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3人のメアリーとエリザベス 4

2008年02月07日 | 雑記
なんだかいつの間にか連載になってしまいました。
メアリー1世をかなり詳しく書くのは、このメアリーがエリザベス女王の前半生に深く関わっているからです。

二人目のメアリー:メアリー1世

イングランド女王メアリー1世と言えば有名なのが「ブラッディー・メアリー」(血濡れのメアリー)の別称です。カクテルの名前の由来にもなりました。
 熱心なカトリック教徒だったメアリーは、女王になるとプロテスタントを次々と処刑していったのです。
 ヘンリー8世、エドワード6世とイングランドの国教はプロテスタントだっただけに、彼女のこの行為はイングランドを恐怖のどん底へと陥れました。
 彼女の即位前にジェーン・グレイというプロテスタントの女王を押す一派が出てきますし、彼女の即位後も妹のエリザベスを女王に押す一派が反乱を起こし続けました。
 さらにメアリーは、カトリックの宗主国であるスペインの王と結婚し、スペインとフランスの戦いにイングランドを巻き込みました。
 さて、こう書くと彼女が血も涙もない冷酷な女王のように聞こえますが、彼女は彼女なりにイングランドの女王であろうと頑張っていたのです。
 メアリーが女王として何をしたかはかなり有名ですので、むしろ私は彼女が女王だった時の彼女を取り巻く情勢を語りたいと思います。実はイングランドはいや世界はとんでもない時代へと足を踏み入れていたのです。そして、ヨーロッパの辺境イングランドもその情勢から無縁ではいられなかったのです。

 マルティン・ルターが始めた宗教改革は1517年。ちょうどメアリーが産まれた翌年の事件でした。そしてその争いはドイツの農民戦争へと発展し、やがて燎原の火のごとくヨーロッパじゅうへと広がっていきます。
 この宗教改革、プロテスタントと後に呼ばれますが、を受け入れた人々は貴族や王族などではなく富裕な農民や商人・職人たちの階層でした。
 実はそれまで土地を支配していた封建領主、つまり貴族や王族は次第に没落し始め、技術や交易路の発展で農民や商人たちが経済的に裕福になってきたのです。大航海時代はすでに始まっており、多くの商人が巨万の富を得るために大海原へと飛び出していました。あのコロンブスが援助を求めたスペイン王がメアリーの祖父母だと書けば、時代が分かるでしょうか。馬に乗り、鎧を着込み、わずか数㎝の土地を争うより、船に乗り、まだ見ぬアフリカやアメリカ、アジアへと旅だった方が巨万の富を築けた時代だったのです。
 新しく力を持ってきた階層にとってカトリックは古い階層の権威や権力を守る存在でした。新しく商売をするのも、新しい地位を得るのも、カトリックの教皇の許可がいるのです。そして教皇はなかなか新しい階層へ許可を与えませんでした。彼らは自分たちの新しい権利を守る思想としてプロテスタントを受け入れていきました。
 もちろん古い階層たちも黙ってはいません。自分たちの権利を守るためにプロテスタントを弾圧していきます。あちこちでカトリックとプロテスタントとの争いが火を噴きました。

 一方、イングランドは、薔薇戦争で主立った貴族や王族は軒並み没落していました。だからこそ、ヘンリー7世は王位につけたと言っても過言ではありません。彼は本来、王位につくことのできない人物でした。それゆえに、彼と彼の子供は不安定な自分の地盤を固める必要があったのです。
 彼らが不安定な自分の玉座の地盤固めに選んだ者たちが、力を持ち始めた農民や商人出身の新しい貴族たちでした。
 ヘンリー8世の二番目の妻、アン・ブリーンの家や三番目の妻ジェーン・シーモアの家などのことです。そしてもちろん彼らは、プロテスタントでした。
 逆にジェーン・グレイの反乱の時にメアリーをかくまった貴族、ノーフォーク公はイングランドで最初の公爵という由緒正しい貴族の家柄です。もちろん、彼はカトリックです。
 つまりメアリーがプロテスタントを弾圧したのは、何も熱心なカトリック教だからだけではありません。彼女は没落していく旧貴族の代表として、新興貴族たちの力をそごうとしたのです。彼女をかくまってくれたノーフォーク公爵のためにも!

 しかし、イングランドの旧貴族たちの勢力は、メアリーを支えるほど大きな勢力ではありませんでした。何せ薔薇戦争でほとんど絶滅しているのですから。
 そこで彼女が頼みにした勢力が、「スペイン」だったのです。
 自分の母の生まれ故郷であり、カトリックの宗主国。太陽の沈まぬ国、スペイン。
 これほど心強い味方はないでしょう。
 確かにスペインはこの時代、大航海時代の主役で、ヨーロッパで最も力を持つ国だったかも知れません。
 だが、これはスペインが没落する最後の輝きのようなもので、新しい時代の波はすぐそこまで迫ってきていたのです。
 スペインはメアリーの助けになるどころか、イングランドをフランスとの戦いに巻き込んでしまいます。そして、このスペイン王との結婚がさらにメアリーの立場を苦しいものとしてしまうのです。
 そのことを見抜けなかったメアリーは少し可哀相だったかもしれません。
 いえ、そもそも旧貴族の力を復興させようという試み自体が無理だったのです。
 メアリーの時代から200年後、イギリスで産業革命が起こり、世界は貴族のものからブルジョアのものへと移り変わってしまいます。メアリーの時代はその過渡期とも言える時代で、封建領主が貴族であり得なくなってきた時代だったのです。
 メアリーが即位した年代はちょうど武田信玄と上杉謙信が川中島の戦いを行っていた年です。日本で下克上が行われていたように、ヨーロッパでも下克上が行われていたということです。

 スペイン王との結婚も、その王との間にカトリックの子供を宿すことも、そしてプロテスタントを一掃することもできなかったメアリーは即位後5年で病死します。
 死ぬ間際ぎりぎりまでエリザベスへ王位を譲ると言いませんでした。
 彼女はきっと死の床で、新しい時代の波を食い止められなかったことを悔やんでいたでしょう。
 次の女王は新興貴族の代表のエリザベス。彼女の代になれば、ああ、イングランドはどうなってしまうのだろう。
 そんな絶望を抱いていたかもしれません。
 しかし、わずかな期待はあります。
 エリザベスは新興貴族の代表でも、王族の生まれ。女王になれば私が何に苦労していたか、きっと理解してくれるはず。
 死人の虫の良い願いではあるが、そのわずかな期待を託して彼女はエリザベスに王位を譲ります。

 たった5年で亡くなったメアリーは知るべくもありませんでした。
 エリザベスメアリー以上の苦難を背負って、下克上のイングランドを治めことになるのです。
 そしてメアリーが期待したとおりの旧貴族の復興はならず、イングランドは大航海時代へ、そして産業革命への道を歩み出すのです。

参考文献:メアリー1世関係
       石井美樹子『イギリス・ルネサンスの女たち』中央公論社
       石井美樹子『薔薇の冠〜イギリス王妃キャサリンの生涯』 朝日新聞社
       小西章子『華麗なる二人の女王の闘い』小学館
       ヒバート『女王エリザベス(上)』原書房

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