A級戦犯第一号として逮捕された東条英機と、板垣征四郎、木村兵太郎、土肥原賢二、武藤章、松井石根、広田弘毅が1948年(昭和23年)12月23日(皇太子明仁親王(現在の明仁上皇)の誕生日)にA級戦犯7人の絞首刑が巣鴨プリズンで執行されました。処刑された7人の遺体は横浜市西区の市立久保山斎場で火葬され、遺骨は伊勢佐木飛行場から飛びたった米軍飛行機によって東京湾外に散骨させられました。しかし、12月25日に小磯国昭の弁護人だった三文字正平が共同骨捨て場から遺灰(7人分が混ざった)を密かに回収し、近くの興禅寺に預けられ、1949年5月に伊豆山中の興亜観音に密かに葬られました。
>「戦犯第一号、東条を逮捕せよ!」78年前、東条英機は世田谷区の自宅で自決未遂<
>今日はA級戦犯7人が絞首刑になった日(当時皇太子15歳の誕生日だった)<
防衛省・市ヶ谷記念館を考える会は、明日12月24日『「東京裁判」終結75周年に関する声明』を公表します。
国際東京軍事裁判が開かれた旧士官学校一号館
東京裁判法廷
公開されている市ヶ谷記念館講堂
(了)