Notes3~ヨミガタリストダイアリー

名古屋市在住の俳優/朗読者・ニシムラタツヤの演(や)ったり読んだりの覚え書き

総花という花ー名古屋市文化振興事業団について(2)

2011年08月22日 |  文化行政とか


■あまり整理をつけないままに書き綴っていってしまったので、思考のスピードを緩めにして続けて考えてみます。(公財)名古屋市文化振興事業団(=以下「市事業団」と略)という組織が内包する問題点が、ホームページのリニューアルに現れていて、その程度はかなり深刻なものであるというところまで書きました。その根拠と私が考える部分から入ります。
■(1)で触れた市事業団トップページ下にある、Googleカレンダーっぽい予定表は、一見各種の情報が整理され、観たい、得たいと思った情報へのリンクが張ってあるため、すぐに該当のページへ飛ぶことができます。これは便利であると私は前稿で書きました。しかし、よくよく見てみると、表面上は繕っていながら、実はまったくユーザーフレンドリーではないのではないかという点に気付きました。それは、いわゆる「創作側」と「観客側」向けへの情報が分類されないまま、ただ網羅的に貼付けてあることでした。子ども向けのワークショップとそれ以外のワークショップと落語会と映画上映会とコンサートの告知と…、少し目が回りました。
■例えば、一般的な演劇分野でいうところの俳優、脚本家(劇作家)、演出家は、当然ながら自らの志向に基づいて創作活動に加わります。この「加わる」という行動も、何らかのオーディションやワークショップにに参加したりいう具体例をあげるまでもなく、内なる表現欲求に基づいているわけで、それが明確であればあるほど、求めたい環境や情報に最短距離で到達することを望みます。対してそれらの「環境」や「情報」を提供する側も、自らの企画を実現し、成功裡に納めるために、手練手管を駆使してその可能性を上げようとします。そこで、双方にとって幸福な出会いが生じることである種の可能性が上昇する局面を迎えるわけです。もちろん、迎えないまま終ってしまう不幸な場合も多々あるわけですが。
■そういう相互関係は、実演家と「環境」「情報」を提供する側―制作者・プロデューサーと言い換えてもいいかと思いますし、そこにいわゆる「文化」を扱う財団組織(=以下「文化財団等」と略)を含めることもできるでしょう―だけでなく、創作側によって提供され作品に触れる観客の皆さんとの間でも成立するはずです。「観たいもの」が明確であればあるほど、最短距離を求めるという意味で。
■もちろん上に述べたような「明確さ」の度合いは、人により千差万別であるのは当然です。例えばお客様になる可能性のある方が『何かわからないけど「ぱーっと』したものを観たいねえ』なんていうあやふや(に実演家の端くれである私には思える)な欲求から、『いや何っつっても「芝浜」はね、談志のものじゃないといけないよ。歌舞伎座で?当然でしょ。』という具体的極まりない希望までの振幅をできるだけカバーすることをミッションととして求められる場合、特に公立の文化財団等の運営する事業はいきおい網羅的な傾向にならざるを得ないというのも、確かにわかるのです。市事業団の場合も、演劇、音楽(洋楽邦楽)、舞踊、美術工芸、伝統芸能(能狂言落語等)、文芸、生活芸術まで、およそ文化と思われるものは全て包含しでいるわけですから。その振幅は相当なものになるでしょう。創作側だって、ある時点まで自分が何をやりたいのか、何が向いているのかなんて、自分でも全くわかっていなかったアーティストなんて、歴史上現在に至るまでそれこそゴマンといただろうし、現在もゴマンと存在しているはずです。こちらだって、226万という名古屋市の人口の集積を考えるまでもなく。相当なもののはずです。
■それならば、と思います。網羅的、総花的であらざるを得ない(これも自分は別の面から疑義がありますが)のなら、最低限のサービスとして、実演家・制作者等の創作側と、観客の皆さんの側へ向けた情報を明確に分類し、その上で、創作側と観客側が密接な関連を有していること、そして創作側の中で実演家と制作者等の間にも繋がることができる可能性を持っていること、もしくは既に繋がり、さらに多くの可能性を秘めていることを、あえて見せるべきではないのか?と思うのです。今のようなカレンダー方式を今後も続けるのであるならば、どのような意図のもとで、創作側向け、観客側向けの「情報」や「環境」の提供を混交させているのかということに、明確な説明が求められてしかるべきであると思います。
■市事業団の「設立趣意書」には、「市民の文化創造意欲を尊重し、その活発な活動を促進する」とあります。そのくだりと、一体どのように関連があるのか。ただノベタに情報を貼付けてお好きにどうぞ、であれば、単に責任逃れ、やる気のなさの隠れ蓑と言われても仕方がないでしょう。いや、実際にそういう組織であることを、地元の心ある実演家ならば、すでに骨身に沁みて知っているのですが。むろん、私も。

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6月17日 お気に入り リツイート 返信

■上の2つは、市事業団の本部と同じ棟にある、名古屋市青少年文化センターと、その附属施設のTwitterアカウントです。それぞれ1ヶ月半、2ヶ月にわたってツイートが止まっています。トップページの情報ほどにも及ばず、日々多くの方が行き来する両施設ですら出て来る情報がないということに、本来存在してしかるべきミッション(責務)そのものの不在を感じます。それがなぜなのか、次稿で考えます。もう少しおつきあいください。

総花という花ー名古屋市文化振興事業団について(1)

2011年08月19日 |  文化行政とか




■昨日の午前中、Twitterでこんなことを書き記しておいたのでご紹介。これらのことについて、自分の考えを少し詳しく書いておきます。

「思い出したようにつぶやいてみるが、Twitterアカウントくらい取って情報発信してみろとは思うけど、どこからともなく「長万部と同じようなことになっては大変だからやるべきではない」という人間ばかりが湧いて出てきて現状維持で皆さん万々歳となるんだろうな名古屋市文化振興事業団。」

「いっそ、更新を迎える金山の市民会館を指定管理を手放すことになれば、少しはその体質は変わるか。その位でないと変わらない絶望感を感じる。改めて今日中に書こう。そもそもね、柴幸男、竹内佑、柿ノ木タケヲ、波に乗っている地元出身の演劇人にまるで興味を示さない財団なんて、クリープ(ry」

■怒りも相当凝縮されていますので文意がつかみにくかったです。自分で読んでも。補足しますと、最近東海地方の演劇人、劇団は言うに及ばず、公立劇場や文化団体、公益財団法人である文化振興に携わる組織でも多くのTwitterアカウントが開設されています。私も@afrowagenとして参加していまして、フォローしている方々からは日々、いや時々刻々と公演情報や製作の進捗や上演後の感想やら議論やら一部暴論やら口喧嘩やら、本当に奔流(ほんりゅう)のごとく情報が通り過ぎていきます。全く凄い時代になったものだとジジむさいことを言いそうになるのですが、ちょうど時を同じくして、上に書いた組織、名古屋市文化振興事業団のウェブサイトがリニューアルしたのです。
■この団体については、私自身も主催事業で幾度となくお世話になっていますし、顔見知りも多いので、あまり厳しいことを言いたくないと思いつつも、これまで何度も「文化行政など」というカテゴリで、名古屋市の文化行政を担う重要な一翼として当ブログに記してきました。最近だと「名古屋の文化討論会」、昔であれば「文化小劇場のあり方検討委員会」(2003年)のことについてでしょうか。創立28周年だそうです。ウェブサイトをいじったのもそういう理由ということのようでしたが、その改修の仕方があまりに古くさく、ズレたものに感じられたことに、心の底から驚くとともに悲しくなったのです。
■サイトをご覧下さい。TOPに事業団が管理する全ての施設の予定がGoogleカレンダーっぽい体裁で網羅されています。クリックすれば該当のページに飛ぶことができます。便利なつくりであるとは思います。すべての管理施設についての情報も充実しています。ただ、これら2つについては、リニューアル前から近い形でありましたので、今回の改修はそれ以外の要素であるのでしょう。しかし、大変残念ではありますが、各種のページのアピアランス以外に、特段変わったことは見つけられませんでした。率直に申し上げて、「え、これリニューアルって言うの?看板倒れじゃん」という感想を抱きました。少なくとも、情報発信を旨とするウェブサイトであれば、単なる流行ものから、すっかり社会的に定着した感のあるTwitterくらいは始めてもいいんじゃないの?と思ったのです。あくまで、その時は多少納得いかないなあ、という程度に。
■しかし、そのほか、ここ最近伝わってきた話や、自分が実地に立ち会って感じたことなどを総合するに、この「リニューアル」ということが表象しているのは、やはりかなり深刻なかの組織のありようなのではないかと思えてきたのです。ある種の責任逃れ、そして怠惰。そのくせ自尊心が高い。それが代表的な要素でしょうか。ツイッター、実はすでに始めていたのです。しかし…!以下、続きます。あした書きます。

※少々改稿しました(2011.8.22)

アートマネジメント基礎講座第2回「劇場法(仮)について」

2010年07月17日 |  文化行政とか
■会場が地下だったため、漏らすことさえできなかった第2回目は、講師・平田オリザさんの爆弾発言などもありました。心の底からびっくりしました。


(2010/7/18 11:00)とりあえず第1回目分をまとめました。
 http://blog.goo.ne.jp/afrowagen/e/669a661e763ba287fa627f8ec3ca6ec1

■アーティストとしてやらねばならないこと、じっくりと短時間で、集中して考えます。

アートマネジメント基礎講座第1回「地域における劇場の役割」

2010年07月08日 |  文化行政とか
■行ってきました。リアルタイムでも漏らしましたが、ここでは主に講義を聴いた後に考えたことをまとめておきたいと思います。
■平田オリザさんの話を聞いて、要所要所でtsudaったりしたのですが、その中に「あらかじめ主催者側から求められたテーマに即して話されているのでは?」という反応がありました。考えてみればそれもそうで、首都圏の演劇関係者の間ではすっかり話題や議論の中心になっていると推察される「劇場法(仮)」の話に移るまでに、クッションみたいな役割として「地域における劇場の役割」というタイトル設定で、しかもそこに根付く芸術文化が社会にどのような効用をもたらすかなんていうごく基礎的なところを説くのにかなりの時間を割くことになりました。それはきっと、愛知県という地方がその経済的体力に比して、あまりに芸術文化政策に関する資本の蓄積がないという認識に基づいていたからだと思います。
■経済面では、顧客の消費トレンドを緻密に分析し、流通コストを極限まで削って競争が行われています。POSシステムが全国余す所なく張り巡らされているのその象徴とも言えるでしょう。平田さんは特にチェーン店化が進む書店をさして「市場経済によって公然と思想統制が行われている」としました。つまり、売れる本しか置かなくなった書店に集う人々が、ある方向の思考と見識に収斂(しゅうれん)されてゆく。そのことによって、「その地域でなければならない」という独自性、固有の意味が削ぎ落とされ、徐々にコミュニティの力が失われてゆくー。芸術及び文化はその流れに抗して地域を再構築する力を持っている、とも。それが他地域に向かって表出される例が「観光」であり、大規模イベント偏重で活力をなくしていた大阪が、繁昌亭のオープンで蘇った部分があることなどの話がなされました。
■私には、劇場はその拠点として捉え直されるべきではないのか、という風に聞こえました。おそらく劇場法(仮)も、そのような方向で検討が重ねられているだと推測します。全国3,000館とも言われる「公共ホール」の中で、名古屋を中心とする愛知県にも、全国公文協のデータベースを見れば90カ所の名前があります。地域住民の方のボランティア組織が立ち上がり、自主事業の企画立案や当日運営のサポートなどに当たられている施設は随分増えてきました。しかし、その中で買取り公演ではない事業を立案し、アーティストと協働し、かつ芸術として一定の水準以上の作品や催事を発信している/しようとしている施設がいくつあるのかといえば、ぐっと数が絞られてしまいます。それを継続しているところとなると…、あくまで演劇のみですが、リーディングホールである愛知県芸術文化センターを含めて、長久手町文化の家、碧南市芸術文化ホール(シアターサウス)、「とよた演劇アカデミー」の豊田市民文化会館、この8月に東三河演劇祭2010が開幕する豊川市の2ホール(ウインディアホール【音羽文化ホール】ハートフルホール【御津町文化会館】)くらいでしょうか(名古屋市の各劇場は枝葉が長くなるのでとりあえず除きます)。朗読をやっている「アーティスト」の端くれとしては、これまで自分が身を置いてきた作品創りの現場とともに、地域を創る、創り直す現場にも積極的に入って行くことが求められるのだなと強く感じました。
■もっと考えを深めて書いておかねばなりませんが、今日はこれから大阪に向かいますので、ここまでということで。

行ってきました「名古屋の文化討論会」

2010年05月25日 |  文化行政とか
名古屋の文化討論会:市民と市長ら、行政・施設のあり方で /愛知(毎日新聞)
http://mainichi.jp/area/aichi/news/20100524ddlk23010125000c.html
市の文化行政考える討論会 市民ら220人参加(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/aichi/news/20100524-OYT8T00012.htm

■遅くなりましたが、5月23日に名古屋市中区役所ホールで行われた「名古屋の文化討論会」について簡単にご報告を。まあ、「芸どころ名古屋」というのは、かつて上岡龍太郎氏が喝破した通り、「本当は芸能芸術の類いには大して素養も関心もない人々が集まっているのが名古屋であり、それをオブラートに包んて表現している」ものであり、本当はディスられているのを誤解しているだけということが心から実感できた意義深い集まりであったと思います。
■口を開けば、「お上」=名古屋市に対してクレクレ攻撃の声、声、声。瑞穂文化小劇場を作れ、昭和文化小劇場を作れ、愛知県勤労会館を買い取って早くリニューアルせよ、昭和区の住民は冷遇されている、後援名義がなければちらしが公共施設に撒けず集客に重大な影響がある…、流して聞いていて、最後のもの以外は切実さがあるとは到底感じることはできませんでした。制作者としては、ちらしをおける場所の確保は重要ですから。そりゃ嬉しいですよ、ピッカピカな劇場や稽古場施設ができるのは。きっと今後出てくる若い世代に対しても少なからずよい影響はあるでしょう。しかし、そういうものを造ると決めた瞬間に生じる莫大な費用は、巡り巡って私たち、30代以下の世代が背負う市債となって跳ね返ってくることを、声をからしていたお爺さん達は、認識しているのでしょうか?
京都芸術センター、大阪の精華小劇場、仙台の10-BOX札幌のあけぼのアート&コミュニティセンター、これらの施設に共通しているある要素があります。勘のいい方にはお分かりでしょうが、すべて廃校となった学校及び社会教育施設を転用することで現在まで供用されている芸術創造の拠点です。それらの先鞭を付けたのは実は、旧・中村図書館であったところの名古屋市演劇練習館アクテノンであったことを、当の名古屋市の人間がすっかり忘れて鳩首協議しているのが、私には滑稽に見えてしょうがないのです。ただでさえ税収が減っている。そして壇上には、「減税を!」と言って聞かない市長が鎮座している。そういう周辺状況をざっと見渡すだけでも、口をついて出てくる言葉は違ってくるように思えるのですが。
■一方で、32億円しか(!)ない、もっと文化予算をと嘆く行政側も、クレクレの人々と大した程度の違いがあるとは思えません。その一方で現在中央で急ピッチの検討が進められている「劇場法」について、河村たかし市長に何の事前のレクチャーもせず、「市長の(劇場法についての)見解を聞きたい」との会場からの声に対して「はあ何ですか、知りません」と言わせてしまったことを、恥と思っているのでしょうか、いや、全く問題意識を感じてはいないと思われます。なぜなら彼ら=名古屋市市民経済局文化振興室にとっては、どこまで言っても文化小劇場を始めとした市立文化施設は「地域の文化活動に供する」ためだけの施設であり、芸術文化の勃興を目指して整備を進めた施設ではないという認識が根底にあるからでしょう。これも平成3年の中村文化小劇場以来、類似した施設を造り続けたことへの批判に対して、東文化小劇場は演劇向け、北は伝統芸能向け、熱田は音楽向け、千種は円形劇場とキャラクター分けをして整備する方針に修正したように思えたのですが、そういう経緯は引き継がれていないようですね。前例踏襲というのは行政セクターの悪弊として挙げられることが多いですが、きっと担当者とともに方針も去りぬ、ということになったのでしょう。つくづく芯の通ってない、やる気のない仕事ぶりであるなあと思います。旧・愛知県勤労会館を改修して取得した場合の費用試算が10億6000万円余りとしていましたが、パネラーの1人、サンデーフォークの桑原社長に「うちらが試算したら3億8000万円でできるよ」と壇上で言われて言葉がウロウロになっていた室長さんの姿は、見ていて哀れを感じるほどでした。
■そうそう、その文化振興室が作成した、名古屋市文化振興計画というものを改めて見ていたのですが、いや、資料編だけでもツッコミどころ満載なのはわざとなのか?という位に楽しめる内容になっていました。うりんこ劇場の開館が「S37」とあるのはきっと、昭和37年であるという意味かと思うのですが、あのー、そのころの千種区の京命(劇場の住所あたり)って、きっと田んぼと畑しかない、旧・千種区猪高町の一集落じゃないかと想像できるのですが。そもそも劇団うりんこはホームページを確認すればすぐに分かることですが、『劇団うりんこの創立は1973年。8人の若者が集まって創った劇団』です。ちなみに現在の劇場の設立は1986年。どこから引っ張ったデータなんでしょうね。その他、Zeppより歴史の深いE.L.L.ボトムラインクラブ・クワトロハートランドスタジオといったライブハウスがない、シアタームーンが載っていて七ツ寺共同スタジオがない、フィルムコミッション云々とか言っているのに映画館が劇場として勘定されていない等、正確さと網羅性が最重要であるはずの資料編がこうなのですから、中身は…、皆さんでご検討ください。とりあえずうりんこのHさんは怒った方がいいと思います。

名古屋市文化振興計画の策定(市ウェブサイトより)
策定の趣旨 文化芸術の持つ創造性や多様性がさまざまな分野へ影響を与え、都市全体の魅力の向上につながることから、本計画は、従来の枠組みを超えて「文化」を広くとらえ整理をするとともに、本市の文化振興の方向性を指し示し、「文化共創のまち名古屋」をめざすものです。

計画(全文)
http://www.city.nagoya.jp/_res/usr/c/079/952/keikaku_all.pdf
資料編
http://www.city.nagoya.jp/_res/usr/c/079/952/keikaku_shiryo.pdf

■木を見て森を見ないという言葉がありますが、現場を見ないで物事を考えるとこうなる、というのが、現在の名古屋市の文化振興室及び文化行政と言えるでしょう。それは文化振興計画にも、今回の文化討論会にも如実に現れています。そういう性質を持った行政セクターに、何をもって自分たちの姿勢を示してゆくのか。とりあえず、お膳立ての中で声を枯らす前に、自らの思うところを十二分に突き詰めた作品をもって応えるということの方が、遠回りに見えて近道であると強烈に感じたのは間違いありません。そのもうひとつのきっかけになった、23日夕方のDTL(ディレクターズ・トレーニング・ラボ)@七ツ寺共同スタジオについては、もう1つ稿を改めたいと思います(長すぎだよしかし)。

「名古屋の文化討論会」の開催について

2010年05月23日 |  文化行政とか
■昔、fringeにも取り上げて頂き、その提言内容の貧弱さと世間の見なさかげんにあきれていた「名古屋市文化小劇場のあり方検討委員会」(2003年)。その時の検討委員の2人が、河村たかし市長に対して何を言うかという点、そして名古屋市の文化振興室がどういうアジェンダを設定して臨んでくるかという点を見るためだけに、そこそこに昼飯をすませて行ってきます。

URLはこちらから

■いえ、あんまり期待していませんけどね…。

「潜水署長」ご来場御礼/4月は人事の季節

2010年03月28日 |  文化行政とか
■おはようございます。春眠暁を覚えずとは言いますが、あまりに早く寝てしまうとそういうことは関係がないようで、すっかり起きております。昨日は「潜水署長」その6が終わりました。まあ、いつもの面々しかいなかったわけですが、「毛骨屋親分」はヤマシュウ先生お得意の時代物と荒事の要素がたっぷり詰まった、中編というにはいささかボリュームのある回となりました。次回は4月24日(土曜日)の予定です。
■3月から4月にかけては期末やら年度末やら、人事の季節という面もありますが、当ウェブログに関するところでもいろいろと動きがありました。名古屋市については、公会堂の管理運営が切り替わることが大きな影響を与えているようです。

名古屋市公会堂指定管理者の候補者選定結果について
http://www.city.nagoya.jp/shisei/gyouzaisei/shitei/nagoya00073145.html

指定管理を外れることで、悪い言い方をすれば余剰となった人員を継続していく他の施設等に吸収して雇用する必要があるためなのでしょう。しかしそのことによって、私を含む、観客ではない利用者のニーズに応えてもらえる場面が少なくなっては本末転倒であるわけで、人員配置をより精査して行ってゆく必要があると言えるでしょう。とはいっても、例えばこの地域において劇場に雇用されるほどの腕を持ったマネージャー足る人材がいるかどうか、と言うとこれもまた…、が現状なのでしょうが。難しいですね。
■写真は今回のおもてなし。「両香堂本舗」さんの「桜どらやき」でした。おいしゅうございました。

「第9回AAF戯曲賞」公開審査会@芸文

2009年11月01日 |  文化行政とか
■去る10月26日(月)、すっかり秋のイベントとして定着したAAF戯曲賞の公開審査会に観客として行ってきた。2000年からスタートして今年で第9回目。と、いうことは来年第10回をもって終了する県芸術劇場演劇フェスティバルと同じく来年で最終回なのかとも思うが、とりあえずそんなことはないようだ。
■最終候補としてノミネートされたのは5作品(氏名のリンクは所属団体へ)。サリngROCK「金色カノジョに桃の虫」、しゅう史奈 「人魚の森」、鈴木アツト「青鬼(あおおに)」、吉田小夏「こころ」、そして鹿目由紀「蒲団生活者」。東西の若手に挟まれて鹿目の作品がどう評価されるのかが気になっていた。
■彼女以外の4本は公演を観たこともなく、戯曲そのものも読んでいないため内容の細かいところの言及はできない。ただし終わってから実感したことだが、この審査会の進行形態については改善すべきだ。例えば、今、この時点の上演を前提として、「台本として」優れているものを選び出すのか、受賞後、実際の公演製作において改作・改稿されることをあらかじめ織り込んで、「戯曲として」化ける可能性を秘めるものを選び出すのか、どちらのスタンスで審査を行うかによって受賞作は異なるおそれがある。いやむしろ、大きく傾向の異なる作品が挙げられる可能性の方が大きいのではないか。
■それが審査会に出られていた5人の劇作家・演出家に希薄であったかと言われれば、決してそうでもないだろう。佃典彦さんが客席から噛み付かれていて、背中越しにあちゃーと思いながら聞いていたが、そこで述べられた意見は上で書いたようなことだったはずで、正論だろう。佃さんは交差点の信号が故障したので交通整理をしようとして車から降りたらはねられたようなものだ。観客を入れて公開で行う以上、必要なのはゲームのルールをはっきりさせることだ。公式ウェブサイトに記されている「愛知からの文化の発信と演劇界の次代を担う人材の発掘・育成」という方針から一歩踏み込んで、冒頭で宣言をしたうえで審査に入れば、もっと実のあるやり取りが生まれたに違いないし、俎上に乗せられる劇作家にとっても有益だろう。優秀賞⇒来年冬の上演決定のサリngROCKさん、本当におめでとう!
■そういうわけで(財)愛知県文化振興事業団におかれては、来年も戯曲賞と公開審査会をやって頂きますように。聞くところ、もう一方の名古屋文化振興賞(こちらは審査非公開)は戯曲部門どころか存続が危ういらしいので…。

アートプロデュース講座2009~「で、そもそも企画って、何?」

2009年10月12日 |  文化行政とか
■10日(土曜日)。試験管ベビーの稽古場を昼前に抜け出して名古屋に戻る。アートピアで「アートプロデュース講座2009」の一講義を受け持つことは、6年ぶりに普通の演劇、もっといえば9年ぶりに(集中が公演に使用していた頃には自分は既に退団していた)芸術劇場小ホールの舞台に立つことと同じくらい、思いがけないことだった。実は、同じ6年前、集中退団後には受講者として参加している。その時と比べても大してスキルが上がっている訳でもなく、教えられることの少なさに依頼を受けてから改めて気付き落ち込んだのだが、そうした中で頼れるのはやはり劇団活動やその後、現在までで自分の体験して来たことでしかない、と思い2時間半話してきた。そこで示したキーワードは以下の通り。

・言葉で思考することからしか始まらない
・言葉を視覚的に重ねあわせる
・平面から立体のやりとり
・立体の軸は人間関係、ライフヒストリー、時系列
・BS(ブレーンストーミング)やKJ法の活用

■講義資料を作るに当たって、ここまでの自分の来し方を改めて振り返る。やはり、思い出されるのは恥ずかしいことばかりだ。自分がいかに首尾一貫してなくて、思考が弱くて、人に優しくなくて、すぐにむくれる扱いづらい奴であったかを見せつけられるような時間に、これからでも断れないかなあと思ったこともあったのだが、やって良かったと思っている。今となっては。どんなことをやろうとも、関わった人全員からあまねく賞賛を受けるなんてことはないのだろう。だけど、わずかながらでも自分のすることに関心を持ってくれる誰かのために、ひとつひとつを丁寧に進めようと思う。名古屋市青少年文化センターの吉澤館長、河原さん、小中さんには大変お世話になりました。ありがとうございました。
■夕刻、背広姿のまま稽古場に戻る。そういえば少しだけ昔、こんな密度であちらこちらを行ったり来たりしていたことがあったな、とふと気付く。10年前と変わらない。やっぱり、大して進歩なんかしていないな。よし,またがんばろう。

「バイ・ネーム」で仕事する

2009年10月03日 |  文化行政とか
■金曜日夜、テレビ塔下でのインターバルを挟んで夜更けまで事業団の3氏といろいろ話す。その中で出て来た中で「バイ・ネーム」という言葉のこと。つまり、何かをなそうとする時に、これこれこういうことをやったのは何の誰兵衛ですよとはっきり記すことこそ、よい仕事を担保することになる。私を含めた演劇の人にとってはごく当たり前の話だが、それをどこまで厳格に守ろうとしているか、お前は守ろうとしているか?と言われればまるで自信がない。なにしろ「カラフル3」の準備途上で弱音を吐いて絶縁を申し渡された方面を持つ奴だ。とてもじゃないが胸を張れたものではない。だからこそ心に響いた話なのかもしれない。
■そういう矜持を持たず、必要性を感じていても無視をして、何とか帳尻を合わせようとしている奴のあまりに多いこと。しかもそれが税金の絡む文化行政の部分で平然と行われていることに改めて驚く。細かいディティール付だからなおのことだ。ほんと勉強になりましたという感じでありました。お3方、誠にありがとうございました。またやりましょう。
■ここまで書いていて思い出した。バイ・ネームとは「名こそ惜しけれ」の精神であると。朗読者、インプロ者そして俳優として恥ずかしいことをしていないだろうかを常に考えて動かねば。いつどこで何をするにせよ。そういう私の本番は、試験管ベビーよりも早く、C.T.T.名古屋事務局のワークショップのファシリテーションをするという形で週明けにやって来る。