出てみると、大の男が六人、手に手に猟銃を持ち、銃口を忠吉に向けて、三百円出せ、出さぬと命を取るぞとおどかすので、驚いて持ち合わせの三十五円六十八銭入りに財布を差し出したが、こればかりでは足らぬ、ぜひとも三百円、無いというなら撃ち殺すと言って、六人の男が今や引き金を引こうとするので、夢中で、人殺しと叫びつつ和井内のまで、こけつまろびつ走ってきた。村の人たちは、それは大変だと、駐在巡査も消防士も、青年団員もひとつになって、多人数で駆けつけてみると、すでに六人の強盗はいなかったが、不思議なことには先刻爺が渡したはずの財布が、床の上にそのまま落ちている。これはおかしいと、小屋の中を見回すと、貯えてあった魚類や飯がさんざんに食い散らされ、そこら一面に狐の足跡だらけであった。一同さては忠吉爺は化かされたのだと、大笑いになって引き取ったとある。この老人は、四、五日前に、近所の狐穴を生松葉(なままつば)でいぶして、一頭の狐を捕り、皮を売ったことがあるから、さだめてその眷属(けんぞく)が仕返しに来たものであろうかと、村ではもっぱら話し合っていたと出ている。」

 そのころは、新聞にまで狐に化かされた話が出る時代だった。
 現代社会では、狐や狸、天狗や河童、ザシキワラシ、オシラサマ、雪女、山男などの不思議譚は聞くことはなくなってしまった。
 そしてはびこるのは、詐欺師をはじめ、えげつない、非情な、人をだまして骨までしゃぶる、金の亡者、人間の話である。(Hatena Blog 野の学舎より)
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狐に化かされた若者を助けた娘 アイヌ民話から

2020年10月23日 | 不思議
「アイヌと自然デジタル図鑑」というサイトの中の”物語や歌”というコーナーから表題の話を紹介します。
やはりアイヌでも狐は化かす悪者だったようです。


私は母の仕事を手伝いながら暮していました。
 大きくなって一人前の女性となってからは母に教わったことをして、何不自由することのない生活をしていました。
 ある晩、おしっこがしたくなり、どうしても我慢できなくなったので、暗い中起きるのは恐かったけれども、外に出ておしっこをしていると、どうしたことか私のおしっこが、白い靄になってどっかにいってしまいました。木原や川を横切ってずっと遠くに行く様子を私はじっと見ていました。靄は山に行くと、川に沿って上流に向かって行きました。本当にびっくりしてじっと見ていると、川の途中に狩小屋があるのですが、その小屋に入りました。

 小屋の中では一人の若者が寝ていて、その前後を一匹のキツネが跳び回り、若者を化かそうとしています。若者は寝返りを打つことも出来ないでいました。それを見て、靄が行ったように私もその家まで行って中に入りましたが、キツネは気づきませんでした。私はキツネのしっぽをわしづかみにして、地面に叩きつけました。そして、若者にお祓いをして、起こしました。若者は目を擦りながら「悪いカムイに化かされて眠ることも出来ないでいたんだ」というので、「しっぽを掴んで地面に叩きつけてあっちにおいてありますよ」と話すと、若者は地面に叩きつけてキツネを殺しました。「どこからか来たお嬢さんのおかげで、私は今こうして生きていることが出来るのですね」と若者は話しました。
 私はどこから来たのかは告げずに夜が明ける前に家に帰りました。そして、そのようなことがあったことは家族には話しませんでした。

 「どこかのお嬢さんが私を助けてくれたのですが、どこの人だかわからなくて捜しているのです」と言って家々を回っている人がいるという話を聞きましたが、私はそれでも黙っていました。
 ある日、家の外で犬の鳴く声がし、「外に誰か来たみたいだから、入っていただきなさい」と私は言われて、外に出てみると、私が助けた若者と連れの人が来ていました。「どうぞ、入って休んでください」と言って、私は家の中に戻り、かしこまっていました。すると、若者達が入ってきて、母と兄のところに来て「山に狩りに行って寝ているときに悪いカムイに化かされ、寝ることも出来ずにいたのですが、どこからか来たお嬢さんに助けられたのです」と事情を話しました。「お前がこの若者を助けたのか」と兄に聞かれたので、私も夜におしっこに行ってこういうことがあったのだということを話しました。すると、兄はとても驚き、若者は拝礼しながら、感謝の言葉を言いました。そして、私との結婚を申し込み、兄は承諾しました。

 若者と結婚し、若者は山でシカやクマを獲り、その合間に交易に行き、いろいろな物を手に入れ、仲良く暮らしました。兄は結婚し、たくさんの子どもにも恵まれました。私たちにもたくさんの子どもが出来ました。
 そして、「若いとき、夜おしっこに行って、そのおしっこが靄になって山の狩小屋に行き、そこで若者がキツネに化かされているのを見て、それを私が助けたという縁で結婚し、今こうやってお前たちがいるのだよ」と子ども達に教えながら、この世を去りました。と一人の女性が語りました。
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