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葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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市ヶ谷基地PAC3地下弾薬庫の工事が始る

2016年04月20日 | 歴史探訪<市ヶ谷台・防衛省・東京裁判>

新宿区にミサイルを配備するな」2007年10月12日
防衛省左内門から見えたPAC3」2009年4月5日
市ヶ谷台からPAC3が撤収」2009年4月6日
市ヶ谷の防衛省にもPAC3、周辺ビル配慮し煙よけ柵設置」2009年3月30日

これらの記事のように管理人は、新宿平和委員会会長時の2007年からPAC3の市ヶ谷基地配備について発言をしてきました。
昨日は、大腸がんの定期検査のために東京女子医大病院消化器外科に行きましたので、帰途は市谷本村町防衛省北側の新宿区道を歩きながら、下記の写真を撮ってきました。
PAC3の常設弾薬庫の建設予定地では請負業者の鴻池組が杭打ち作業を始めていました。
本日、防衛省北関東防衛局調達部の担当者に電話で聞いたところ、深さ10㍍、10㍍✕10㍍の地下弾薬庫(保管庫)で、発射装置台の車庫、整備工場も建築するそうです。
火薬取締法の弾薬庫設置の規定は、自衛隊法によって除外となっていますが、東京都建築審査会で審議されて許可されたそうです。
左内町の住宅街とマンションに隣接して、ミサイルが常備されることは危険極まりない事態で、絶対に許すことは出来ません。

独立行政法人学生支援機構建物の横にある新宿区地図に、管理人が1970年から石川県金沢市に転居するまで住んでいた場所を記し、PAC3弾薬庫建設予定地、防衛省東京地方連絡部棟、目黒区から移転をしてくる防衛研究所棟を図示しました。


PAC3常設弾薬庫の建築確認告知板と鴻池組の杭打ち工事の予定表


工事現場


閉鎖されている左内門


工事現場から左内門方面を見る。右側のマンションには自民党野田毅代議士(元自民党税制調査会長)が住んでいる。


防衛省東京地方連絡部棟建築のお知らせ看板。(連絡部棟を解体した後の敷地に弾薬庫を建設するので、外務省外交官家族寮の敷地と防衛省が敷地交換をして建築することになった)


6月に竣工し、目黒区から7月中旬に移転する防衛研究所棟。右奥に見えるマンションに民進党代表岡田克也らが住んでいる。(ザ・センター東京)


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