皆さんこんばんわ。あがりです。
今日は午後半休をもらい(会社のいい制度ですね)、娘の授業参観に行ってきました。娘の通う小学校は、30年近く前あがりも通っていた小学校です。てことは、あがりは娘の大先輩です!
娘の入学式以来の小学校。ほんの少し変わってはいるものの、あがりが通っていた時と外観は変わりません。ここであがりも過ごしたんだな~と懐かしさをかみしめつつ、娘の教室へ。
たっくさんの親御さんが来ている中で(当たり前ですわね)、あがりの昔の同級生たちも親として来ていました。20年以上ぶりの再会もしつつ、授業が始まりました。
娘の教室の授業参観の内容は「道徳」。内容は「お母さんの請求書」。
この話、あがりもよく知っています。あがりが大学時代、教育発達論だったか教育心理学で取り上げられた覚えがあります。ここで言っときますが、あがりはちゃんと大学で教職も学んでいたんですよ。あがりが教師の道へ進みたい!と母に言った時、母は必死であがりを止めました。
「どうせ、あんたは不純な動機で教師になりたいんでしょ。あんたみたいに運のいい子はきっと教師になる。でも新聞や警察のご厄介になるのがオチだから、教師の道は諦めて、本当に教師になりたい人に枠を空けてあげなさい!」
あがりは修学旅行に行きたい!女子高生からちやほやされたい!ただそれだけで教職を取っていたいたような気がします。世の中では桜井幸子さん演じる女子高生と真田広之さん演じる高校教師が恋の逃避行をする野島ドラマなどが流行した後。トレンディードラマの形がさらに自由な形に変形し始めていた頃です。
今思い起こせば本当に教師にならなくて良かったと思います。最近、巷を騒がせている教師となんら変わらないですよね。
んなこたぁ、どうでもいいんです。道徳の話。
この「お母さんの請求書」。牧師ヒュー・テーケル博士の出典で「ブラッドレーの請求書」という話です。
『日曜日の朝、たかしが二階から降りてきて朝食の食卓に付いた時のこと。たかしはお母さんのお皿の横に丁寧にたたんだ一枚の紙を置きました。お母さんはそれを呼んで不思議そうな顔をしましたが、すぐにいつもの優しそうな顔に戻って繰り返しその紙を読みました。
たかしの置いた紙は次のような内容だったのです。
「お母さんへのせいきゅう書
お使い代 100円
おそうじ代 200円
おるす番代 200円
合計 500円」
読み終わった後、お母さんは何も言いませんでしたがにっこり笑いました。
お昼の食事の時になって、お母さんはたかしのお皿の脇に500円をそっと置きました。
たかしはそれを見て、上手くいった!と嬉しくなりました。
ところが、お金と一緒に小さな紙切れが置かれていました。
たかしが取り上げてみるとそれはお母さんからの請求書でした。
その紙には次のような内容が書かれていました。
「たかしさんへのせいきゅう書
親切にしてあげた代 0円
病気の時に看病してあげた代 0円
洋服や靴やおもちゃ代 0円
食事代や部屋代 0円
合計 0円」
たかしははっとしました。
一回、二回…。たかしは繰り返し読むうちに涙があふれてきました。
(ぼくは自分のことしか考えずにお母さんに請求書を出してしまった。なのにお母さんは…)
しばらくじっとしていたたかしはお母さんの元へ駆け寄り、さっきお母さんからもらった500円を返してこう言いました。
「お母さんごめんなさい。このお金は返します。そしてこれからはせいきゅう書なんかはなしで、何でも手伝わせてください。」 』
日本風に直してありますがこのような内容。
たかしの気持ちを問う担任の先生。その問いに答える娘の同級生達。
自分の娘ばかりを見ているあがりにとって、子供たちの回答は非常に面白かったです。
中でも、先生の
「なぜ、お母さんの請求書は全部0円だったのでしょうか?」
という問いに対する子供たちの答え。
「請求しても子供がおカネを持っていないことを知っていたから」
「子供に請求しておカネをもらったとしても元は自分のおカネだから、儲かったことにはならない」
「払ってくれるはずがないと諦めている」
などなど…。
引き出したい答えがなかなか出ないことに困惑した担任の先生が、父兄に答えを求め、あるお母さんが一言。
「無償の愛だからです」
あがりが当てられたらきっとこう答えていたでしょう。
「娘を育てるのは親として当たり前のことだと思っていたので、お金を請求するという考えは全くありませんでした」と。
家族が一緒にいるのは当然のことで、一緒に生活することの代償として報酬を授受するのは間違っていると思います。子供たちの中から、家族が一緒にいることが「当たり前だ」という答えが出なかったことが残念なのではなく、家族が一緒にいることが「当たり前だ」とお父さんお母さんから教えてもらっているからこそ、今回は答えが出なかったのだと思います。
だって、子供たちは当たり前のことを繰り返して大人になっていくんですから。家族と生活をして、多くの人と出会い、別れて、恋をして、一緒になって…。親になって子供を育てて、さらに多くの人と出会い、そして別れて…」。これって当たり前のことですやん。誰かと出会うのにも、誰かを愛するのにも、誰かを守りたいと思うのにも理由なんていりません。当たり前のことなんです。
人はは生まれてくる場所を選べません。神様のいたずらなのか、運命なのか、生まれた時から家族なんです。その家族の中で過ごすのに何らかの理由はないはずです。
今回の授業参観での題材はちょっと難しすぎたのかな?子供たちは今一つピントがあっていないような感じでした。でもあがりにとってはとてもいい授業参観でしたよ。
今日の夜、たばこを買いに近所のスーパーへ行くのに、娘がついてきました。
「パパ、請求書は出さないから、80円ちょうだい!ジュースが飲みたいから!」
こやつは、今日の道徳の授業の意味をわかっているのかわかっていないのか…。何となく親の深層心理を突いてきているような気がします。
今回のあがりカフェはここまで。写真が無くて退屈だったでしょう。またネタをそろえておきます。では、また次回のあがりカフェでお会いしましょう。あがりでした
今日は午後半休をもらい(会社のいい制度ですね)、娘の授業参観に行ってきました。娘の通う小学校は、30年近く前あがりも通っていた小学校です。てことは、あがりは娘の大先輩です!
娘の入学式以来の小学校。ほんの少し変わってはいるものの、あがりが通っていた時と外観は変わりません。ここであがりも過ごしたんだな~と懐かしさをかみしめつつ、娘の教室へ。
たっくさんの親御さんが来ている中で(当たり前ですわね)、あがりの昔の同級生たちも親として来ていました。20年以上ぶりの再会もしつつ、授業が始まりました。
娘の教室の授業参観の内容は「道徳」。内容は「お母さんの請求書」。
この話、あがりもよく知っています。あがりが大学時代、教育発達論だったか教育心理学で取り上げられた覚えがあります。ここで言っときますが、あがりはちゃんと大学で教職も学んでいたんですよ。あがりが教師の道へ進みたい!と母に言った時、母は必死であがりを止めました。
「どうせ、あんたは不純な動機で教師になりたいんでしょ。あんたみたいに運のいい子はきっと教師になる。でも新聞や警察のご厄介になるのがオチだから、教師の道は諦めて、本当に教師になりたい人に枠を空けてあげなさい!」
あがりは修学旅行に行きたい!女子高生からちやほやされたい!ただそれだけで教職を取っていたいたような気がします。世の中では桜井幸子さん演じる女子高生と真田広之さん演じる高校教師が恋の逃避行をする野島ドラマなどが流行した後。トレンディードラマの形がさらに自由な形に変形し始めていた頃です。
今思い起こせば本当に教師にならなくて良かったと思います。最近、巷を騒がせている教師となんら変わらないですよね。
んなこたぁ、どうでもいいんです。道徳の話。
この「お母さんの請求書」。牧師ヒュー・テーケル博士の出典で「ブラッドレーの請求書」という話です。
『日曜日の朝、たかしが二階から降りてきて朝食の食卓に付いた時のこと。たかしはお母さんのお皿の横に丁寧にたたんだ一枚の紙を置きました。お母さんはそれを呼んで不思議そうな顔をしましたが、すぐにいつもの優しそうな顔に戻って繰り返しその紙を読みました。
たかしの置いた紙は次のような内容だったのです。
「お母さんへのせいきゅう書
お使い代 100円
おそうじ代 200円
おるす番代 200円
合計 500円」
読み終わった後、お母さんは何も言いませんでしたがにっこり笑いました。
お昼の食事の時になって、お母さんはたかしのお皿の脇に500円をそっと置きました。
たかしはそれを見て、上手くいった!と嬉しくなりました。
ところが、お金と一緒に小さな紙切れが置かれていました。
たかしが取り上げてみるとそれはお母さんからの請求書でした。
その紙には次のような内容が書かれていました。
「たかしさんへのせいきゅう書
親切にしてあげた代 0円
病気の時に看病してあげた代 0円
洋服や靴やおもちゃ代 0円
食事代や部屋代 0円
合計 0円」
たかしははっとしました。
一回、二回…。たかしは繰り返し読むうちに涙があふれてきました。
(ぼくは自分のことしか考えずにお母さんに請求書を出してしまった。なのにお母さんは…)
しばらくじっとしていたたかしはお母さんの元へ駆け寄り、さっきお母さんからもらった500円を返してこう言いました。
「お母さんごめんなさい。このお金は返します。そしてこれからはせいきゅう書なんかはなしで、何でも手伝わせてください。」 』
日本風に直してありますがこのような内容。
たかしの気持ちを問う担任の先生。その問いに答える娘の同級生達。
自分の娘ばかりを見ているあがりにとって、子供たちの回答は非常に面白かったです。
中でも、先生の
「なぜ、お母さんの請求書は全部0円だったのでしょうか?」
という問いに対する子供たちの答え。
「請求しても子供がおカネを持っていないことを知っていたから」
「子供に請求しておカネをもらったとしても元は自分のおカネだから、儲かったことにはならない」
「払ってくれるはずがないと諦めている」
などなど…。
引き出したい答えがなかなか出ないことに困惑した担任の先生が、父兄に答えを求め、あるお母さんが一言。
「無償の愛だからです」
あがりが当てられたらきっとこう答えていたでしょう。
「娘を育てるのは親として当たり前のことだと思っていたので、お金を請求するという考えは全くありませんでした」と。
家族が一緒にいるのは当然のことで、一緒に生活することの代償として報酬を授受するのは間違っていると思います。子供たちの中から、家族が一緒にいることが「当たり前だ」という答えが出なかったことが残念なのではなく、家族が一緒にいることが「当たり前だ」とお父さんお母さんから教えてもらっているからこそ、今回は答えが出なかったのだと思います。
だって、子供たちは当たり前のことを繰り返して大人になっていくんですから。家族と生活をして、多くの人と出会い、別れて、恋をして、一緒になって…。親になって子供を育てて、さらに多くの人と出会い、そして別れて…」。これって当たり前のことですやん。誰かと出会うのにも、誰かを愛するのにも、誰かを守りたいと思うのにも理由なんていりません。当たり前のことなんです。
人はは生まれてくる場所を選べません。神様のいたずらなのか、運命なのか、生まれた時から家族なんです。その家族の中で過ごすのに何らかの理由はないはずです。
今回の授業参観での題材はちょっと難しすぎたのかな?子供たちは今一つピントがあっていないような感じでした。でもあがりにとってはとてもいい授業参観でしたよ。
今日の夜、たばこを買いに近所のスーパーへ行くのに、娘がついてきました。
「パパ、請求書は出さないから、80円ちょうだい!ジュースが飲みたいから!」
こやつは、今日の道徳の授業の意味をわかっているのかわかっていないのか…。何となく親の深層心理を突いてきているような気がします。
今回のあがりカフェはここまで。写真が無くて退屈だったでしょう。またネタをそろえておきます。では、また次回のあがりカフェでお会いしましょう。あがりでした