閉ざされたドアの向こうに

他人の不幸の上に成り立つ幸せ

昔、先輩に言われた「たいていいい女の子(何をもっていいとするかわからないけど)には彼氏がいるんだから、(彼から)奪う気でいなきゃだめだ」


結婚しているとなると大いに問題だが、そうでなければ至極当然、別に何ら問題はない。


でも違和感を感じるんだ。結婚式場で新婦(ないし新郎)が他の恋人と駆け落ちしてしまうシーンを想像してみる。映画『卒業』からいろんなところでパロディというかマネされているあの有名なシーンだけど。残された家族や新郎(ないし新婦)はどうなるんだ。親戚をはじめとした参列者になんて説明するんだろう。

当の本人たちは良いかもしれないが(『卒業』ではバラ色の未来ではないという暗示があるが)、他の人にとってはたまったもんじゃない。


あと不倫で略奪愛とかいうのも、なんか違和感がある。子供がいてそれに振り回さるってなんか嫌だ。奪われた方が慰謝料とか養育費だけで落ち着けば、まあいいのかもしれないが。


話は結婚になってしまったが、恋愛でも突然「他に好きな人ができたから別れて」と別れを切り出されたら、困るだろ。

まさに他人の不幸の上に成り立つ幸せじゃないか。

でも、そんなこと言ったら就職試験、入学試験だって、採用者や合格者いる一方でそうじゃない人がいる。スポーツもそうだ。仕事もっと広く経済活動におていは卑怯で違法な手段を使わなくても、競争に負ける不幸がある。もっと全世界にみても・・・・


そんなことわかっている。

でも正面切って言われると違和感がある。

昨日『世にも奇妙な物語』でいじめられっこが他にいじめの対象があらわれいじめられなくなる話(実はいじめの対象はロボットで実験のために送り込まれている)を見てふと思った。
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