Harvard Square Journal ~ ボストンの大学街で考えるあれこれ

メディア、ジャーナリズム、コミュニケーション、学び、イノベーション、米国社会のラフドラフト。

ジャーナリズム界のリーダーを育成する、ハーバード大学ニーマンフェローに参加して考えたこと

2012-12-13 | Harvard-Nieman
2011年8月から約一年間、ハーバード大学ニーマンフェローとして活動してきましたが、このたび、朝日新聞「ジャーナリズム」誌(2012年12月号)「特集・ジャーナリズムを教育する」に、ハーバードでの研究生活、曲がり角を迎える米国のジャーナリズム、今後のジャーナリズム界を牽引するリーダーのあるべき姿などについて、寄稿しました。以下は、同社の許可を得た上で掲載していますが、一部、文章を加筆・修正している箇所があります。

ジャーナリズム界のリーダーを育成する ハーバード大学ニーマンフェローに参加して考えたこと by 菅谷明子(在米ジャーナリスト)


ハーバードがあるケンブリッジ市は、ボストンからチャールズ川を隔てた対岸にあり、MITも擁する大学街



去年の8月のある快晴の午後。芝生がまぶしいハーバード大学ニーマンジャーナリズム財団の庭に、ニーマンフェロー(研究員)が一堂に集まった。この日は、初顔合わせのバーベキューパーティー。ほぼ全員が初対面にもかかわらず、ジャーナリストという職業柄か、見知らぬ人に話しかけるのもお手のもの。誰もがつきることのない話に花を咲かせていた。

 ニーマンフェローシップは、ハーバード大学が1938年に設立した、世界で最も歴史あるジャーナリスト奨学研究員制度である。ミルウォーキー・ジャーナル紙創業者ルシアス・ニーマン氏未亡人のアグネスが、「ジャーナリズムの質の向上のために」と寄贈した100万ドルが原資となった。当時は「新聞記者が大学で勉強して何になる」と揶揄する声もあったが、ニーマン夫人の先見性は、時を経て証明されることになる。現在、米国だけでもスタンフォード大学やMIT (マサチューセッツ工科大学)などを拠点にした、同様の研究員制度が40 以上あり、その中でも、ニーマンフェローシップは、予算規模、研究員数、プログラムの充実度で群を抜く。フェローシップの受与者は、ハーバード大学を拠点に、1年間、自らの関心に沿って研究する機会を与えられる。設立当時は数名の男性だけを受け入れていたが、今では、毎年、米国枠12 名、世界各国枠12 名の合計24 名が選出され、男女比も半々だ。

 歴代フェローが受賞したピュリツァー賞の総数は100以上にのぼり、ジャーナリズム界のリーダーを多数輩出してきた。これまで世界90 の国や地域から1300人以上がその恩恵を受けてきた。日本からの受与者には、朝日新聞元主筆の船橋洋一氏や元編集委員の下村満子氏、また、フリーランスジャーナリストの千葉敦子氏(故人)などがいる。私は、日本出身でありながら、米国生活が通算15年ほどで、自宅もハーバードまで10分程の距離に住んでいたため、「インターナショナル・超ローカル・フェロー」という”異色”の存在であった。ニーマン財団は、来年で設立75 周年を迎え、世界中から関係者が集まり、華やかな祝賀イベントが行われる予定だ。

ジャーナリズム界のリーダーを育成

 ニーマンフェローは駆け出しでもリタイア近いベテランでもない中堅記者が対象で、年齢も30 代から40 代が大半だ。選考では、これまでの仕事の内容や社会に与えたインパクト、将来性などが問われ、今後、ジャーナリズムの世界でリーダーシップを発揮することが期待される。フェローには、ニューヨーク・タイムズ、ワシントンポスト、米地方有力紙、米ネットワーク各放送局をはじめ、英BBCやフィナンシャルタイムズ、仏ルモンドなどメジャー報道機関の出身者が多いが、ニュース雑誌、ラジオ、オンラインメディア、また、独自の問題意識から活動を行うフリーランス記者や、映像作家、写真家、批評家などもいる。また、科学、環境、医療、アートなどの専門記者も少なくない。フェローの中には、すでに、ピュリツァーをはじめ、数々のメジャーな賞の受賞者も多数いる。


米国12名、世界各国12名の同期のニーマンフェローと。筆者は最後列の左から三人目。

 実は、ニーマンフェローになることは、私の10 代からの夢であった。私の母はリベラルな精神の持ち主で、「多角的な視点を育むこと」を子育てのモットーにしていたが、学校の保守的な雰囲気は、親の教えとは大きく異なるもので、そのギャップに、中途半端な日々を送っていた。そんな中学生のある日「ジャーナリスト」という職業の存在を知り、それは、当時の私を救ってくれたのである。「どうやら、好奇心を持って物事を追究したり、自分なりの視点を持って、広く世界を知ることは、プラスに働くらしい」。それ以来、ジャーナリストは、常に私の頭の片隅にあるものとなった。そして、インターネットもなかった時代に、全く不思議なことだが、ジャーナリストについて調べていくうちに、どういうわけかニーマンフェローの存在に行き当たったのである。

 とはいえ、私が実際に応募してみようと思い始めたのは、ごく最近のこと。それまでのフェローは、主な専門分野が政治、経済、社会、国際問題などだったが、この3年ほどはメディア研究をテーマに掲げる人が出始めていた。また、ソーシャルメディアの広がりをはじめ、大きく変貌を遂げるメディア環境について、じっくりと研究したいという思いが高まっていた。「今が絶好のタイミングかもしれない」と、10 年冬に出願書類を提出し、翌年2月に面接試験。正式な受与通知を受け取ったのは、去年の5月のことであった。

 ニーマンフェローの母体である、ニーマンジャーナリズム財団は、豊富な資金と多数のスタッフを抱え、フェローに対して、この上ない環境を与えてくれる。まずは1年間、仕事を離れて研究に没頭するのに十分な生活費と、子どもがいる家庭にはベビーシッター代も支給する。また、配偶者や恋人までもが、授業やセミナーに参加可能など、フェローとほぼ同等の資格を得ることができる。ここまで「寛容」なのは、優秀な人材を世界から呼び寄せるための戦略である。いくら素晴らしい制度が用意されていても、パートナーや子どもにもメリットがなければ、家族はついてこない。単身赴任を選ぶ者は少ないから、本人にとっての貴重な機会も、家族を理由に断念せざるを得なくなる。また、ゲイのジャーナリストもごく当たり前に受け入れる。私の年度には、子持ちの女性カップルと男性カップルがいたが、人生の多様なあり方を排除しないことは、ジャーナリズム団体としての基本であり、私自身、彼らとの付き合いから学ぶことも多かった。

 フェローに課されることは3つある。1つ目は、所属する組織の仕事をしないこと。これは、日常業務から完全に離れることで、視野を広げ、自分の仕事を相対化するためだ。2つ目は1年間に最低2コマの授業を取ること(ほとんどのフェローはそれよりはるかに多い授業を受講していた)。3つ目は、ニーマン財団がフェロー向けに主催するセミナー等に出席することだ。

充実したプログラムで、フェロー同士が学び合う

 ハーバード大学に身を置くことは、毎日、知のシャワーを浴び、脳がダンスしているような、興奮を覚える日々である。授業といっても、学生はすでに指定された本、論文、記事などを読み込んだ上で参加する。だから、先生の講義を聴くというよりも、各自が持ち寄る知見をさらに次の次元へと積み上げる場が授業であり、先生は補足を入れ、議論を深めるための促進役である。また、キャンパスでは、連日、数百にもおよぶ、講演会、セミナーなどが開かれ、学者や研究者はもとより、政府・政策関係者、世界の国家元首やリーダー、また、今まさに社会を動かしている旬の人物をはじめ、ありとあらゆる人たちが、彼らの経験や知識をシェアし、対話の機会を与えてくれる。

 それとは別に、ニーマンフェローのみを対象とした講座やイベントもある。毎週水曜日には、各界で活躍する人々をゲストに迎えるセミナー(多分野のノーベル賞学者から、著名作家・ジャーナリスト、映画監督、アーティストなど)があり、月に1度の金曜日にはジャーナリズムを考えるための参加型講座がある。これ以外にも、オフレコでのディスカッション(クリントン政権の財務長官を務めたローレンス・サマーズ元ハーバード大学学長、米国の4大統領のアドバイザーを務めたデービッド・ガーゲン教授など)や、テーマに沿った朝食会、昼食会、晩餐会。加えて、ジャーナリスト・トレーニング(写真・ビデオ撮影や編集、コンピューターを使ったデータ分析など)、リーダーシップ講座(スピーチ、交渉術、リーダースキルなど)、様々なシンポジウム、ドキュメンタリー上映会などもあり、毎日「世の中にはすごい人がいる」「こんな面白い考え方があるのか」「この人が世界を変えた張本人なのか」と、大いに触発される日々であった。

  ただし、ハーバードの弱点は、すでに成功した人を讃えることはしても、これから世界を作って行く未知の存在に可能性を見いだし、積極的に表舞台に出す事は、比較的少ないように思えることだ。その点、すぐ近くの「ライバル校」であるMITは、学生を「イノベーター」と扱い、必ずしも肩書きではなく、いかに面白いアイディアを持っているか、で評価するところあり、私としてはそうした姿勢により好感を持った。だから、ハーバード的な雰囲気に息苦しくなると、MITに逃避して、ほっとしていたのである。


多くの授業を受講したHarvard Kennedy School (行政大学院)。このバナーを見るたびに気持ちが引き締まった。

 フェロー同士が友情を育み、お互いから学び合うことを大事にしているのは、ニーマンフェローの伝統だ。幸い、財団の拠点は、巨大邸宅のような一軒家で、スタッフのオフィスの他にも、セミナールーム、リビング、ダイニング、ライブラリーなどに加え、調理器具や食器を完備したキッチンもあり、建物は24 時間いつでも使うことができる。このスペースは、フェローの拠点となり、お互いの絆を深めるのに不可欠な役割を果たしてくれた。いつの間にか毎週金曜夜は、料理自慢が腕を振るったり、食べ物を持ち寄って、家族連れで集まる習慣ができた。

 テーマも何もない、雑談という敷居の低い会話から学び合うことは、実は多い。インドのカースト制度の実態に、イスラエルや中東の政治状況。南アフリカのアパルトヘイトの今に、米国人の中国観。文芸評論家のフェローからは小説の魅力をたっぷり聞かされ、もともとノンフィクション党の私が、小説の世界に深く足を踏み込むことになった。また、ハロウィン、感謝祭、クリスマスや誕生会もここで祝い、スキーを始めいろいろな旅行にも出かけた。大人になると、毎日のように仲間と会うことはかなり難しいが、ニーマンフェローの1年は、それを可能にした。

 日本について考えさせられることも多々あった。母親がインドネシアで日本軍の収容所に入れられたという記者。太平洋戦争の日本軍の行いについて調べていたフィリピン出身のコラムニスト。東北で英語教師をしながら、日本の人とのふれ合いを楽しんだフェロー。一方、日本の英字新聞でインターンをしたフェローは、日本のジャーナリストの権力への腰抜けぶりを嘆いていた。驚くことにニーマンフェローの半数以上が、日本を訪ねたことがあり、彼らの体験談から、日本の良さや課題を改めて考えさせられることもあった。

 しかし、私が彼らから学んだ最たるものは、健全な民主主義のために、ジャーナリズムがいかに不可欠かを、今さらながら再認識したことだ。それを知る格好の機会が、伝統の「サウンディング」と呼ばれるイベントだ。毎週各フェローが交代で自らを語る「私の履歴書」ともいうべきもので、「なぜジャーナリストを志したのか?」「今の自分に至るまでの道のりは?」「これからどこに向かって行くのか?」というお題に答える形で、プレゼンテーションを行う。


ニーマンフェローの拠点、ハーバード大学ウォルター・リップマンハウス

命をかける気概を持った、ジャーナリストが集う場所

 とりわけ、命がけで戦うジャーナリストたちの勇敢さと行動力には、いつも心をゆさぶられた。マフィアから身を守るために、ボディガードを伴って取材を続け、また、政府にマークされながらも、言論の自由や人権擁護のために戦ってきたフェローたち。パキスタン・アフガニスタン報道でピュリツァー賞を受賞したイギリス人のニューヨーク・タイムズ女性特派員は、死と隣り合わせの恐怖の取材体験と、現地の悲惨な状況を語った。また、命がけで書いた記事を紙面に掲載してもらうための、編集者との日々の格闘もすさまじいものだった。 「ニーマンフェローが終わったら、また戦場に戻るの?」というフェロー仲間の質問に、彼女は少し怒ったように即答した。「もちろん、一刻も早く帰るわよ。あんなひどいことが起こっているのに、私が伝えなかったら誰が伝えるの!」。

 彼女と同じチームで取材を続けてきたパキスタン人記者は、政府を批判した報道が逆鱗にふれ、祖国に帰れなくなってしまった。それでも、彼は後悔していないという。「誰かが勇気を持って伝えなければ、世の中は変わらない」。

 1年先輩のフェロー、ナジラ・ファサイの場合は、イラン政府の脅迫に遭いながらも、やはりニューヨーク・タイムズに、反政府の記事を書き続けた。自宅前には監視者が張り付いた。その朝3時の交代の際に、次の人が来るまでわずかな空きができることに彼女は気づいた。身の危険がいよいよ間近に迫ったと感じたある早朝、監視者が立ち去るのを確認して、彼女は家族と共に、イラン脱出を決行した。

 ニーマン財団も、世界のジャーナリズムの向上のために行動する。勇敢な記者たちを讃え、ジャーナリストに対する圧力には非難声明を出す。政府に対して、出国禁止のジャーナリストへのビザ発行を呼びかけることもある。また、外国人フェローには、毎年、ニューヨークで行われるジャーナリスト保護委員会の年次晩餐会への参加の機会を設けてくれる。セレモニーでは、世界各地で命を落としたジャーナリストたちを悼むとともに、勇気を讃え、また、正義のために戦う人たちが表彰された。中には、過去に受賞しながらも、投獄されていたために、数年遅れでやっと式典に参加できた記者もいた。

誰もが情報発信する時代の、ジャーナリストの存在価値

 市民の情報発信がいかに盛んになろうとも、プロのジャーナリストの存在意義を強く感じるのは、社会の水面下で起きていることを、短くて半年、長い場合には2年もの歳月をかけて、徹底的に調べ上げる調査報道出身のフェローの仕事に触れる時だ。自分が住む州での病院用消毒液付きガーゼのリコールと、別の州で起こった病院での原因不明の子どもの死亡例を結び付けて死因の解明をしたり、隠蔽され続け統計にも出てこない全米の大学におけるレイプの実態を独自調査で明らかにしたりする、といった報道である。

 現場に何度も足を運び、数百人もの関係者に取材し、関連書類を徹底的に読み込み、場合によっては情報公開法を使って公開を求める。気の遠くなるような数の統計を集め、それをインタビューと統合し、独自のデータベースを構築して、点と点をつないで因果関係を調べる。時には探偵さながらに、後をつけたり待ち伏せしたりする。相手からの脅迫にも負けず、あくまでも正義のために問題をあぶり出し、世の中を変えていく。まさに、ジャーナリズムの真骨頂だ。

 今年、ニーマン財団から賞が贈られた、地元ボストングローブ紙の報道も「ウオッチドッグ」(番犬)としてのジャーナリズムの価値を考えさせるものだった。店舗やレストランで出される魚が、表示通りのものかを検証するため、5カ月以上かけて、150店舗以上から、183のサンプルを集めてDNA鑑定をし、半数の表示が偽装されていることを突き止めたのだ。記者からじっくりと裏話を聞くことができたが、連日、レストランで魚料理を注文し続け、こっそり容器に入れて持ち帰る様子は、スパイさながらだ。

 一方、高い専門性を持つジャーナリストの必要性を痛感したのは「メディア、エネルギー、環境とメディア」という授業を受けた時のことだ。米国トップクラスの科学ジャーナリストたちが次々に講義に来たが、彼らは博士号を有し、科学的知識と、様々な問題や調査結果を評価し、判断するだけの能力を持ち合わせる。科学者とのネットワークも広く、自分がわからない問題に対する「ブレーン」も複数持っている。そして何よりも、ストーリーテラーとして、科学を市民が理解可能なレベルに落とし込み、両者の橋渡しができるのだ。

 ところで、米国のジャーナリズムは、文章のスタイルにこだわり、事実をベースとしながらも、いかに物語として読者を引きつけるかを重視しており、豊かな文章表現に感心することが多い。文章表現のクラスで、よく議論しあったのは、歴史的記述も含めて、自分が居合わせていない場面を、いかに再構成するかであった。「彼はその時、地平線を眺めてそう思った」と書くためには、本人からの証言だけでは十分ではないなど、こうしたテーマで延々と議論できるのは、実に貴重な体験であった。

 また、表現ということでは、私なりに冒険もしてみた。ニーマンフェローの先輩から、「自分が絶対に良い成績を取れないような授業に、チャレンジしてみることの贅沢さを味わって」という言葉に背中を押され、2008年のピューリッツア賞受賞者で、今年の全米図書賞にもノミネートされた作家ジュノ・ディアスの「上級小説創作ワークショップ」という授業を、大胆にも受講し、人生初の小説も書くという無謀なことをしてしまった。

 彼は、ストリートの若者的世界と、アメリカの知と表現の最高峰という、全く異なる二つの異なる世界を、自由時在に行き来出来る稀な人物で、現代アメリカを代表する作家の一人でもあるが、教師としても申し分なく、物語を伝えることについて、全くこれまで考えてもいなかったような視点から、様々なこと深く考えされてくれた。授業では、スラング連発かと思えば、どうしてこんな知的で麗しい表現で話せるのか、といった具合で、授業の3時間はとても愛おしいものだった。

 他の学生の作品をじっくり読み込んで、批評し合うことから、学べることも計り知れなかった。毎回、授業の後には頭がハイパー状態で、一緒に受講していた、BBCのドキュメンタリー作家と一緒に、授業を振り返って、また、あれこれ議論するのが楽しかった。この授業を受けたことで、活字が持つ可能性の大きさを改めて感じるとともに、今後、批評や小説といった、新しい分野にもチャレンジしたいと思うようにもなった。

 世界中から集まったジャーナリストたちと接して思うのは、彼らはたとえ報道機関に所属していても、組織のためではなく、あくまでも個人として仕事をしていることだ。ジャーナリストのキャリアにしても、学生新聞、インターン、地方メディア、ジャーナリズムスクールなどを出発点に、良い仕事をすることで徐々に業績をあげ、それを抱えて転職し、キャリアアップを重ねていく。仕事そのもので評価されるため、自らの能力を磨くインセンティブが明確で、結果的にそれが自然な形で、ジャーナリストとしての力を高めていくことにつながる。

 会社の方針や上司が気に入らなければ、比較的容易に仕事を変え、引き抜きも一般的だ。個人ベースで動くが故に、組織の利害から解放され、むしろ、ジャーナリズム全体の利益を考えることができる。組織を超えたジャーナリスト同士の結束も固い。ジャーナリストを支援する団体も多数存在するが、意欲があれば、こうした組織に加入し、仲間と切磋琢磨しつつ、ジャーナリストとしてさらに成長していけるのだ。


ドイツ・ニュース週刊誌「シュピーゲル」科学記者のフェローと卒業式で

 米国のジャーナリズムは、世界中から容易にアクセスが可能になったこともあり、クオリティの高さで、世界のジャーナリストがめざすお手本的な存在となっている。各国出身にニーマンフェローたちの話しを総合すると、インテリ層の多くが英語を理解する国では、読者は地元紙かニューヨークタイムズか、といった選択も可能となったために、地元紙もクオリティを上げる必要にかられ、オンラインメディアの発達が、間接的に他国のジャーナリズムの向上にも繋がっているという。一方で、アメリカ的価値が広がることへの懸念もある。

 しかし、そんなアメリカのジャーナリズムも、ビジネスとしては大転換を強いられている。広告に過度に依存した新聞のビジネスモデルの崩壊、紙媒体からネットへの移行判断の遅れ、いまだ模索が続くネットによる収益モデル、止まらない廃刊とレイオフなど、課題は山積している。一方、「クレイグズリスト」に代表されるようなローカル情報ウェブサイトは、これまで地域の新聞が独占していた地元の企業広告、求人、不動産、売買情報などの広告を奪い、また、グーグル、アマゾン、アップルといった企業も、広告、配信、料金徴収などで大きな収益を上げている。もちろん、ジャーナリズムは公共的な使命を持つもので、単純に利益追求のビジネスとは比較できないが、ジャーナリズムを存続させるには、持続可能な「ビジネス」として成り立たせなければならないのだ。

ジャーナリズムを取り巻く環境の激変と思考の転換

 ところが、各所で調査やインタビューを行って驚くのは、ジャーナリストの間にはびこる「テクノロジー・アレルギー」ともいうべき技術に対する嫌悪感の強さである。ハーバード大学をはじめ各地の講演やシンポジウムでも、古い時代の価値観に固執し、そこから抜けきれない「オールドメディア派」と、新しいテクノロジーの可能性を信じる「ネット派」が対立し、感情的に衝突する場面にも、幾度となく遭遇した。

 個人的には、伝統的なジャーナリズムの良さを活かしつつ、新しいメディアが持つ可能性を融合させ、ジャーナリズムの変革を進めていけばいいだけの極めてシンプルなことではないかと思うのだが、ジャーナリズムの世界では、「オールドメディア派」が意思決定を行い、「ネット派」は若い世代が中心ということもあり依然として「マイノリティー」だ。加えて、ジャーナリストは「文系」出身者が圧倒的で、技術に対する抵抗感が根強く、守りの姿勢になりがちだ。自分たちを脅かす存在に映るからなのか、市民ジャーナリストやソーシャルメディア等による情報発信に対して、反発する記者も少なくない。残念なことに、こうしたジャーナリストのメンタリティーが、米国のジャーナリズム改革をさらに遅らせ、状況を悪化させることにもつながっているように思える。

 「ジャーナリストに技術を教えるなら、エンジニアにジャーナリズムを教えるほうが話が早い」と揶揄する言葉もよく聞くが、実際、コロンビア大学やMITをはじめとした大学では、コンピューター・サイエンスとジャーナリズムを融合したコースの開設が相次いでいる。また、起業家ジャーナリストの育成や、ジャーナリストではない人達による、全く新しい発想からデジタルツールを活用したジャーナリズム活動を行う試みも、多々出て来ている。「オールドメディア派」がはびこっていても、そこで諦めるのではなく、新しい勢力が徐々に表れ、その可能性を示し、イノベーションを起こし、世界を変えて行くのが、アメリカの面白いところでもある。

 私は、MIT メディアラボのCenter for Civic Media(市民メディアセンター) というエンジニアがジャーナリズムを学ぶことをコンセプトにした講座「ニュースと参加型メディア」を受講した。授業では、新しいニュースのためのツールを創り上げることに焦点を当てていて、例えば地図情報を活用したクライシスマッピングの方法論、データ分析と視覚化技法など、自分たちの手でプログラムを書き、それをオープンソース化して、市民ジャーナリストが活用できるようにしているのだ。こうした新しい手法は、これまでの報道の方法では不可能だったものを可能にしてくれ、新しいジャーナリズムの地平を切り開く、貴重な試みであると感じた。

明日のジャーナリズムを拓くリーダーを、いかに育てるか

 ジャーナリズムの世界は、デジタルテクノロジーとネットカルチャーが起こした地殻変動によって、大きな変革を迫られている。この変革の波を乗り切り、未来を創り出していくためには、新しいタイプのリーダーが必要である。それは従来のジャーナリズムの価値を十分理解すると同時に、テクノロジーやデータサイエンスを使いこなし、さらにジャーナリズムが健全に発展するためのビジネス基盤をデザインできる起業家/ベンチャーキャピタリスト的視点を持つ人間である。

 まさにこうした能力を持つという理由で、今年6月、ニューヨーク・タイムズは、世界最先端のメディア研究拠点のMIT メディアラボ所長で、べンチャーキャピタリストの伊藤穣一氏を社外取締役に迎えた。ニーマンフェローを対象にしたセミナーのスピーカーとしてやってきた伊藤氏は、なかなか頭を切り替えられないジャーナリストたちを前にこう語った。「ジャーナリストはテクノロジーを敵視し、自分で使いこなすことをしてこなかった。だから、どんなものを提供すれば読者を引き付けるのかもわからない。また、ビジネスモデルにしても、経営と編集の分離と称して、ネット時代への対応を怠ってきたが、ビジネスモデルを理解することと、ビジネスに迎合することは異なるはずだ。

ジャーナリストが新しいメディア環境を理解しなければ、結局、自分たちの知らないところで、デジタル化への対応が決定され、ジャーナリストはコントロールを失ってしまい、最終的には自らの首を絞めることになる」。伊藤氏の言葉は厳しかったが、私には、ジャーナリズムのパワーを信じる彼からのフェローたちに対するエールのように受け取れた。

 これからのジャーナリズム界を牽引して行くリーダーに期待されるのは、以下の3点になるのではないか。

①ジャーナリズム本来の価値観を理解・尊重し、調査報道などの良き伝統を守り、「社会の番犬」としての価値を深く理解し、実践すること。

②破壊的変化を起こしているネットビジネスのリーダーたち(グーグル、アマゾン、アップルなど)のビジネスモデルを理解し、ジャーナリズム復興のためにどのようなビジネス戦略/モデルがあり得るかを、テクノロジー起業家的な視点から考えられること。

③破壊的変化の起爆剤となっている、ネットテクノロジーを理解できるだけでなく、徹底的に使いこなし、さらに膨大な量のデジタルデータ(ビッグデータ)を分析・視覚化できる、データサイエンス的素養を持つこと。

 つまり、未来のジャーナリズムのリーダーは、「ジャーナリズム 」+ 「サイエンス&テクノロジー」 + 「ビジネス」の3つの分野を深く実践的に理解し、戦略的に統合できる人が求められている。そのようなリーダーを育てていかなければ、ネット/クラウド技術を武器に情報流通を支配する会社(無料ニュースを機械的にアグリゲートするサーチ会社など)や、テクノロジーと数学を武器にネットに乗り込んでくるデータアナリスト(金融、広告、市場調査のプロたち)に、それまで新聞に代表されるメディアが独占していた世界を奪い取られてしまいかねないのである。

 ニーマンフェローの1年間を通して実感したのは、ジャーナリズムは、いかなる時代においても、民主主義の存続にとって不可欠なものだ、ということだ。 今後、デジタル化が加速し、仮に紙の新聞がなくなったとしても、ジャーナリズムが持つ役割は、形を変えることがあっても、その重要性は決して変わらないだろう。

 知るべきこと、知らされるべきこと、未来に大きなインパクトを与える社会問題や意思決定に必要な情報を伝えるためには、いかなる利害からも独立し、専門性を持つ「ジャーナリスト」が、膨大な時間と情熱をかけて調査をしなければならず、そこにこそ、深く本質的な情報が生まれる。

 日本では、東京電力・福島第一原発の事故をきっかけに、ジャーナリズムのあり方が大きく問われている。このような「悲劇」を繰り返さないためにも、メディアはもとより、市民自身も、ジャーナリズムの価値を再認識し、政府や企業から独立したジャーナリズム、そして、それを支える「ビジネスモデル」のあり方を、真剣に検討していくことが、今こそ求められているのではないだろうか。 ■


(c) Akiko Sugaya/Asahi Shimbun

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菅谷明子(すがや・あきこ)プロフィール
在米ジャーナリスト。Twitter: @AkikoSugaya
米ニュース雑誌「Newsweek」日本版スタッフ、経済産業研究所(RIETI)研究員等を歴任。
2011~12 年、ハーバード大学よりニーマンフェローに選出され、ソーシャルメディア時代のジャーナリズムについて研究活動を行う。
コロンビア大学大学院修士課程修了、東京大学大学院博士課程満期退学。
著書に『メディア・リテラシー』『未来をつくる図書館』、現在、「ジャーナリズム・イノベーション」(仮題)を執筆中(いずれも岩波新書)。

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7 コメント

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お願い (Unknown)
2013-01-24 14:19:30
日本で二人の子供を育てながら、ちょっとだけ働いている兼業主婦です。旅行以外では海外に出たこともないので、こちらのブログで紹介されている話は遠い世界のできごとのようです。
ただ、このような世界があり、勉強し、脳をフル活用させて、充実感を持って毎日を過ごしている方々がいるということをブログという形で接触できることは、本当にありがたいと思っています。
読んでいなければ、ジャーナリストという職業の内容も、報道の現状も何も知らないまま過ごしていたことだと思います。
「AskWhatYouCanDo」私にとっては世界を変えるのに繋がる言葉ではありませんが、普通に日々を過ごす上でもとても有意義な言葉だと感じました。
ニーマンフェローをご卒業されるということで、このブログは終了なのでしょうか?
私にとっては知らない世界に開いていた扉(それもとてもハードルが低かった)が閉じられてしまうようで、心細い気持です。
できれば、さまざまな事を対象に続けていただけるとうれしいです。
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まだまだ続きます (Sugaya)
2013-01-24 17:23:51
コメントありがとうございます。ニーマンフェローは終わりましたが、米国には引続きおりますし、ブログも続きますので(あまり頻繁に更新できておりませんが)。Ask What You Can Do ~「自分にできることを、まず問いたまえ」(意訳)も良い言葉ですよね。引続き、どうぞよろしく御願い致します。
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ご転載ありがとうございました (さくら)
2013-03-04 23:06:13
一般人のfacebook、ブログ、tweetsで、多様な現場に即した現実と意見をタイムリーに発信できるようになり、広告費は他社に奪われ、紙媒体も時代遅れになりつつある現在、ジャーナリズムは大きな選択を迫られていますね。戦場、政府高官とその活動、長期粘り強い取材が求められるテーマ、など一般人には入り込めない重要なニッチへ追いやられていくのでしょうか。これに誰がお金を払ってくれるのかが死活問題ですね。今後のご発展をお祈りいたします。
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最終的には市民が決める ( Sugaya)
2013-03-06 00:09:10
コメントありがとうございます!ジャーナリズムは民主主義に不可欠なものだと思いますが、つまるところ、市民がそれを必要と考えるかどうか、そして、金銭的にサポートするのか、さらにジャーナリズムは市民にそう思わせるだけの、価値を作って行けるのかということにつきるかと思います。
非常に難しい問題ですが、今書いている本では、その辺り問題を、マルチスクリーンに映し出して、じっくり考えてみるための、きっかけになればと思っています。これからもよろしく御願い致します。
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若きジヤ-ナリストに期待する (滝川岬一)
2013-08-06 23:26:25
若いジャ-ナリストの鋭い切れ味と歯に衣着せぬ発表に期待しています。
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ありとうございます (Sugaya)
2013-08-15 19:35:30
応援ありがとうございます!決して若くはないのですが、頑張ります。
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アルツハイマー型認知症の早期診断、介護並びに回復と予防のシステム (高槻絹子)
2013-10-20 08:30:41
私はジャーナリストではなくて、アルツハイマー型認知症に特化して、その早期診断及び予防活動を特定の市町村で展開しているものです。国民的な課題であるこの大きなテーマをできるだけたくさんの人たちに知っていただくために、上記タイトルのブログを書いています。(kinukototadao)と打ち込み検索するとNO-1~NO-96のブログを読むことができます。発病の原因(メカニズム)、早期診断による回復及び予防について私たちの理論、根拠となるデータ及び実践活動の成果の概要を記述しています。一度読んで頂ければ、幸いです。
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