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読書の森

石原裕次郎のいた時代




先日、久しぶりに週刊誌を買いました。
最近はどんな記事が出てるのかな?殆ど興味本位です。文春や新潮ばかりなので、たまには違ったものをと発売日だった「週刊現代」を買ったのです。

今や、週刊誌を読む人昔サラリーマンだったおじさん族が多くて、見出しもそれっぽいのであります。
「あの世に行っても人の心の中に行き続ける方法」「今飲んではいけない薬」なんて、なんか一気に老け込む気分だけど興味ある。

一体編集者はどれくらいの年代なのでしょうね。ひょっとしてオジン世代なのかしら?
ザッと読んでると、今どきの世情や政治社会、イケナイ記事が出ているにもかかわらず、昭和にタイムスリップしていきます。


昭和31年の夏、鮮烈なデビューを飾ったのが、石原慎太郎、裕次郎兄弟でした。
慎太郎は芥川賞作家として裕次郎は青春スターで、元祖「太陽族」として登場します。
太陽族とは、狭い意味では湘南の夏の海にたむろすちょっとカッコイイ不良たちを称してます。
今迄のモラル常識を吹き飛ばす飛んだ(とんでもない)行動が、戦後間もなく価値観が180度変化した時代にはかえって新鮮だったようですよ。

小学生の私にとっては、脚が長いだけで悪戯坊主そのものの顔つき、どこが「イカス」兄さんなのかしら、と裕ちゃんを見てました。


彼はデビュー早々相手役の北原三枝にアタックしまくって、恋人になってしまいます。元から憧れてたそうですが、よく言えば実行力旺盛悪く言えば手が早い人だと、これも当時の私は軽蔑しておりました。

しかし、石原兄弟は、ただの不良ではありませんでした。素直で頭が良くて朗らかだった彼らが変化したのは、大黒柱の父親が早世してからだそうです。

筋が通った不良と言いましょうか、最初から憧れてた北原三枝との結婚も人気スター故にひどい妨害や付き纏いがあったにもかかわらず、昭和35年に無事ゴールインしました。


そして、昭和37年彼が28才の時、石原プロモーションの社長として独立します。

道は平坦でなく、事業の失敗で経済的破綻(手持ちが5万円しかない時もあったそうです)かつ病魔が何回も襲って苦難と闘う訳ですが、この頃から人間的な深みや幅が増して来ました。
太っ腹で、ものに拘らない暖かい人柄が好かれて、彼を慕う俳優が多かったそうです。


タフガイと言われるにしては、あまりにも病気の多い人で、癌、結核、動脈瘤などなど入院を繰り返してます。

その度に奇跡的に生還してましたが、昭和62年52歳で皆から惜しまれながら亡くなりました。
家族からは勿論、友人からも、部下からも、周りからも、ファンからも、掛け値なしに愛された人なのですね。

もうこの頃は私の彼を見る目も全く違ってきました。一言で言えば、「凄い、只者じゃない魅力ある人」です。
もう一つ彼の歌声が好きでした。味がある包み込む様な歌い方をする人です。
彼は自分の人生を「僕の人生は空白の部分がなくて全て青春だった」と言ってます。
終始献身的に尽くした夫人も
「裕さん 抱きしめたい」などと言う手記を上梓したりして、幸せな人だったなと思います。

裕ちゃん、あまりに短い一生だったけど、およそコロナ禍に似合わない人でしたね。
と詠嘆賛美しながらも、やっぱりコロナ禍の後の世界が見たいと願うのでございます。


読んでいただき心から感謝します。 宜しければポツンと押して下さいませ❣️

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