Harvard Square Journal ~ ボストンの大学街で考えるあれこれ

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米新学期に考える、フレキシブルな働き方を可能にするのに必要なこと

2012-09-18 | Harvard-Nieman
何事も完璧を求めがちな日本のことを考えると、日本の労働時間がフレキシブルになる為には、企業や組織による努力もさることながら、実は、高いサービスを求めがちな私達の側も、それを許容する覚悟があるか、ということが問われているように思えてくる。


夏に少しだけ日本に帰国していました。米国生まれの8歳の娘が、朝のラッシュアワーの様子をテレビで見て「どうしてこんなに混んでるのに、皆、同じ時間に仕事に行くの?」と、至極、当然の質問をぶつけてきました。しかし、通勤に限らず、皆が疑問に思い、変えるべきだと思っているのに、なかなか変化が見えない所が、日本の切ないところ。

北米に住んで通算15年程になりますが、確かに日本に比べると、時間の使い方が合理的なので、娘がこういうのも頷けます。そこで、時間の使い方を考えるきっかけになればと、エピソードを少しシェアさせて頂ければと思います。

私が20年以上前に、カナダのバンクーバーに住んで驚いたことのひとつに、朝7時に出勤し8時間働いて、午後3時に退社するという人たちが、多々存在していたことでした。カナダの商業都市トロントとの時差が3時間なので、バーンクーバー時間が、10時から6時とちょうど良いこともあるものの、時差とは無縁の人たちでも、同じようなパターンで働いていた人たちがたくさんいました。仕事さえきちんと出来ていれば、9時から5時にとらわれなくてもいいのだ、と思った最初の経験でした。午後、早い時間に家に戻り、子供と一緒に過ごしたり、スポーツを楽しんだり、ゆったり散歩に出たり、ビーチで夕日を楽しんだりするのを日課にしていたり。まさに、クオリティ・オブ・ライフとはこういうことか、と思ったものでした。

子育てとの両立が、契機となって、仕事時間を大きく変えた友達もいます。それまで9時~5時で働いていた彼女は、子供が出来てから、上司に相談し、朝5時から働き始め、午後1時に8時間勤務を終え、ジムに行ってから、子供のお迎えに行き、その後ずっと一緒にすごします。ミーティングなどは全て午前中に入れるので、仕事に差し支えもなく、朝は邪魔が少ないので、むしろ仕事の効率はアップし業績もよくなったという。

そういう私も朝型です。もともと、夜遅くまで起きているのは苦手て、徹夜もほとんどしたことがタイプですが、徹底した朝型派になったのは、やはり子供が出来てから。夜9時頃に、子育を寝かしつけた後は、疲れて頭が働かず、早寝早起きを実践したところ、自分に合う事が分かったのです。すっきりした頭でものを考えたり、執筆したり、お風呂で読書を楽しんだりすることも。夜なら数時間かかることが、あっという間に終えられることにも気がつきました。デッキで朝の爽やかな空気を吸い込み、小鳥のさえずりを聞き、朝焼けを見たり、街が動き出す前の静けさは、なかなか素敵なものです。「早起きは大変ではない?」と聞かれることは多いものの、毎日、6~7時間寝ていて、時間がシフトしただけなので、自然に目が覚めます。

ここで紹介してきた、朝早くからの仕事スタイルに限らず、都合に合わせて、午後から出勤するパターンや、「今日は企画書を書くから、オフィスに行かずに自宅で」、など、その時々で働き方を状況に応じて変えるなど様々です。勿論、職種や労働条件などにもよりますが、仕事と自分のライフスタイルの間で折り合いを付け、仕事にも自分にもメリットがあるように、あれこれ模索するのは珍しくないと思います。

少し話しはずれますが、時間の効率化という意味では、大学の事例も興味深いです。朝やお昼の時間帯の授業では、食べ物持ち込みで授業に参加するのは当たり前。サンドイッチとコーヒ片手にパソコンでノートを取るのは日常の風景の一部。日本では、先生に失礼にあたるのかもしれませんが、米国は合理的なので、先生も学生が一日の時間を最大限に活かすことに、理解を示すのが一般的。去年は11時40分からスタートするゼミがあったのですが、ほとんど全員が食事持ち込みでしたw。 先生が、デザートの差し入れを持って来てくれる日もあったほどです(笑)。「同じ釜の飯」ではありませんが、食べ物がクラスの連帯を強めていた気もします(違)。

朝食やランチタイムに、あえてセミナーを開き、食事時間と講演を合体させて効率化をはかるイベントも数多い。どうせ食事はしなくてはならないのだから、その間に話しが聞けるのはありがたい。そうでなければ、やはりランチを優先してしまうことになる。

時間の効率以外にも、「食事付き」のメリットは大きい。セミナーやコンファレンスなどでも、朝、昼、夜と食事が出るものが多いのですが、食事を出す事で、長時間に渡って会を継続させられ、食事を交えての参加者同士の交流の場にもなるから、一石二鳥。日本に帰ると、セミナーなどに出ても、「食事は自分たちで」、というものが多く、数名でグループを作って、外に食事に出かけることになる。そうなると、もともと知っている人同士だったり、話せる人の数が限られ、また、お店に向かっている途中で、話題がセミナーからずれてしまったりすることも多々。食事が出るメリットは、参加者全員と会のテーマについて、移動することなく、その場で継続して、議論を深めることができる点だと思う。こちらの日本の研究者なども、「なかなか良い方法なんだけど、日本では研究費で食事代をカバーできないことが多い」らしく、こうしたスタイルは難しいらしい。

話しがかなり横道にそれてしまいましたが、テーマを労働時間に戻すと、日本でも若い世代を中心に、労働時間を柔軟にすることの必要性を感じる人は増えて来ていると思う。その時に大事なのは、労働者である自分と、サービスを受ける側の自分との両方の視点から考えることではないかと思う。

例えば、米国では日本に比べると、労働者のフレックス時間がかなり進んでいるが、その一方で、用事があって担当者を捕まえようとしても、人によって働く時間や曜日がまちまちなために、すぐに連絡が取れないことが多い。特に米国に最初に住んだ頃は、日本式に慣れていて、ストレスを感じることも多かったが、実は慣れてくると、急を要することというのは、そう多くないことに気がつき、また、本当に緊急のことであれば、他の人がサポートしてくれることも実感した。むしろ、私のストレスは「担当者たるもの、すぐに自分のために、連絡をくれるべきだ」という、根本的な問題とは別の、自分勝手な思い込みから来ていたことに気がついた...(反省)。

そんなこともあり、何事も完璧を求めがちな日本のことを考えると、日本の労働時間がフレキシブルになる為には、企業や組織による努力もさることながら、実は、高いサービスを求めがちな私達の側も、「担当者がいつもつかまらない状況」を、どれだけ許容する覚悟があるか、ということが問われているように思えてくるのだ。(おわり)

追記:このブログを書いた後に、米国のフレキシブルな働き方について、かつてNewsweekにレポートを寄せたことを思い出しブログに転載いたしました。ご興味がおありの方は、こちらの記事もお読みいただければ嬉しいです。



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