人生黄昏時

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ルエダ【1】

2022年03月01日 00時02分45秒 | 日記

  ルエダとは

キリスト教を1604年から1620年まで

日本で布教

 

1624年から琉球で布教活動を行い

琉球で殉教した人物

 

フルネーム 

フアン・デ・ロス・アンヘレス・ルエダ神父

 

スペインのブルゴス県ブルゴス司教区グィリヤサンディノ村で

1578年に ルエダは誕生する

 

1590年ルエダはドミニコ会の学校で学び

1603年ドミニコ会の司祭となり

グィリャドリドのサン・パブロ修道院にいた時

 

1603年東南アジア、東アジア諸国の宣教のため

ドミニコ会が極東宣教会を設立する事になり

 

ルエダは 宣教教師募集に応募し

メキシコのサント・ドミニコ修道院に行くことになり

ルエダは半年近く滞在した

 

1604年6月に極東宣教本部があるマニラ到着

同地で開催された管区会義で

 

日本宣教を命じられ 

ルエダは28歳頃 日本に上陸したとされている

 

1602年からドミニコ会宣教師は

薩摩藩主島津忠恒に招かれ 長浜に滞在していた

 

ルエダも1604年からここに来て日本語を学ぶ

その後河内町に移り日本語を続けて学ぶ

 

1607年肥前国浜町の教会に神父として赴任

佐賀藩の鍋島勝茂領主の助けもあり

 

布教活動は順調に進み会員は増え

修道院や教会堂建設も実現する

 

ところが1613年

徳川幕府のキリシタン禁止令が発布され

 

佐賀藩もこれに従いキリシタン追放令が出され

ルエダも佐賀を出るが  

 

潜伏しながら九州全域で

信徒を励ましながら 布教活動を続けていく

 

ルエダは活動中、見聞きした事を

ドミニコ会宣教会に書簡や報告書に記している

 

この時期のキリシタン信徒に対する弾圧

拷問や処刑の様子は貴重な 資料となっている

 

ルエダは日本を脱出し1620年12月頃

マニラにあるドミニコ会極東宣教会本部に帰る

 

日本での布教活動は16年間だった

 

 

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4 コメント

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Unknown (ピエリナ)
2022-03-01 06:26:14
おはようございます🤗

初めて知りました。
この方もですが多くの人が火あぶりになったのですね。
一口に火あぶりと言いましても。。。
本当に想像を絶しています。
Unknown (オキナグサ)
2022-03-01 07:34:14
遠い国の出来事は歴史の一面を彩る貴重な事実ですが
、昨今を問わず表を彩るのは時の施政者たちに都合の良いものばかりです。
真実は地方の奇特な人たちによる記録にしか真実が語られていない気がします。
時の権力者や施政を司る人間の業の深さが感じられました。
ありがとうございました。
Unknown (kogetagaku)
2022-03-01 23:25:01
突然のコメント申し訳ありません。
爺と申します。
神鳴り3のぴこさんについてご意見を伺いたくて、失礼ながらご連絡をしました。
自分のブログの最新の記事の下に、今までの経緯と関連するブログのリンクが貼られています。
もし、ご協力頂けるならご一読頂き、ご感想を頂戴したいのです。
ぴこさんをかなり悪く書いていますが、皆様から頂いたご感想につきましては、自分の参考にさせて頂くだけで、感想の糾弾は致しません。
よろしくお願い申し上げます。
今月も先月同様に宜しくお願いします~ (ひろし曽爺1840)
2022-03-02 09:17:04
◆👴◆Akiさん・お早う御座いま~す!
(^_-)-☆今月も先月同様にお付き合いを宜しくお願い致します!
💻何時も心温まるコメントや👍いいね!ポチを有難う御座います。
@☺@今月も「新ノ城日記・ブログ」で色んな情報を教えて頂くのを楽しみにしています!
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