コールドプレイが、サマーソニックでアリシア・キーズと共演 - goo 映画
アリシア、コールドプレイら熱唱-サマソニ ZAKZAK
……
エルサレムの鐘が聞える
ローマ人の騎兵隊が合唱している
僕の鏡に、剣に、盾に
外地の宣教師になるがいい
なぜか説明がつかないんだ
君がいなくなってからは
何ひとつ正直な言葉が出てこない
それが世界を支配していた頃の僕だった
邪悪で激しい風が
扉を吹き倒して僕を入れてくれた
窓は粉々に割れて太鼓の音がする
みんな今のこの僕に目を疑う
革命分子はみんな待ちわびている
銀の皿に載った僕の頭を
孤独な紐に吊るされたただの操り人形さ
誰が王になどなりたがる?
エルサレムの鐘が聞こえる
ローマ人の騎兵隊が合唱している
僕の鏡に、剣に、盾に
外地の宣教師になるがいい
なぜか説明がつかないんだ
聖ペテロが僕の名を呼ぶことはなく
正直な言葉が出てこない
それが世界を支配していた頃の僕だった
エルサレムは古代、2代目のダビデ王によって都と定められ、その後、3代ソロモン王では繁栄を究めた。
旧約聖書では、ダビデ王が老衰すると長男のアドニアは兵を持ち自らを王と名乗った。しかし預言者ナタンや弟のソロモンを遠ざけたため、ソロモンの逝く末が危惧された。そこでダビデ王はソロモンを王とすることを決めた。
結局、アドニアは、イスラエル一美人のアビシャグを巡ったいさかいで弟ソロモン王によって処刑されるのである。
その後、神から富と名誉を与えられたソロモン王は、主のために神殿を建設した。その至聖所には、十戒がしるされた二枚の石の板が入った“契約の箱”が収められた。そんな神殿は祈るものには免罪と、悪を罰するという正義の象徴となった。
しかしソロモン王の子、レハブアムが王となると、政治的対抗勢力が台頭しダビデ王朝に背いた。さらにその五年目にエジプトから攻撃を受けることになる。
このようにソロモン王の死後に王国は南北に分裂、様々な王国や帝国などが支配の後、ローマ帝国の支配下におかれたのである。
638年はイスラーム勢力が統治したが、1098年、十字軍の軍勢がエルサレムに攻撃、1099年にエルサレム王国が建国。
このように古代エルサレムは王朝の歴史である。
権力の世襲という王朝は、兄弟でも殺し合い、栄枯盛衰を繰り返しながら、支配勢力が目まぐるしく移りゆくのである。
「外地の宣教師になるがいい」とは、殺戮や暴力からの“解脱”を意味しているが、使徒の中心的指導者である聖ペテロ――新約聖書では各地の宣教師へ当てた手紙が書かれてある――から認められはしない、という意味が「僕の名を呼ぶことはなく」によって表わされている。
「宣教師になるほどの解脱の境地には至らず、富と名誉を求めるだけの俗人を生きている説明も付かないまま、欲望の操り人形でいるだけの、そんな世界を支配していた」という歌詞であることが理解できる。
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エルサレムの鐘が聞える
ローマ人の騎兵隊が合唱している
僕の鏡に、剣に、盾に
外地の宣教師になるがいい
なぜか説明がつかないんだ
君がいなくなってからは
何ひとつ正直な言葉が出てこない
それが世界を支配していた頃の僕だった
邪悪で激しい風が
扉を吹き倒して僕を入れてくれた
窓は粉々に割れて太鼓の音がする
みんな今のこの僕に目を疑う
革命分子はみんな待ちわびている
銀の皿に載った僕の頭を
孤独な紐に吊るされたただの操り人形さ
誰が王になどなりたがる?
エルサレムの鐘が聞こえる
ローマ人の騎兵隊が合唱している
僕の鏡に、剣に、盾に
外地の宣教師になるがいい
なぜか説明がつかないんだ
聖ペテロが僕の名を呼ぶことはなく
正直な言葉が出てこない
それが世界を支配していた頃の僕だった
エルサレムは古代、2代目のダビデ王によって都と定められ、その後、3代ソロモン王では繁栄を究めた。
旧約聖書では、ダビデ王が老衰すると長男のアドニアは兵を持ち自らを王と名乗った。しかし預言者ナタンや弟のソロモンを遠ざけたため、ソロモンの逝く末が危惧された。そこでダビデ王はソロモンを王とすることを決めた。
結局、アドニアは、イスラエル一美人のアビシャグを巡ったいさかいで弟ソロモン王によって処刑されるのである。
その後、神から富と名誉を与えられたソロモン王は、主のために神殿を建設した。その至聖所には、十戒がしるされた二枚の石の板が入った“契約の箱”が収められた。そんな神殿は祈るものには免罪と、悪を罰するという正義の象徴となった。
しかしソロモン王の子、レハブアムが王となると、政治的対抗勢力が台頭しダビデ王朝に背いた。さらにその五年目にエジプトから攻撃を受けることになる。
このようにソロモン王の死後に王国は南北に分裂、様々な王国や帝国などが支配の後、ローマ帝国の支配下におかれたのである。
638年はイスラーム勢力が統治したが、1098年、十字軍の軍勢がエルサレムに攻撃、1099年にエルサレム王国が建国。
このように古代エルサレムは王朝の歴史である。
権力の世襲という王朝は、兄弟でも殺し合い、栄枯盛衰を繰り返しながら、支配勢力が目まぐるしく移りゆくのである。
「外地の宣教師になるがいい」とは、殺戮や暴力からの“解脱”を意味しているが、使徒の中心的指導者である聖ペテロ――新約聖書では各地の宣教師へ当てた手紙が書かれてある――から認められはしない、という意味が「僕の名を呼ぶことはなく」によって表わされている。
「宣教師になるほどの解脱の境地には至らず、富と名誉を求めるだけの俗人を生きている説明も付かないまま、欲望の操り人形でいるだけの、そんな世界を支配していた」という歌詞であることが理解できる。
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