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先日の『こころの処方箋』では、理解や依存について具体的な説明が不足していた。
今日は私なりの説明をする。
「人間理解は命がけ」という刺激的な言葉だけでは、精神科医殺人事件のみに結び付けてしまうかも知れない。
そうでなく、本当の理解とは自分の根底を揺るがす程のエネルギーを要するという意味である。
例えば、日頃嫌がっている家族の性格を、じっくり理解しようとする人は少ないだろう。
神経質さや我儘さにはそれなりの理由があるものだ。
相手の置かれた状況を判断して、確かな想像力を巡らす時に、理不尽と思える相手の態度が理解出来てくる。
しかし、理解しようと努める程に相手を無視して築いてきた自分の立ち位置が無くなる事が多い。
私の場合、親の不満を唱え、「だから私はこうなった」と言っている内は幸せだった。
親の生い立ちやその時の状況に細かく配慮して、初めて理解出来た時には手遅れだった。
分かりやすく言えば、私が母に愛を求めていたと同様、母も私に愛を求めていたのである。
母もとても寂しかったのに私は気づいてやれなかった。
「親の様にはなるまい」と単純に思っていた私の根っこの部分がゴソっともぎ取られた感じである。
身近な人をすっぽりと理解した時に、自分のアイデンティティの拒否反応を起こす事があるのだ。
もっと手取り早く言うと、精神科医が患者の気持ちを深く完全に理解しようとするのは、自身の神経自体を冒す恐れがあると言うことだ。
だからと言って、調子の良い精神科医が表面ばかり合わせてくれているのも、かなり患者にとって危険性がある。
患者が、精神的に病んでる言動が普通だと捉えたとしたら、これは治療にならない。
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「依存と自立が共存する」というのは、例えば依存させない為に子どもにスキンシップをしないと、成長した子どもが上手く人と交流出来ない場合がある。
つまり、スキンシップで満ち足りた事がない為に、甘え方が分からない。
人に極端に甘えるか孤立してしまうのである。
小さな内から独りで寝させて自立させるというのも嘘だ。
親と充分添い寝した子どもは健康な性感覚を持つ人が多い。
以上二例は私が肌で感じた事である。
ちなみに、祖母は旧家に養女に出されスキンシップを知らない、母もその祖母から厳格にされるだけだった。
そして、母は育児書に忠実に私へのスキンシップを避けた。
その結果からだが、幼少期に依存出来なかった子は本質的に甘え方が下手である。
そして、甘え方が上手な人の方が安心して自立している。
河合隼雄先生がいかに多くの事例から真実を見抜いているか、改めて感心する。