ボランティア演奏日記 「あきらとマドンナ」

訪問先でのハーモニカ演奏の記録と、時折、趣味の旅の様子等掲載しています

良いスタッフは施設の宝・・WSC様No.7 丁度訪問10周年になりました

2024年07月27日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

 先日、4年ぶりに電話があり演奏の依頼を頂きました

施設では、コロナ禍で余興を中止していたが再開されたとの事でしたが

WSC様には、2014年7月に社協様のご紹介で

訪問していますので奇しくも丁度10年目にあたります

距離が遠いので、もう依頼が無いのだと思っていたのですが・・・

当時の日記をひも解いてみると・・・・

「ハーモニカの人が来ると言うので”ドブネズ色”の人が来ると思った・・

”こんなことを言われた”」等との記述が残っていました・・・(苦笑)

なお、10年前の7月は10か所からのご依頼がありましたが

当時のご依頼先の未だ4か所の訪問が継続しています

件数から見ると新規のご依頼先も増えてコロナ前に比べ80%位戻ってきていますが

今くらいが丁度よいペースです

 

ASC様の担当者は、10年前と同じSさんです

今日は「あきマドが来る」と言うので、予定以外の曜日の御利用者も

いらっしゃって楽しみにしているとSさんからお聞きました

 

女性スタッフのJさんも10年前と変わらずお元気でしたが

感心するのは御利用者や我々に対する態度です

以前と変わらず優しくて面白くてとても気立てのよい方です

このような職員さんは、施設の宝です

演奏した曲は「夏の思い出・われは海の子・くちなしの花・椰子の実・

昔の名前で出ています・柔・若いおまわりさん・銀座カンカン娘・ゴンドラの唄・

こんにちわ赤ちゃん・知床旅情・南国土佐を後にして・

アンコールを頂き「好きになった人」以上50分強でした

 

終了後は、皆様と談笑しお茶をご一緒しました

今日も皆様の反応も良く、大いに楽しませて頂きました

また、皆様と写した写真も頂きましたがどれも皆様の笑顔で写っていて良い記念になりました

これで7月の演奏予定は無事終了しました

 

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新紙幣と新紙幣記念切手 7/26(金)HJI様 色・欲は永遠なり!

2024年07月26日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

  今日は、大勢の女性ばかりの御利用者でその活力に圧倒されました

しかも、皆様の反応が良く笑顔も溢れて演奏していても気分よく時間が過ぎました

 

今日の衣装?は、マドンナは、パールが沢山ついた自転車の模様のカットソー

私は「カセット」柄のTシャツを着用しましたが、皆様も興味津々で珍しいと好評でした

本日は珍しくリクエストを数曲頂きましたが「ゴンドラの唄・長崎の鐘・踊子」等です

いまでは、流れる事も少なくなってしまった曲ばかりですが、古い人間の私には、おなじみの歌ばかりです

 

「ゴンドラの唄」の松井須磨子さん・・・

妻子ある師「島村抱月氏」との不倫が話題になったそうですが

それをばねに「芸術坐」を起こし劇中で歌って大ヒット!!!

「命短し・・・恋せよ乙女・・・赤き唇あせぬまに・・♪」

島村抱月さんがスペイン風邪で亡くなると、2か月後に後を追って自殺

32歳の生涯を閉じられました。なんだか少し悲しいですね

 

今月の途中の息抜きに紹介しているのが「新紙幣と新紙幣発行記念切手」・・

これの現物を皆様にお見せしていますが喜ばれました

紙幣をプリンターでスキャンしようと試みましたが

プロテクトがかかっていて出来ませんでしたので当局の画像を拝借しました

7月発行日の翌日に郵便局に行きましたがまだ新紙幣は届いていないと言うことで

信用金庫で交換しました(一人5枚以内でしたが・・・)

今は、ATMで出てくるところもありますがマダマダ普通に手に取るには時間がかかりそうです

 

私は、記念切手も子どもの頃から集めたものがありますが今となっては二束三文・・・

値上がりする・・の言葉に踊らされてこの始末・・・(笑)

沖縄切手も一時投機的な現象で大きく値上がりしましたが、

代表的な”守礼の門切手”等、今や沖縄の土産物屋の片隅でひっそりと並べられていました

正に、強欲家たちの夢の跡・・・・

と申しましても、「それにつけても、カネの欲しさよ」!!

色・欲・・・・煩悩は永遠なり・・・・合掌

 

 

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引っ越しのお祝い 7/23(水)UR様 No.12

2024年07月24日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

 昨日よりは少し気温が低いようですが今日も猛暑日です

UR様・・・おなじみの方々が楽しみに待っていて下さいました

「長良川艶歌・赤と黒のブルース・浪花節だよ人生は…他」約1時間の演奏でしたが

皆様の反応もよくアンコールも頂き「高原の駅よさようなら」で締めくくりました。

 

最近の演奏曲は、50年以上昔の歌が多くなりましたが

こんな選曲でいいのだろうか?と不安を感じる時もあります。

その分、私もトシをとったと言うことでしょう・・・・

そんな時、時折、「東京大衆歌謡楽団」の皆様の動画を見て勇気を頂いています。

ナツメロ専門に唄っていらっしゃいますが根強いファンの方々に支持されているようで

私も頑張らなくてはと言う気持ちになります

「東京大衆歌謡楽団」様のご活躍をお祈りしています

 

ところで以前にもお話したことがありますが、

昔、福祉会館スタジオで ハーモニカの練習をしていたところ

偶然見学に訪れた各国の留学生の一群・・・縁は異なものと申しますが

その中に台湾からの国費留学生Tさんも入っていて、私のどこが気に入って下さったのか

日本語の論文のお手伝いを頼まれたのがきっかけで親しくなりました

Tさんも帰国され数年たち、台湾のご自宅にも招待されたこともありましたが

このたび都心へ引っ越しをされたとお聞きしましたので何かお祝いを・・と

考えていましたが物品ではなく、Tさんご一家の幸運を祈って自作の「絵」を贈ることを思いつきました

未熟ですが心を込めて描けば何とかなるだろうと思い板に描いて完成させ

先日、国際郵便で送ったところ無事に到着したと連絡が入りました

大変喜んで頂けたようなのでほっとしました!(^^)!

 

今日も、某社協様から8月の演奏訪問のお問い合わせを頂きましたが

あいにくご希望日は予約が入っていてご期待に沿えませんでした

有難いことに8月・9月とも、すでに多くのオファーを頂いていて忙しくなりそうです

 

 

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亡きご主人のハーモニカを・・・H荘なごやかK 様 7/23()No.5 

2024年07月23日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

 久しぶりのご依頼を頂きましたが

世話役のお二人(Mさん・Oさん)共、お元気で迎えて下さいました

気温の高い中、大勢の皆様が歩いて会場に来て下さって嬉しく思いました

なお今日は、M社協様の担当者がお二人いらっしゃいました

演奏時間は40分でしたがやや時間をオーバー

アンコールも頂き「好きになった人(唄:都はるみさん)」を演奏・・・・

参加者のお一人のご婦人(T様)が

「主人もハーモニカを吹いていましたが、94歳で亡くなりました。

私がハーモニカを持っていても仕方がありませんので貰ってやってください」と

ケースとハーモニカを5本持って来られました

折角ですので私が3本と世話役のお二人が一本づつ頂きました

帰宅して分解してみると一度も調律跡も無く、程度の良い綺麗な状態でした

早速消毒して調律してみるとやや硬めの音が出ます

これは、あまり吹き込んでない証拠・・・

頂いた方のお気持ちを尊重してしばらく吹いて慣らしてみようかと思います

”なごやかK様”で、もし次回のご依頼があったら、このハーモニカを使用するつもりです

ハーモニカを下さった「T様」のご主人にも”あの世”で聴いて頂きたいと思います

今日も皆様から暖かいもてなしを受け感謝の気持ちで帰宅しました

 

 

 

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遠山森林鉄道と遠山郷下栗の里の旅 日帰り旅行

2024年07月20日 | 

 遠山郷と呼ばれる飯田市上村、ここに遠山森林鉄道がありました

遠山郷は過去2回旅していますが鉄道があったことは知りませんでした。

今回、その鉄道が実際に運転されると南信州観光公社で聞き訪問しました

林鉄跡の保存や活用に取り組んできた

「夢をつなごう遠山森林鉄道の会」会長のMさんや、

旧木澤小学校保存会のMさんの案内で梨本停車場に赴いたのですが

ところが、テスト運行中に客車が脱線・・・乗車することは出来ませんでした

遠くは、千葉・や東京・毎日新聞のSNS版「鉄道紀行」班の記者の方まで

鉄道マニアが集まっていましたが残念でしたが仕方ありません

     (世話人のお一人 Mさん(85歳)と・・驚くほどお元気でした)

それでも誰一人不平を言う人も無く、気動車を見て、運転席に実際に乗る体験をさせて頂きました

昔は、梨元停車場から遠山川をさかのぼり全長30.5kmの路線を

切りだした材木を運搬するために走っていたそうですが1973年に廃止されました

現存する森林鉄道としては、他に「長野赤沢休養林」「北海道丸瀬布」等があり

観光用で列車を走らせています(私はいずれも訪問)

近くの旧木澤小学校があり、保存会のMさんの案内で見学しましたが

昭和の道具や学校で使用した物など雑多に展示してありました

音楽教室もありましたが、昔、さだまさしさんが来所されコンサートも開催されたそうです

保存会の皆様は、ボランティアで活動されているとお聞きし驚きました

全くの手弁当で「残すことに意味があるのだ」と語っていらっしゃいました

廊下には大きなガラス瓶があって「寸志」を入れるようになっています

もし皆様も訪問されたなら、お気持ちを入れて上げて頂きたいものです

 

ここから30分位、山道を登って行くと下栗の里のてっぺんにある

「高原ロッジ下栗」に到着・・・ここのご主人の笑顔がとてもすてきでした

遠山郷の部落の狭い道を下り反対側の山の中腹にある「前が岩展望台」」・・

ここからパンフレットなどで有名な部落の全景が見えました

山の斜面を利用してブルーベリーの栽培なども行われていて(上中野農園)

お値打ちにブルーベリー狩りも出来ます

農園のお嬢さんが穏やかな方で、とても親切にして下さって感激しました

空気が綺麗なせいでしょうか?花の色が鮮やかに感じました

 

今回、中央高速道路が工事中なので、グリーンロードから香嵐渓~治部坂~

昼神温泉を横目に見て右折し飯田市まで・・・自家用車で2時間15分ほどでした

飯田市までは往復約240kmの快適な日帰りドライブコースです

(飯田から遠山郷までは、さらに車で約1時間かかりますが)

南信州観光公社は、数回利用していますがいつも満足な対応をして下さいます

職員さんとも顔なじみになり気楽です

外国まで行かなくても近くにまだまだ素晴らしいところがあることを再認識しました

満足な、日帰り旅行でした

 

 

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「野球小僧(唄:灰田勝彦)7/17(水)AIAI様 No.113

2024年07月17日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

 今日はアメリカの野球オールスターで大谷選手がホームランを放ち

今永投手も一回三者凡退に抑え活躍しました

大舞台で力を発揮できることは素晴らしいことです!

 今日は野球がお好きで中日ドラゴンズのファンの方のいる日です

そう言えばドジャースのユニホームのロゴはドラゴンズに極似していますね

 

そこで夏の歌の他に「野球小僧」を久しぶりに選曲してみました

野球小僧(作詞:佐伯孝夫/作曲:佐々木俊一 /唄:灰田勝彦)

1 野球小僧に 逢ったかい 男らしくて 純情で
  燃える憧れ スタンドで じっと見てたよ 背番号
  僕のようだね 君のよう オオ マイ・ボーイ
  朗らかな 朗らかな 野球小僧

2 野球小僧は ウデ自慢 凄いピッチャーで バッターで
  街の空地じゃ 売れた顔 運が良ければ ルーキーに
  僕のようだね 君のよう オオ マイ・ボーイ  朗らかな野球小僧

まるで大谷選手の子どもの頃を連想させるような雰囲気の歌です

今日はいつもより人数は少なかったのですが和気藹々の雰囲気の中

楽しく一時間の演奏が出来ました(^^)/

 

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「若いおまわりさん(唄:曽根史郎さん)7/15(月)UD様No.19 職質の経験

2024年07月15日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

 今日もリクエスト曲を中心に演奏しましたが勉強になります

かえって選曲に迷わないので楽なのかも知れません

演奏曲は「われは海の子・くちなしの花・ゴンドラの歌・海・

おもいで酒・函館の女・星影のワルツ・若いおまわりさん」以上30分でした

御利用者の皆様とも顔なじみの方が多く笑顔で応援して頂いています

 

「若いおまわりさん」は昭和31年(1956)に発表され一世を風靡した曲です

当時、曽根史郎さんは、地方では交番で制服を借りる時に

アコーディオンで一曲歌って借りたと言う話を聞いていますがゆるい良い時代でした

現在94歳で現役最高齢歌手でいらっしゃいます

 

警察官は、犯罪検挙率ノルマと言うものがあるらしく

点数稼ぎに軽敏な犯罪?でも検挙する場合があって一般人は注意が必要です

以前、お話したかもしれませんが・・”職務質問”・・・・・

私達も誠に遺憾ながら3回程受けています

感じとしては、”カップルをからかってやろう”・・そんな印象も受けたこともありましたが・・

”私の人相が悪人面”??・のせい・・・いずれにしてもご苦労な事です

「若いおまわりさん(作詞:井田誠一/作曲:利根一郎/唄:曽根史郎)

1・もしもしベンチで囁くおふたりさん 早くお帰り夜が更ける

 ヤボな説教するんじゃないが ここらは近頃物騒だ

 話の続きは 明日にしたら そろそろ広場の灯も消える

2・もしもし家出をしたのかむすめさん 君の気持ちもわかるけど

 故郷じゃ父さん母さん達が 死ぬほど心配してるだろう

 送ってあげようまかしておきな 今なら間に合う終列車

 

こんな”親切なおまわりさん”ばかりならいいのですが・・・

最近は、警官も盗撮事件・ねこばば事件などが増えて仲間を検挙するという

馬鹿馬鹿しいようなことが起きているようです(笑)

 

本日も職員の皆様にも明るく対応して頂き当方まで気分が明るくなりました

暑さでだらけた気分も少しシャキッとしました

 

 

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魚沼の旅 名刹禅寺「雲洞庵」と清津峡

2024年07月11日 | 

 南魚沼には、名刹「雲洞庵」があります

一万坪の境内の中には建坪600坪ほどの建物があって

本堂に続く参道の脇には樹齢300年を超す杉の大木が立っています

室町時代に関東管領上杉憲実公が、曹洞宗雲洞護国禅庵を開創し多くの人に信仰されています

「赤門」昔は皇室関係者や大名の来山以外は”開かずの門」でした

 

昔から「雲洞庵の土踏んだか」と言われ、

修行者が「この道場で禅を学ばなければ一人前の禅僧とはいえない」と言われ

赤門から本堂の間の敷石の下には、法華経が一石一字ずつ記され埋められています

その有難さから「雲洞庵の土踏んだか」という言葉が生まれました

入口に入ると巨大な魚の彫り物が目に入ります

本堂は1707年に建立され近世寺院建築のもっとも優れたものとされ

新潟県の文化財に指定されています

13世通天存達和尚は、早くに亡くなった長尾正景の子供(上杉景勝公)を引き取り

雲洞庵で教育し・・そのお付として共に教育を受けたのが直江兼続公です

上杉謙信公の”頭巾”

宝物殿に関連の品が展示されています

宝物殿も無料で会館出来て驚きました

 

名画や偉人の直筆の書等も見ることが出来ます

庵の職員の女性達も感じが良くて、写真撮影も自由・なかなかこんな寺はありません

丁度御朱印帳がいっぱいになったので、雲洞庵で一冊購入しました

気分の良い寺で購入で来て私は運の強い男だと改めて思いました!(^^)!

あと、二度目の訪問となる清津峡を見物しましたが洞窟も改装され

 

突き当りの水鏡のところも柵が出来たりして少し良くなったり悪くなったり

中から外が見えるトイレもおしゃれに様替わりしていました

まだまだ日本には私の知らないところがいっぱいあります

旅で充電して又、活動に行かせたらいいなと思います・・・・

 

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憧れの宿「龍言」に宿泊 予想を裏切らない宿でした

2024年07月09日 | 

 日本旅館「龍言」は、新潟県南魚沼市の比較的市街地にありました

登録文化財に指定されている本館をはじめ、幕末時代に建てられた大小16の古民家から構成

270年ほど前の豪農の館「幽鳥の間」も、登録文化財にも指定されているそうです

ラウンジでのコーヒーやお菓子サービスも無料で驚きました




(アルコールは別途別途有料)

又、奥になるアウトドアラウンジは、雪国の”かまくら”をイメージしたスペースがあって

プライバシーを守りつつゆっくりと過ごすことが出来ます

 

木造平屋土蔵造りの風情ある大浴場は、その昔に米蔵として使われていた建物を移築

泉質は、疲労回復に効果があるとされているナトリウム塩化物温泉で「サウナ」もありました

又、半露天の家族風呂もあって無料でした

事は、オープンキッチンが併設されている部屋で頂きましたが

手の込んだメニューで満足でした

 

全ての部屋は、平屋ですが・・・宿のモットーが・・・・

「人様の頭の上に足を置くなどとんでもないこと・・・だから2階はつくらない」と

聞いたことがあるような気がします。

女房などは、平気で人が寝ている所をまたいで通る・・と申しましても

カイショなしのアタシが兎小屋のようなところに住んでいるのが原因なので文句は言えません(汗)

室内は落ち着いた雰囲気で今迄宿泊した旅館の中で一番気に入りました

寝床も寝心地が良く熟睡出来ました

(ホテルは帝国ホテルですが・・・)

 

夜は徒歩20分のところにある「銭縁公園」まで行って「蛍」を見ました

数十年ぶりの蛍でしたが・・・そのうちの一匹が私の手の中に・・・

幻想的な光を楽しんでから放してやりました

翌朝、玄関の前で「マダラカマドウマ」と言う昆虫を発見!

はじめて見ましたが旅に出ると新しいものに出逢えて嬉しくなります

スタッフの皆さんも控えめでありながらの気遣いが素晴らしく

期待通りの宿でした。機会があれば再度宿泊したいです

今迄幾多の有名旅館で失望させられることが多かった私ですが今回だけは大満足の宿でした

マスコミで紹介されている有名旅館と名のつくところのスタッフの一部は、

客を見て応対するところが多く(要するに貧乏人か・・金持ちか・・・)

妙なプライド?を持っていて結構態度がデカイ?仲居が多かったような気がします

「龍言」さんでは、そんなことは一切なく気分よく時間を過ごすことが出来ました

 

 

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新潟県魚沼市「赤城山 西福寺 開山堂」石川雲蝶の彫刻

2024年07月07日 | 

 今週は演奏予定がありませんので「旅」のお話を掲載しました

先日、.以前から行きたかった

新潟県魚沼市にある「赤城山 西福寺 開山堂」に行ってきました。

ここには、日本のミケランジェロと呼ばれる

幕末の名工”石川 雲蝶”の素晴らしい彫刻があります

西福寺は室町時代後期に”開山芳室祖春大和尚”によって開かれ

江戸幕末(1857)その「開山様」と曹洞宗開祖「道元禅師様」を

おまつりする為に開山堂が、「23世幡谷大龍和尚様」によって建立されました

見るものを圧当する本堂の天井他周囲の彫刻の数々・・・・

 

本堂の入り口には左右に仁王像があります

天井彫刻は、迫力ある「道元禅師猛虎調伏ノ図」

開山堂の三間四方の吊り天井に透かし彫りをされていますが

石川雲蝶終生の大作で”越後日光”とも呼ばれています

 

「道元禅師と白山大権現」

開山堂には、開祖道元禅師を題材にしたものが多く見ることが出来ます

彫刻ばかりでなく絵画・こて絵・組木細工など・・・

両面に透かし彫りが・・・

 

 

「永平寺血脈池縁起」

平寺開基波多野義重公に仕えていた侍女が何者かに殺されて池に沈められ、

成仏できずに夜な夜な幽霊となって現れていたのだが

その可哀そうな幽霊に道元禅師が血脈を授けて成仏させる場面である

 

各所には隠し絵のような彫り物があり・・例えば「猿」・・・

鳥や亀など探せばいろいろ見つかります

素晴らしい作品を見ることが出来て満足でした

 

 

 

 

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「踊子(唄:三浦洸一)」7/5(金)IK教室様 No.118  伊豆の温泉

2024年07月05日 | 音楽ボランティア ハーモニカ演奏

  IK教室様も10年以上訪問を続けてきましたが今年の9月に閉鎖の予定・・

今迄随分勉強させて頂きましたが残念ですがしかたがありません

理由の一つに「人手不足」が有るようです

 

いつもリクエストを出して下さるW様ご夫妻・・・

本日、「踊子」のリクエストを頂きました

作詞:喜志邦三/作曲:渡久地政信/ 唄:三浦洸一

昭和32年の川端康成の小説「伊豆の踊子」をモチーフにしたヒット曲です

三浦洸一さんは、現在96歳ですがご健在です

1・さよならも言えず 泣いている
  私の踊子よ ああ 船が出る

  天城峠で 会うた日は      絵のように あでやかな
  袖が雨に 濡れていた 赤い袖に 白い雨……

  月のきれいな 伊豆の宿   紅いろの ともしびに
  かざす扇 舞いすがた  細い指の なつかしさ……

2・さよならも言えず 泣いている
  私の踊子よ ああ 船が出る

  下田街道 海を見て  目をあげた 前髪の
  ちいさな櫛も 忘られぬ  伊豆の旅よ さようなら……


”伊豆の踊子”は、これまで6回映画化されています。

1回目は昭和8年主演は田中絹代/大日方傳、 2回目は、昭和29年主演は美空ひばりと石浜朗

3回目は昭和35年主演は鰐淵晴子と津川雅彦、4回目は昭和38年主演は吉永小百合と高橋英樹

5回目は昭和42年主演は内藤洋子と黒沢年男、6回目は昭和49年主演は山口百恵と三浦友和

昔は、伊豆の温泉地は新婚旅行の聖地の一つでもあり,

どこか鄙びたところの温泉も多くあって温泉地らしいムードがありました

伊豆と言えば・・・・

「えたいの知れない不吉なかたまりが 私の心を始終圧(おさ)えつけていた」という

フレーズから始まる、梶井基次郎の短編小説「檸檬(れもん)」も有名です

湯ヶ島温泉の「湯川屋」で執筆されたと知り・・・私も昔、20代の頃泊ったことがあります

でも残念ながら数十年たって再度訪問した時は廃業されていました

いろりの部屋が有ってそこで食事をしたことを思い出します

 

そいえば50代後半~60代にかけて全国の秘湯・温泉を数百箇所を訪ねましたが

昔の秘湯の宿と呼ばれたところも、今は高級旅館に様変わりしたところが多く

昔の良さは年月とともに無くなってしまいましたが仕方のないことです

そんなことを思うのは私が”古い人間”なのでしょう

 

 

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