Harvard Square Journal ~ ボストンの大学街で考えるあれこれ

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「他人に寛容に、自分も楽になる」という発想も

2012-09-20 | Harvard-Nieman
先日のブログで、フレキシブルな時間で働くことのメリットと、それがなかなか広がりにくい理由のひとつに、「労働者として恩恵を受ける自分」とは別に、「サービス、あるいは仕事の相手先にも、高い質を求めてしまう、もうひとつの自分」にも原因があるのでは、と書きました。ツイッターで感想を頂いたり、また自分でも改めて考えてみて、関連して思いついた事があったので、ここにまとめてみます。

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夏に短期間日本に帰国したときのこと。到着後、成田からリムジンバスに乗りました。幸い、待たずにバスがあったので、到着後、何人かに電話をするつもりが、その時間が全くなく、バスの中から電話しようと携帯を取り出しました。すると「車内での電話は他の人の迷惑になりますので、ご遠慮下さい」といった内容のアナウンス。隣の席もおかまいなしに、電話で話すような米国にいると、こういう日本のルールをすっかり忘れていた自分に気がついて、はっとしました。

都心部で移動していた時には、小さい子を持つお母さんが、きつい言葉で子供を叱る場面によく遭遇しました。「急いで歩きない。後ろの人に迷惑がかかるでしょ!」「なに、もたもたしてるの!」。でも、こういう言葉を言わざるを得ない、お母さんの気持ちは痛いほどわかります。子供の行動を冷たい視線で見る「世間」のプレッシャーは、相当に大きく、私のような呑気者でも、子連れ外出は、緊張を強いられます。悪いことに、周りの視線が冷たければ冷たいほど、お母さんも焦ってしまい、子供にもそれが伝わり、かえって状況悪化ということもあって...、ああ切ない!

アメリカならば、「子供が大人と同じように振る舞えるわけがない」という暗黙の合意があるので、むしろ微笑ましく見てくれるし、積極的に手も貸してくれる。そうすると、自分が子供を持った時には、妙な引け目を感じる必要もないし、他の子持ちの人がいたら「お手伝いしましょうか」と自然と言えて、ほのぼのとした空気が流れてくる。そして、こういうなごやかな雰囲気だと、子供も機嫌がよくなって好循環。(勿論、場所や状況を考えずに、子供や親の振る舞いが度を超しているのは、問題外なのは言うまでもないけれど...。)

要は「他人に寛容になることで、自分も楽になるか」あるいは「他人を許さず、自分が苦しくなるか」ということなのだと思う。 
他人に高い期待をすることは、結局は、それが自分にも跳ね返ってくる。

勿論、全ての事柄に当てはまるわけではないけれど、日本は他人に厳しすぎて、最終的には、自分で自分の首を絞める例が、あまりにも多いと思う。

日本の良さもたくさん知っていますが、「他人に寛容になり、自分も楽になる」という発想も、場合によっては悪くない、と思うのです。

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