
新入社員の木之本英美を一目見た時から、酒井久人の毎日が変わった。
もぎたての林檎の様な初々しさと、適度な知性と、ちょっぴりコケティッシュな笑顔、全てが久人の心を惹きつける。
昭和61年、37歳の久人はA商事総務課の主任だった。
大企業とはいえ、いささか出世に外れた職場で生真面目に勤めていた。
独り暮らしで友人の少ない久人には、職場はただ食べる糧を得るだけのものだ。
ミスの無いよう、上司に睨まれる行動をしないよう、砂を噛む様な毎日を送っていた。

彼にとって、英美は突然現れた天使だった。
不器用に彼女に近づき、二人だけの時間を持てた時、久人の気持ちは宙に浮いた。
彼は宙に浮いた気持ちのままで、デートを重ね、英美にプロポーズした。
英美は躊躇した末、プロポーズにイエスと応えた。
久人には、その時が自分の人生の頂点に思える。