教室も9月で閉鎖が決定されているので来月が最終となりました・・・
思えば、いろいろな講師を招いての講座や料理教室等の体験もあり
レポートのお手伝いもさせて頂いた事もありました
始まりがあれば、終わりもある・・・仕方のないことです
今日は猛暑のせいか出席者も少なかったのですが
「長崎の鐘・岸壁の母・誰か故郷を想わざる北上夜曲・少年時代・」等のリクエストも頂き演奏しました
昭和20年(1945)8月9日午前11時2分、長崎に原爆投下。
今日は、長崎に原爆が投下され79年目・・・
イスラエルの招待がないと欧米各国が非難し式典に欠席したようです
本来平和を祈る式典だからこそ色々な国の代表を招くのが筋だと思うのですが・・・
昔の歌には、その時代の歴史がうかがい知れる・・・
そんな声が参加者の皆様から聞こえてきました
「長崎の鐘」(作詞:サトウウハチロー・作曲:古関裕而/唄:藤山一郎)
昭和20年(1945)8月9日午前11時2分、長崎に原爆投下
この絵は福島市の古関裕而記念館で購入した古関先生の絵「長崎の鐘」です
1 こよなく晴れた青空を 悲しと思うせつなさよ
うねりの波の人の世に はかなく生きる野の花よ
なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る
2 召されて妻は天国へ 別れてひとり旅立ちぬ
かたみに残るロザリオの 鎖に白きわが涙
なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る
3 つぶやく雨のミサの音 たたえる風の神の歌
耀く胸の十字架に ほほえむ海の雲の色
なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る
「おへそが二つあるならば 世界もふたつあるだろう」(永井隆博士の言葉)
爆心地から700メートルしか離れていない長崎医大の診察室で被爆した永井博士をテーマに
作られた歌だと伝わっていますが、博士は原爆で奥様も失っています
自宅は跡形もなくなり奥様が身に付けていたロザリオがそこに落ちていた・・・と
博士は、飛び散ったガラスの破片で頭部右側の動脈を切断したものの
簡単に包帯を巻いただけで生き残った医師や看護婦たちとともに、
被災者の救護に奔走されたそうで、
後にヘレン・ケラー・昭和天皇も病床を見舞われています
名曲「長崎の鐘」は、永遠に残っていく歌でしょう!
ところでお盆が近づいてまいりましたが「怪談」等も夏は語られる機会も多いようです
幽霊は、亡くなった後”この世の未練”とか特定の人物に復讐し
恨みをはらすのが目的で現れると考えられていますが
仏様の教えとは無関係だとお寺のお坊さんがおっしゃいました
死後に地獄に落ちて、生前の行いについて裁かれたりするなど、
又、極楽往生したりすることについては諸説ありますが
呪い・たたり・復讐等を説いたお経はないそうです
悔しい思いをして相手を呪って「週刊ブンシュン」に駆け込むのが現代風・・・・
そう言えば、旅サラダレポーターの「中丸くん」・謹慎だそうですね!
「あっしにゃ関係のないお話でござんす」・・木枯らし紋次郎さんならそう言うでしょうが
個人の色恋沙汰ににうるさくなった現代社会・・・住にくうございますね(笑)