2004年に第1回本屋大賞を受賞したこの作品は非常にユニークです。
初の受賞作品に興味持って、早々に購入した私、純文学で、かつ数学者が主人公、数学の公式が飛び交う作品に辟易と致しました。
そこそこに読んで本棚の奥に仕舞い込んだのです。
なのにどうも未だに引っかかるのです。
何処が引っかかるかと言うと、この作品に込められた愛について、なのです。
過去の奢りが脳裏に残ってた2004年当時は分からなかった「愛というもの」の不可思議、についてです。
作者は芥川賞を受賞した小川洋子さん、当時40代なのに大学院生と言った雰囲気の人です。
作品自体が丁度大学院生の会話の様に思える部分があります。
もう大学生活に絶対戻れぬ状況下でやっと分かるものがあったみたいです。
以下粗筋でございます。
🍀🍀🍀🍀🍀
そのやつれた小柄な老人は弱々しげで、動作は恐ろしく鈍かった。
目立つのが、古ぼけた背広のあちこちにクリップで留められたメモ。記憶が途切れるので必要事項を覚えておく為です。
おまけに開口一番、「君の靴のサイズはいくつかね?」答えると「実に潔い数字だ」
凡そ「普通」とは程遠い人。
訳あって家政婦の職に長年従事する未だ若いシングルマザーは、仰天したが同時に彼に同情をおぼえる。
よく見ると、彼はいかにも上品な物腰で若い頃はさぞ知的な美男子だったろうなと言う顔立ちをしていた。
そして何よりも、人を決して身分や見かけで判断しない、子供のように純粋なところを覗かせたからである。
雇い主の老婦人の話では、彼は義弟で、数学者として華咲いたちょうどその時期に不慮の交通事故に遭って脳を損傷を受けてしまったとの事。
1975年以降の彼の記憶は失われ、辛うじて残る今現在の記憶は80分と持たない。
物語は、全編、愛する数学の公式や数字の神秘を語る学者と、暖かく接する家政婦と、彼を父の様に慕うその子供との、浮世離れした日常が描かれている。
その子が無事大学卒業後数学教師になるところで、余韻を残して終わっている。
読み進む内に、燻んだ(と思われる)人々に秘められたときめいた過去が明らかになっていく。
一瞬真実が分かったかな、と思った途端に、それは素早く巧妙にベールで包まれてしまったけど。
🍀🍀🍀🍀🍀
12年に及ぶ交流は、それを愛と呼ぶには哀しいけど、やはり愛なのだろうな、と今の私は思いました。
ヨーグルトミルクプリンを柿で飾ってみました。
砂糖を加えた牛乳を温め、ゼライスパウダーを振り入れて、冷めたところでヨーグルトと混ぜます。
身体に優しい味です。
私、数学が苦手だったのですが、小川洋子さんは好きだったのでしょうか?
俗に文科系理科系と言いますが、会社の中で文学部出身にかかわらず優秀なSEを知ってます。
要は頭の柔らかい時の訓練次第みたい。頭の中で考えを組み立てる事、それを言葉でなく数字で考えると捉えると、上手くいくのでしょうか?
学科の好き嫌いとは、結構些細な理由で決まります。
この作品の粗筋とは直接関係ありませんが、さて、1から10までの数字を全部足したらいくつになるでしょう?
作中、という質問を博士が子どもに出す箇所があります。
その答えに何故か私感動してしまった。
この場合は1から10迄の数字を全部足して単純に計算しても割と簡単です。
しかし、もしこれが1から一万とかなったら、このやり方は通用しません。
そこで考え方の一つ、1から9迄の平均値を出して9回かけて10をプラスすれば、1から10迄順に足すのと同じ結果になります。
ここから、数字が変わっても結果が一定の公式を推理する訳。
それは、n(n-1)÷2+nです(この場合10(10-1)÷2+10です。
無味乾燥に見えた公式がとっても素晴らしく思えます。
数学の時間に教わった気がしますが、小説の中で描かれるととても新鮮でした。
ネット検索するとさらに興味深いですよ。
文学と数学のコラボと言う意味でもとても新鮮な本です。
考えてみれば、2004年から17年過ぎてしまったのですね。
世の中激変しましたが、世の流れで数学の公式が変化するものではありません。
永遠を感じてしまいました。