Notes3~ヨミガタリストダイアリー

名古屋市在住の俳優/朗読者・ニシムラタツヤの演(や)ったり読んだりの覚え書き

観劇メモ・「ア」から始まるあの劇団

2004年08月18日 | 舞台特に演劇
タイトルに正式名称で書こうと思ったら、エラーが出ました。
…やるせないですねえ。実に。


楽日の公演を観ました。
アーノルドは、今、ナゴヤの中でも珍しくオフビートセンスに
意識が向いている舞台をつくっているのではないか、と
思います。もともとはジャズを評する際に出てくる、通常と
違うところにリズムのアクセントをつけるという意味の
言葉ですが、ここでは、普通の演劇公演が目指す地点とは、
違うところにカタルシスを設定する、そこに観客を誘い込もうと
する意図が見える、ということかと考えてます。

構成の組み立てが甘い、そもそも台本の体をなしていないんじゃ?
という批判もあるようですが、弱いのは組み立て方や、言葉の
使い方ではなく、舞台の上で起こっていることと、その舞台を
動かしている、台本や演出との噛み合わせの悪さが目立つという
べきなのではないかと思います。

台本書き兼演出家と、役者の間のコミュニケーションの
難しさ、に改めて考えが行ってしまいます。役者の仕事とは、
作家の筆を進ませ、演出家のステージプランに新たな着想を与える
演技を見せることであると、私なんぞがしゃあしゃあと書くべきことではないことを重々承知の上ではありますが、自戒をこめてそう思います。

神山典士さんの「生きること演じること」(ぴあ刊)には、古田新太さんと劇団☆新感線について触れた項で、

「劇団って、居心地がよくなっちゃうもんなんですよね。気心の
知れた仲間だし、酒を飲めば楽しいし。でも本当はエンタテイン
メントを作る場でしょう。必要のないやつはいなくていいんです」

という古田さんの言葉を紹介しています。

アーノルド・S・ネッガー・エクスプロージョン・システムは
先にも挙げたように、オフビート志向を持っていると思います。

しかし、舞台上に立ち上がるものがオフであっても、
その過程で、面倒臭いと思えるもの、遠回りに思えることを
おろそかにしないでほしいと思います。少なくとも、
作・演出家が出演者の指向をくみ取り、出演者が自分の役割を
意識すれば(難しいのですが)、今回の舞台に見られたような、
漫然としかいいようのない一部の役者の演技もなくなっていく
のではないか、と思います。

実際、「別にいなくてもいいじゃんこの人」と思うこと、
ありましたので…。

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