葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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天皇・皇后の「南洋諸島」訪問が意味するものは〔敵前逃亡其の三〕

2014年06月08日 | 憲法・防衛・平和・人権

『天皇、皇后両陛下が、戦後70年となる来年、戦没者慰霊のため、先の戦争で激戦地となったパラオなど太平洋の島嶼(とうしょ)国を訪問される方向で宮内庁などが検討していることが2日、分かった。

 両陛下は戦後60年の際、南方地域の戦没者慰霊を希望し、平成17年6月に米サイパン島をご訪問。戦没者の碑に供花し、民間人も含めて多くの日本人が命を絶った「バンザイクリフ」で黙祷(もくとう)をささげられた。日本軍1万人以上が玉砕したペリリュー島があるパラオや、ミクロネシア連邦マーシャル諸島のご訪問もこのとき検討されたが、移動手段や警護などの問題から、実現していなかった。

 両陛下は長年、国内はもとより、遠く海外で命を落とした戦没者への慰霊のお気持ちを、強く持ち続けられている。

 通常、両陛下の海外ご訪問は、相手国からの招請を受けて国際親善などを目的に行われており、戦没者慰霊のためだけにサイパンを訪問されたのは、前例のないことだった。今回の検討も、こうした両陛下の強いお気持ちを受けたものとみられる。

 陛下は、昨年12月の80歳のお誕生日を前にした記者会見で、80年で特に印象に残っている出来事について「先の戦争のことです」と語り、「前途にさまざまな夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです」と悼まれていた。』と3日のYAHOOニュースが報じていました。

ドイツ領だったパラオなど「南洋諸島」は、第一次世界大戦で日本の委任統治領となりました。管理人が子どもの頃愛読した「冒険ダン吉」は南洋諸島を舞台にした漫画です。管理人は南方戦線地域だけではなく、中国東北部(旧満州)黒竜江省方正県の満蒙開拓団慰霊碑と長野県満蒙平和記念館を訪問して欲しいと願っています。

今上天皇と皇后の「おことば」や「行幸啓」は憲法上の「象徴」としての責務と役割を踏まえたものだと、日頃管理人は考えていましたので、来年の「南洋諸島」への訪問計画も、安倍政権への警鐘だと思われます。

天皇と皇后は2009年2月1日にしょうけい館(戦傷病者史料館)を訪問されました。

しょうけい館2階常設展示室の「ー戦地での受傷病と治療ー」には下記のようなグラフが、そしてグラフの前には「受傷の瞬間」の展示品があります。

管理人は「皆さん 厚労省の資料から作成した戦病別グラフです。中国や満州では結核が一番多いことが分かります。南方戦線ではマラリヤが多くなります。そこで注目してもらいたいのは三つの地域で「精神病・その他の神経症」が8から8・9パーセントともあることです。皇軍が精神病になることは恥ずかしい話ですが、当時の軍資料でハッキリと示されている事実なのです。軍医の仕事の中で兵士の偽精神病や自分の銃で自傷した偽戦傷を見つけることが大変だと元軍医の湯浅謙さんから聞きました。」と説明をしています。

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【参照ブログ記事】「遊就館のプロジェクターが故障した

『自衛隊は当初からイラク派遣が隊員の精神面に与える影響を危惧していた。現に現地に派遣された医師が隊員の精神状態を調べていた。隊員4000人を対象にした心理調査の記録によると、睡眠障害や精神不安など不調を訴える隊員がいる部隊が1割を超え3割に達した部隊もあった。急性ストレス障害を発症していると診断された隊員もいた。

   国谷裕子キャスターが「帰国後、28人の隊員が自ら命を断たれたのは重い事実ですね」とこの問題を取材したNHK社会部の宮下大輔記者に語りかける。「重たい事実だと思います。ただ、防衛省はイラク派遣と自殺は直接の因果関係があるかどうかわからないとしています」と伝えた。』とNHK「クローズアップ現代」は伝えているように、管理人が訴えている「敵前逃亡」は現実なのです。

しょうけい館厚労省が設置し、日本傷痍軍人会が企画と運営をしていました。しかし、傷痍軍人会は高齢化のために昨年11月解散をしましたので、現在は厚労省の指定管理者が運営をしています。傷痍軍人会解散に関連して、和歌山県の金原俊雄弁護士はブログで天皇と安倍総理を比較して次のように語っておられます。

wakaben6888のブログ

平成25年10月3日(木)(明治神宮会館)
戦傷病者特別援護法制定50周年並びに財団法人日本傷痍軍人会創立60周年記念式典における天皇陛下「おことば」
(引用開始)
 戦傷病者特別援護法制定50周年並びに財団法人日本傷痍軍人会創立60周年の記念式典が行われるに当たり,全国から集まられた皆さんと一堂に会することを誠に感慨深く思います。
 昭和20年の終戦以来68年の歳月がたちました。国のために尽くし,戦火に傷つき,
あるいは病に冒された戦傷病者の皆さんが歩んできた道のりには,計り知れない苦労があったことと察しています。そのような中,皆さんが互いに,また家族と,手を携えつつ,幾多の困難を乗り越え,今日の我が国の安寧と繁栄を築く上に貢献してこられたことを深くねぎらいたく思います。戦傷病者とその家族が歩んできた歴史が,決して忘れられることなく,皆さんの平和を願う思いと共に,将来に語り継がれていくよう切に希望してやみません。
 この機会に戦傷病者と苦楽を共にし,援護のため,たゆみなく努力を続けてきた家
族を始めとする関係者に対し,深く感謝の意を表します。
 終わりに当たり,高齢の皆さんがくれぐれも体を大切にし,共に励まし助け合って,今
後とも元気に過ごされることを願い,式典に寄せる言葉といたします。
(引用終わり)
平成25年10月3日
戦傷病者特別援護法制定50周年記念式典並びに財団法人日本傷痍軍人会創立60周年記念式典における安倍晋三「祝辞」
(引用開始)
 先の大戦が終わりを告げてから、六十八年の歳月が流れました。この間、我が国は、自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道を邁進し、繁栄を享受してまいりました。これは、戦場に倒れられた方々や戦禍に遭われ傷病を負われた方々の尊い犠牲の上に、築かれたものであります。そのことを片時も忘れてはなりません。 
 戦傷病者の方々やそのご家族が、並々ならぬ苦難を克服して、社会の各分野で
活躍され、戦後の平和と繁栄に寄与されてきたことに対し、心から敬意と感謝を表します。
 また、財団法人日本傷痍軍人会におかれては、創立以来六十年の長きにわたり、
共に励まし合い、助け合いながら苦難を乗り越え、戦傷病者の福祉の増進に御尽力いただきましたことに厚く御礼申し上げます。
 戦争に参加し、祖国や家族のことを案じながら、命を懸けて戦い、そのために、障
害を受けられた方々に対し、必要な援護施策を講じることは、国の果たすべき当然の責務です。
 今後とも、戦傷病者の方々に対する援護施策の充実に全力を尽くしてまいります。
(引用終わり) 
 この「おことば」と「祝辞」を対比する趣旨は、天皇陛下の「おことば」が、安倍首相をはじめとする「靖国派」の「論理のまやかし」を映し出す見事な「鏡」となっていると思ったからです。
 通り一遍に読み流しただけでは、どちらも同じようなことを述べているという印象を持たれるかもしれませんが、この2つの文章(言葉)は全く似て非なるものです。
 私が考えるキーワードは「平和」です。「平和」という言葉が、それぞれどういう文脈で使われているかを分析してみましょう。
天皇陛下「おことば」より
昭和20年の終戦以来68年の歳月がたちました。国のために尽くし,戦火に傷つき,あるいは病に冒された戦傷病者の皆さんが歩んできた道のりには,計り知れない苦があったことと察しています。そのような中,皆さんが互いに,また家族と,手を携えつつ,幾多の困難を乗り越え,今日の我が国の安寧と繁栄を築く上に貢献してこられたことを深くねぎらいたく思います。戦傷病者とその家族が歩んできた歴史が,決して忘れられることなく,皆さんの平和を願う思いと共に,将来に語り継がれていくよう切に希望してやみません。
安倍首相「祝辞」より
 先の大戦が終わりを告げてから、六十八年の歳月が流れました。この間、我が国は、自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道を邁進し、繁栄を享受してまいりました。これは、戦場に倒れられた方々や戦禍に遭われ傷病を負わた方々の尊い犠牲の上に、築かれたものであります。そのことを片時も忘れてはなりません。 
 陛下の「おことば」は、戦後の戦傷病者の苦労をねぎらい、困難を乗り越えて我が国の繁栄に貢献したことに感謝するとともに、これらの歴史が決して忘れられてはならず、戦傷病者の「平和を願う思い」と共に、その歴史が語り継がれていくことを希望するというものであり、日本傷痍軍人会がこの式典を最後に解散するということを踏まえ、戦傷病者やその家族に対する情理を尽くした細やかな語りかけとなっています。
 ポイントは、「平和」とは、戦傷病者やその家族の「願い」であり、「思い」なのだという位置付けです。決して、戦没者や戦傷病者の犠牲があった「から」平和がもたらされたなどという「まやかしの論理」に与していません。 
 さて、安倍首相の「祝辞」です。既に上に述べたことでお分かりでしょうが、我が国が「自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道を邁進し、繁栄を享受」してきた(書き写すのが恥ずかしくなるほど歯の浮くような言葉ですね)のは、戦没者や戦傷病者の「尊い犠牲の上に」築かれたとする主張は、全く非論理的と言うしかありません。
 大規模な戦争の当事国となれば、国民に多大な犠牲者を出すのが当然であり、その追悼や補償は各国に共通する普遍的な課題に違いありませんが、だからといって、犠牲があった「から」、その後に「平和」や「繁栄」が築かれるものでは決してありません。
 安倍首相をはじめとする「靖国派」の主張は、そもそもその出発点において根本的に間違っています。
 戦後の「平和」や「繁栄」は、戦争に至る経過を「反省」し、2度と同じような悲劇を繰り返さぬようにしたいという国民の「願い」や「思い」が国の政策となって結実し、初めて達成されるものではないですか。
 戦没者や戦傷病者を顕彰することを隠れ蓑に、戦争への「反省」を「自虐史観」と貶める論理が、すなわち「靖国派」の「まやかしの論理」に他なりません。
 この10月3日の「祝辞」を読んだ人は、その「論理」が、先月(2013年12月)26日、靖国神社に参拝した直後に安倍首相が発表した談話「恒久平和への誓い」の一節今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります」と全く同じであることに気がつかれたでしょう。
 歴史修正主義者の「まやかしの論理」のポイントは、まさにこの種のフレーズの中にこそあります。

 

 

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