<京を離れ、奥州へ逃れた源義経(菅田将暉)。しかし、温かく迎え入れて
くれた奥州の覇者・藤原秀衡(田中泯)が程なく死去。これを知った
義時(小栗旬)は、状況を探るため平泉行きを志願するが、義経の才を恐れる
源頼朝(大泉洋)は、藤原国衡(平山祐介)・泰衡(山本浩司)兄弟の仲の悪さに
つけ込み義経を討つように冷たく命じる。八重(新垣結衣)に見送られ、
平泉へと発たつ義時。一方、捕らわれた静御前(石橋静河)は鎌倉で……
ホームページより>
頼朝の娘大姫は大きくなって・・・入内(じゅだい)させる話しになっていた。
政子は「早い!」とは言っていたが、あまり遅くなるともらいてなくなる。
藤原秀衡が亡くなった後の鎌倉では・・・
1189年4月頃、頼朝は「義経を連れて帰ってこい」と義時に言う。
「生かして連れて帰れ」の命令だった。平泉を滅ぼす算段を言い渡す頼朝。
「藤原国衡、泰衡兄弟の仲の悪さにつけ込んで義経を討てと言ってきた。
義時の苦悩がわかるような感じ。
義時は八重や子供達と会う。「奥州に行く」と告げると「戦をする
のですか?」と聞かれ「ただ義経を迎えいく」と言ったか?・・・
梶原から頼まれた善児が義時と奥州へ向かう。
(善児がいると誰か死ぬんだよな~。😨 )
奥州平泉の藤原邸で・・・畑仕事の義経。
「コオロギは煙に弱い」とか義経は笑って話していた。
平泉から出る気は無い様子の義経。義時に向かって、「戦うなら灰になる
ように戦う」と宣戦布告。強気の態勢を固持する。
静御前は頼朝軍に捕まった。
「お腹にはややこが出来たのでは?」とりくが義時に言う。
お腹を押さえてやや後ろにのけぞっていたと態勢まで教えていたりく。
りくは静御前が気にくわないらしい。「側女が・・・」と言うと
「証をごらんにいれよう」と静御前は舞を行う格好をした。
しかし舞う前に義時から「偽物のフリをしてくれ」頼まれていたが・・・
義経の面影を思い出して本来の舞を披露してしまった。
それを見ていた政子や大姫は彼女の覚悟を悟るのかな~。
翌年、静御前が産んだ子供は男の子、しかし無残にも殺されてしまった。
義時は再び義経の所に出向き子供は亡くなったことを伝えた。
涙を流していた。
鎌倉殿が平泉に攻めればどうなるか藤原国衡に説明する義時、弟の泰衡が
兄に刃向かったら、そばにいた善児が弟を殺した~。(やっぱり善児か~)
善児がいると誰かが死ぬんだよな~。恐いやっちゃ😵
幽霊の秀衡が草場から出て来て、義経を見ていた。逆か?
義経が恩人秀衡を見つめていたのか?😁
義経は里と子供と一緒にいた。里は京にいた時に「襲ったのは私です」と
わびて自害した。子供まで道連れにして・・・
そこまでしなくちゃ静御前に申し訳ないと思ったのだろうか・・・
義経がいるところに床下から義時が入ってきた。
里と子供が亡くなったのを義時は知る。(むごい場面だね)
その後弁慶まで入ってくる。
弁慶は外の戦を知って時間稼ぎする算段で出て行った。
鎌倉を責める算段は考えたらしい。船で太平洋側を下って相模湾まで攻め
入る間に北からも攻めるという話しを義時に話す。
このコースのことを書状にしたためたものを義時に「梶原に渡して欲しい」
と言って手渡した。
義時は任務を終え鎌倉に戻る。八重や子供達に会ってひとときを過ごす。
首桶が頼朝の前にあって泣き崩れていた。6月13日鎌倉に義経の首桶が
届いた。
頼朝だって本当は義経には生きていて欲しかったと思うよ。
戦のシーンじゃなくて頼朝の涙で終わったというのもなかなかないよね。