
その日は、レモン色のコートを着た櫻子にとって覚との二度目のデートだった。
「死ぬ」とか変なハッカーに悪戯されて、覚にそれを訴えたかった。
最初は軽い気持ちから始めた覚との付き合いが重いものになった。
覚は見慣れない濃いグレーのコートを着て、ひどく大人に見えた。
大人に見えるのは、眉根を寄せた深刻な表情からかも知れない。
ショッピングセンターに併設した静かなカフェで二人は向き合った。
「園田君、スマホを乗っ取るのは意外と簡単なんだよ。ハッカーはメルアドや名前から辿って側に居るかも知れない。
それをセキュリティ強化するなど予防は出来るが、現在では絶対に防げる保証はない」
櫻子は覚の言葉の内容以上にその改まった口調にドキっとした。
「依田君、なんか有ったの」
「実は今日付で会社を辞めている」
櫻子は唖然とした。
「随分悩んだ。入った時から俺の選択は失敗だったと思った」
「競争とか、ノルマとか」
覚は苦しそうに頷いた。
いつかぼくが俺に変わっている。
「客を上から目線で見ると言われた」
それだけじゃないが、覚は黙り込む。
気まずい沈黙が流れた。
「小さくても自分が活かせる所へ入ってやり直したい。
でも君に迷惑かけそうだから、もう会えないと思う」

櫻子はこの一方的な宣言にただ驚くばかりだった。
何かもっと覚に悩みがあると思うが、それ以上踏み込む言葉出来なかった。
「ただ一つ君にお願いがある。君のメルアドも携帯番号もアカウントも変えないでいてくれ。
セキュリティを強化する方法をここにプリントアウトしておくから」
(それなら、何故会えないの。べつに会社変わろうと会うのが何故いけないの?
これじゃあ私を見えない糸で縛ってるようなものだわ。どうして離れて行くの?)
その櫻子の心の声が聞こえたように覚は呟くように言った。
「君はいつだって自由だ。自由な女の子だ。子って言うと怒りそうだが、俺の心の中の君は子なんだよ」
その時櫻子は覚の強い愛情をやっと分かった。
切ない甘い気持ちに浸りたいが、これは別れの言葉でもある。
櫻子は真剣な眼差しで覚を見上げて頷いた。