北京を英語で書くとBeijing。そう思い出したのは、リュック・ベッソンの取材で「キッス・オブ・ザ・ドラゴン」の台本を読んだ時だった。
本作の撮影に入る前、仙石先任伍長役 真田広之は6ヶ月に渡る中国ロケの只中にいた。
「さらば愛、覇王別姫」でカンヌグランプリに輝くチェン・カイコー監督の新作「無極」の撮影に単身参加していたのである。極寒の3月に北京撮影所からカメラは回り始め、杭州から車で3時間の横店での大オープンセットを経て雲南省に移動してのロケーション。昆明の撮影では60度を超す暑さ(痛さ?)の中で20キロを超える甲冑を着けての戦闘シーンがあったかと思えば、標高3900メートルのシャングリアでの極寒~い撮影(気温マイナス10度)をこなしてお次は内モンゴルでの砂漠地帯での撮影などなど、とカメラは回り続けたとのこと。ちなみに内モンゴルの現場は住所すらないそうです(笑)。
そんなこんなの過酷な撮影が続いた真田広之はそう簡単に帰国も出来ず、「イージス」の製作サイドとはメールやFAXにて脚本の打ち合わせを重ねたわけです。シャングリアでは送ったFAXが3日後に届くというミステリーが頻発し、当時プロデューサーは「なんだかなぁ~」を連発していましたっけ(笑)。
で、やっと8月。撮影終盤に戻った北京撮影所にプロデューサーが最終打ち合わせに現地へ飛ぶことになり当然ながら記者も同行した次第。
中々終了時間が確定しない北京の撮影(日本も同じだが)ということで、撮影所に押しかけて見物しつつ真田広之の待ち時間なども有効利用(ホントはダメですよ役者がシンドイので・・・)というわけで入ったセット。で、嫌や~な感じの視線。いかにも「そこの日本人、お前ら何者だ?」てな雰囲気でちと緊張させられたのですが、視線の主はあの「グリーンデスティニー」でオスカー獲得の撮影監督ピーター・パオ。今度はプロデューサー視線を逸らさずきっちりとガン飛ばしてます。
そこに突然10人を超える集団。そうです、彼らがもう一人の主役あのチャン・ドンゴンとそのご一行様。
記者「凄い人数の取り巻きですね・・・」
プロデューサー「ああやって取り囲んでキムチのナベ隠してんだよ。」
記者「・・・。」
それに比べて我が真田広之はいっつも一人。たった一人。その上アクション担当の中国スタッフ(香港?)に逆に殺陣を教えていたりして。うーん、何だか嬉しくなってきましたね、孤高の日本人俳優に。
さて、撮影終了後の脚本打ち合わせも終わり、メシでもとS新聞のYさんとも合流して街中の中華料理店へ。
真田「ここのダックは最高ですよ。本当に美味しい、しかも安い(笑)。」
早速皆で食したところ、本当に美味い。ウエイトレスのお姉さんがちょっとコワいけど相当に美味い。給仕のお兄さんが注ぐお茶はドボドボこぼれるがダックは美味い。かなり美味い。Yさんなどはもう20分以上しゃべってない。大好きな真田広之に取材出来る!と意気込んでいたさっきまでのあんたはどこへ行った(笑)?何にも聞いてないじゃん(笑)!
こうしてBeijingで北京ダックをほおばりながら、紹興酒をガシガシとアオって中華の首都の夜は更けてゆきました。
で、真田広之に別れを告げて「やっぱ麺も食べるぅ~」というYさんのワガママに付き合ってホテル内の中華へ再度。何やら4,5品も注文する彼女を見ながら記者はハタと気がついた!!
記者「あの、さっき真田さんダック食べてました?」
P「いんや。」
記者「だって真田さんが北京ダック食べ行こうって・・・。」
P「そーだよ。」
記者「・・・?」
P「あのね、今彼はどんな役やってる?」
記者「昔の中国の将軍・・・。」
P「大きな剣を振り回してたでしょ?」
記者「はぁ」
P「凄んごい鎧着てたでしょ?」
記者「はぁ」
P「半年も中華食べてるでしょ?」
記者「・・・。」
P「いくら海の男の先任伍長でもあんな体型いないと思うよ。」
記者「なーる。」
P「こっちの撮影までもう3週間。いくら真田広之でも3週間ないと10キロは落ちないよ。」
記者「10キロ!!」
P「だから野菜とかしか食べてないよね、さっき。ホントの役者には出来ること。」
隣ではS新聞のYさんが「餃子もね!」などと言いながらガツガツと中華を食している。
P「Yさん・・・。」
Yさん「はいっ?」
P「3キロはいっちゃったね、2軒で」
Yさん「・・・?」
Beijingのダックで色々考えた夜でした。 イザヤ 拝
|